続・竹林の愚人

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音羽山トレッキング

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  1. 2017/04/22(土) 20:18:55|
  2. TRAIL
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A3スキャナーに MFC J6580CDW という選択


10数年使ってきたEpsonのA3スキャナーがさすがにくたびれてきました。
Epsonの現行機種は10万円を超えていますので、安価なモノをググってみるとこの機種に行き付きました。
  1. 2017/04/02(日) 21:10:33|
  2. PC
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大成洞古墳博物館



金海(キメ)市の地域は古代、伽耶・任那とされます。
1990年からの発掘調査で、3世紀後半~5世紀前半の金官伽倻の支配者層の木棺墓を主体とした184基の古墳群と判明しました。
  1. 2017/03/09(木) 20:39:32|
  2. Historic sites
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今城塚古代歴史館



今城塚古墳が平成16年(2004)から史跡公園として整備され、古代体験ミュージアムとして平成23年(2011)4月に開館されました。
  1. 2017/03/03(金) 22:15:14|
  2. Blog
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0SIM(ゼロシム)が遅いのは本当か?



月間通信量500MB未満は無料というso-netの「0 SIM」。
ネット上では遅くて使えないとありました。
そこで、0SIM(ゼロシム)を申し込みました。

結論はLTEとして動画の視聴は無理でしたが。
しかし、メールやLINEなら月500MBにも達しないでしょうから、メール専用機としてなら使えそうです。
  1. 2017/02/12(日) 06:43:07|
  2. GOODS
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みんぱく アイヌ展示



国立民族学博物館のアイヌ展示がリニューアルされましたので紹介します。
  1. 2017/02/06(月) 22:52:42|
  2. SIGHT
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京都の社寺



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テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

  1. 2016/10/16(日) 09:37:32|
  2. Table of Contents
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初詣の社会史

4130262416初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム
平山 昇
東京大学出版会 2015-12-26



伝統的なものと思われている初詣は、実際には明治期の鉄道が郊外に広がっていく過程で成立・展開してきた近代的な産物であると筆者は指摘する。

とくに、東京では明治天皇に対する二重橋前平癒祈願の記憶が再生される場となった明治神宮が、従来は知識人において「迷信」とされてきた神社参詣が天皇を思う国民の「感情美」として好意的に解釈されたため、知識人を遠ざける心理的障壁にはならなくなった。
そして、「皇室=明治神宮=初詣」を三段論法的に飛躍させて、国民が宮中の四方拝に倣って古くから行ってきたものとして初詣を語る言説が生み出されることになった。
初詣は、知識人によってナショナリズムの文脈でとらえ返され、「国民」の行事となっていった。

江戸の正月元日の恵方詣は近世から行われており、大阪では節分の恵方詣は盛んであった。
東京は元日の恵方詣、大阪は節分の恵方詣という違いはあったものの、郊外へ延びる鉄道が誕生した結果として恵方詣の範囲が郊外の社寺へと拡大される。
明治30年代になると、鉄道網の拡大によって川崎大師のみならず堀の内祖師(堀之内妙法寺)、西新井大師、成田山新勝寺といった郊外の仏閣も参詣者が増大する。

近世の西宮神社は、丹波・丹後・但馬・播磨・淡路といった農漁村地帯の人々や大阪・兵庫の商人が参詣していた。
しかし、明治38年に阪神電車が開業して大阪からの参詣客誘致を行うようになると、にわかに大阪からの参詣客が増加するようになる。
明治40年の節分に際して、阪神電車は西宮神社が大阪から恵方に当たるとして宣伝を行い、参詣客が大幅に増加するという結果をもたらした。
大阪の場合、従来は節分参詣で使用されていた恵方が、鉄道会社によって年頭の参詣にも拡大適用されるようになった。

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2016/09/08(木) 06:59:55|
  2. BOOK
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仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか

山本 ケイイチ 『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』 (幻冬舎新書) (2008/5/30)
メタボが気になり、週一ですが筋トレを始めました。
筋力トレーニングには5つの原則がある。
第1の原則は「意識性」だ。
本人の意識がなければ、効果は表に出ない。
第2の原則は「全面性」だ。
トレーニングにおいては、包括的にバランスのとれた運動を組み合わせる必要がある、これが「全面性」だ。
第3の原則は「漸進性」だ。
「過負荷」の原則ともいう。「漸進」とは、「少しずつ進む」という意味である。
年齢が上がるにしたがって、成長ホルモンも出にくくなるから、トレーニングをしていても、筋肉の衰えに、回復・再生のスピードが追いつかなくなる。
常に負荷を大きくしていかないと、筋肉をつけるどころか、現状の筋肉を維持することも難しいのを実感している。
第4の原則は「個別性」だ。
体は一人ひとり違うから、同じトレーニングをしても効果が異なる。
効果を上げるには、個人の個性に合わせたトレーニングをするのが鉄則だ。
個別性の原則に関連して、「SAIDの原則」というものがある。
「Specific Adaptation to ImpoSed Demand(人体は与えられた負荷に見合った適応現象を起こす)」という意味だ。
要するに、やればやっただけ結果が出るし、やらなければ結果は出ない。
第5の原則は「継続性」だ。
たとえlカ所の筋肉を鍛えるだけでも、だいたい6週間ぐらいは同じ方法を続けてやらなければ結果は見えてこない。
この継続性こそ、トレーニングの目的そのものといってもいいぐらい重要だ。

話をまとめると、トレーニングとは、「肉体に何かしらの負荷を与えて、適応現象を引き出すこと」と定義できる。
ここでいう「負荷」とは、肉体に日常生活以上の強度を与えることである。
私の考えでは、適応現象は以下のような公式で表すことができる。
適応現象=「負荷の種類」×「大きさまたは強さ」×「期間」
「負荷の種類」とは、トレーニングでいえば、バーベルを上げるのかヨガをするのか、ランニングをするのかということである。
「大きさ」「強さ」とは 「何キロ上げる」「何回上げる」とか 「一つのポーズを何秒やるか」。
ジョギングであれば、「何分間走るのか」、「どのぐらいの速さで走るのか」ということだ。
「期間」とは、「1回のトレーニング時間は何分か」「何カ月続けたか」「何年続けたか」ということである。
負荷の種類、強度、それと期間。これがトレーニングにとって欠かせない要素だ。
この3つがしっかりと整わないと、適切な反応が起きない。たとえば負荷の種類が多く、強度が大きくても、期間が短ければたいして効果は出ない。

適応現象は、3つの要素に加えて、トレーニングする人の生体エネルギーそのものに大きく依存する。
トレーニングによる疲労によって筋力はいったん落ち、再生の過程で 「超回復」と呼ばれる現象が起こり、筋力は元のレベルよりアップする。筋力はこの繰り返しにより上がってくる。
ここで見落とされがちなのは、与える負荷は、常に前回のトレーニングのときより大きくしていかなければいけないということだ。
しかし50歳で無理をすると、筋肉が壊れてなかなか回復しない。
だから、むやみやたらに負荷を上げて、トレーニング効果を高めるというわけにもいかない。
思うように効果が上がらないのにトレーニングを続けるのは、精神的にはキッいものだ。
しかし、20歳のときと40歳のときでは、忍耐力は40歳のときのほうが確実に上がっているはずだし、目的意識もはっきりしているはずだ。
このような精神の成熟は、加齢による生理的機能の低下を補ってあまりある。
だからトレーニングを始めるのに、遅すぎるということはない。
時間をかけて何かをするという経験がどんどん減っている現代社会においては、自分の体の変化とじっくり向き合う、トレーニングという行為は、精神力を鍛える貴重なチャンスなのだ。
そう思って、積極的にトレーニングに励んでほしい。

山本さんのこの原則を励みに継続しようと思っています。

テーマ:フィットネス・トレーニング - ジャンル:ヘルス・ダイエット

  1. 2016/05/08(日) 07:32:03|
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琉球国の滅亡とハワイ移民


鳥越皓之琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)

「沖縄ケンケン豚カウカウ」(ケンは県、カウカウはハワイ語で食べる)
その当時は内地でもそうだったが、ハワイでも沖縄人に対する差別はかなり厳しかった。
沖縄はすでに日本のなかの一つの県となっていたが、言葉が相互に通じなかったことが大きな理由だと沖縄からの移民の人たちは言っていた。
また、沖縄では豚を飼う伝統があって、ハワイでも養豚業をしている沖縄人の割合が高かった。
養豚業は周辺の住民に悪臭を与えるので評判がよくなかった。
そのため、沖縄人は臭いというような言い方など、さまざまな形での差別もあった。

日本人(内地の人)によるいわゆる沖縄人への差別の理由として、通常は二つがあげられている。
ひとつが、沖縄県出身者は他の県の出身者よりも貧しかったからという「貧困」を理由とするものである。
もうひとつは、沖縄県よりも山口県や広島県など他の県の出身者が先にハワイに来ていて、ハワイで一定の地歩を築いていたが、沖縄県民は新参者であったからという、「後発」としての理由である。
これら二点の理由は否定できない事実だ。
けれども、根源の理由は、沖縄が日本によって滅ぼされた(併合)からだと私は解釈している。
この種の差別は、植民地化した朝鮮や台湾(また日清戦争後の中国)の人たちへの差別と同根である。

戦前では全国平均で100人に1人が移民として出て行ったのであるが、沖縄は10人に1人なのである。
その理由はなんであろうか。

それは琉球国の滅亡である。
国の滅亡が高い割合の移民をもたらしたと言える。
国の統治力としてのタガが外れたので流出したし、またタガが外れたことによって、制限が弱くなったからである。
タガがゆるんだという事実は、その当時の為政者にとってはおもしろくない。
したがって、奈良原知事が「時期尚早」論をうちだすのは、実に定石どおりの対応である。
そういうなかで民権運動という「定石破り」の運動が展開され、成果を得たのである。
民権運動は政治運動から移民活動という経済活動に移っていくことによって成功する。
ただ、移民に呼応した人たちは、当山久三の名前を知っている者はいたにはいたが、そのほとんどは、民権運動的な考え方にはまったく無関心で、経済的安定と、できるならば経済的に豊かになることのみを夢見て移民として海を渡ったのが現実であった。

浦崎政平(1908年生まれ)はいう。
学問のない人に限って、沖縄を軽蔑した。
わしら沖縄県人がこちらに来て、「鼻を高くしてよいな」と思うたのは、賀川豊彦先生の話から。
あの人がヒロ(ハワイ島)の大和座で話されたことがある。
人類のこと。歴史のこと。
日本の歴史はふたつある。「現代の歴史」(国が作為的につくった歴史)と「本当の歴史」。
もしずっと大昔の姿をみたいなら、沖縄へ行け、と言われた。
沖縄の言葉にはむかしの日本語があるんだと。
沖縄が大事ゾ、と言われた。
それからみんなが〔沖縄を〕見直した。

唐の世から、大和の世、大和の世から、アメリカ世、アメリカ世から、また大和の世。
沖縄世にはならんではありませんか。(川上喜子)

テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報

  1. 2016/05/07(土) 18:36:51|
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