続・竹林の愚人

大成洞古墳博物館



金海(キメ)市の地域は古代、伽耶・任那とされます。
1990年からの発掘調査で、3世紀後半~5世紀前半の金官伽倻の支配者層の木棺墓を主体とした184基の古墳群と判明しました。
  1. 2017/03/09(木) 20:39:32|
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今城塚古代歴史館



今城塚古墳が平成16年(2004)から史跡公園として整備され、古代体験ミュージアムとして平成23年(2011)4月に開館されました。
  1. 2017/03/03(金) 22:15:14|
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0SIM(ゼロシム)が遅いのは本当か?



月間通信量500MB未満は無料というso-netの「0 SIM」。
ネット上では遅くて使えないとありました。
そこで、0SIM(ゼロシム)を申し込みました。

結論はLTEとして動画の視聴は無理でしたが。
しかし、メールやLINEなら月500MBにも達しないでしょうから、メール専用機としてなら使えそうです。
  1. 2017/02/12(日) 06:43:07|
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みんぱく アイヌ展示



国立民族学博物館のアイヌ展示がリニューアルされましたので紹介します。
  1. 2017/02/06(月) 22:52:42|
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京都の社寺



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  1. 2016/10/16(日) 09:37:32|
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初詣の社会史

4130262416初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム
平山 昇
東京大学出版会 2015-12-26



伝統的なものと思われている初詣は、実際には明治期の鉄道が郊外に広がっていく過程で成立・展開してきた近代的な産物であると筆者は指摘する。

とくに、東京では明治天皇に対する二重橋前平癒祈願の記憶が再生される場となった明治神宮が、従来は知識人において「迷信」とされてきた神社参詣が天皇を思う国民の「感情美」として好意的に解釈されたため、知識人を遠ざける心理的障壁にはならなくなった。
そして、「皇室=明治神宮=初詣」を三段論法的に飛躍させて、国民が宮中の四方拝に倣って古くから行ってきたものとして初詣を語る言説が生み出されることになった。
初詣は、知識人によってナショナリズムの文脈でとらえ返され、「国民」の行事となっていった。

江戸の正月元日の恵方詣は近世から行われており、大阪では節分の恵方詣は盛んであった。
東京は元日の恵方詣、大阪は節分の恵方詣という違いはあったものの、郊外へ延びる鉄道が誕生した結果として恵方詣の範囲が郊外の社寺へと拡大される。
明治30年代になると、鉄道網の拡大によって川崎大師のみならず堀の内祖師(堀之内妙法寺)、西新井大師、成田山新勝寺といった郊外の仏閣も参詣者が増大する。

近世の西宮神社は、丹波・丹後・但馬・播磨・淡路といった農漁村地帯の人々や大阪・兵庫の商人が参詣していた。
しかし、明治38年に阪神電車が開業して大阪からの参詣客誘致を行うようになると、にわかに大阪からの参詣客が増加するようになる。
明治40年の節分に際して、阪神電車は西宮神社が大阪から恵方に当たるとして宣伝を行い、参詣客が大幅に増加するという結果をもたらした。
大阪の場合、従来は節分参詣で使用されていた恵方が、鉄道会社によって年頭の参詣にも拡大適用されるようになった。

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  1. 2016/09/08(木) 06:59:55|
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仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか

山本 ケイイチ 『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』 (幻冬舎新書) (2008/5/30)
メタボが気になり、週一ですが筋トレを始めました。
筋力トレーニングには5つの原則がある。
第1の原則は「意識性」だ。
本人の意識がなければ、効果は表に出ない。
第2の原則は「全面性」だ。
トレーニングにおいては、包括的にバランスのとれた運動を組み合わせる必要がある、これが「全面性」だ。
第3の原則は「漸進性」だ。
「過負荷」の原則ともいう。「漸進」とは、「少しずつ進む」という意味である。
年齢が上がるにしたがって、成長ホルモンも出にくくなるから、トレーニングをしていても、筋肉の衰えに、回復・再生のスピードが追いつかなくなる。
常に負荷を大きくしていかないと、筋肉をつけるどころか、現状の筋肉を維持することも難しいのを実感している。
第4の原則は「個別性」だ。
体は一人ひとり違うから、同じトレーニングをしても効果が異なる。
効果を上げるには、個人の個性に合わせたトレーニングをするのが鉄則だ。
個別性の原則に関連して、「SAIDの原則」というものがある。
「Specific Adaptation to ImpoSed Demand(人体は与えられた負荷に見合った適応現象を起こす)」という意味だ。
要するに、やればやっただけ結果が出るし、やらなければ結果は出ない。
第5の原則は「継続性」だ。
たとえlカ所の筋肉を鍛えるだけでも、だいたい6週間ぐらいは同じ方法を続けてやらなければ結果は見えてこない。
この継続性こそ、トレーニングの目的そのものといってもいいぐらい重要だ。

話をまとめると、トレーニングとは、「肉体に何かしらの負荷を与えて、適応現象を引き出すこと」と定義できる。
ここでいう「負荷」とは、肉体に日常生活以上の強度を与えることである。
私の考えでは、適応現象は以下のような公式で表すことができる。
適応現象=「負荷の種類」×「大きさまたは強さ」×「期間」
「負荷の種類」とは、トレーニングでいえば、バーベルを上げるのかヨガをするのか、ランニングをするのかということである。
「大きさ」「強さ」とは 「何キロ上げる」「何回上げる」とか 「一つのポーズを何秒やるか」。
ジョギングであれば、「何分間走るのか」、「どのぐらいの速さで走るのか」ということだ。
「期間」とは、「1回のトレーニング時間は何分か」「何カ月続けたか」「何年続けたか」ということである。
負荷の種類、強度、それと期間。これがトレーニングにとって欠かせない要素だ。
この3つがしっかりと整わないと、適切な反応が起きない。たとえば負荷の種類が多く、強度が大きくても、期間が短ければたいして効果は出ない。

適応現象は、3つの要素に加えて、トレーニングする人の生体エネルギーそのものに大きく依存する。
トレーニングによる疲労によって筋力はいったん落ち、再生の過程で 「超回復」と呼ばれる現象が起こり、筋力は元のレベルよりアップする。筋力はこの繰り返しにより上がってくる。
ここで見落とされがちなのは、与える負荷は、常に前回のトレーニングのときより大きくしていかなければいけないということだ。
しかし50歳で無理をすると、筋肉が壊れてなかなか回復しない。
だから、むやみやたらに負荷を上げて、トレーニング効果を高めるというわけにもいかない。
思うように効果が上がらないのにトレーニングを続けるのは、精神的にはキッいものだ。
しかし、20歳のときと40歳のときでは、忍耐力は40歳のときのほうが確実に上がっているはずだし、目的意識もはっきりしているはずだ。
このような精神の成熟は、加齢による生理的機能の低下を補ってあまりある。
だからトレーニングを始めるのに、遅すぎるということはない。
時間をかけて何かをするという経験がどんどん減っている現代社会においては、自分の体の変化とじっくり向き合う、トレーニングという行為は、精神力を鍛える貴重なチャンスなのだ。
そう思って、積極的にトレーニングに励んでほしい。

山本さんのこの原則を励みに継続しようと思っています。

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  1. 2016/05/08(日) 07:32:03|
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琉球国の滅亡とハワイ移民


鳥越皓之琉球国の滅亡とハワイ移民 (歴史文化ライブラリー)

「沖縄ケンケン豚カウカウ」(ケンは県、カウカウはハワイ語で食べる)
その当時は内地でもそうだったが、ハワイでも沖縄人に対する差別はかなり厳しかった。
沖縄はすでに日本のなかの一つの県となっていたが、言葉が相互に通じなかったことが大きな理由だと沖縄からの移民の人たちは言っていた。
また、沖縄では豚を飼う伝統があって、ハワイでも養豚業をしている沖縄人の割合が高かった。
養豚業は周辺の住民に悪臭を与えるので評判がよくなかった。
そのため、沖縄人は臭いというような言い方など、さまざまな形での差別もあった。

日本人(内地の人)によるいわゆる沖縄人への差別の理由として、通常は二つがあげられている。
ひとつが、沖縄県出身者は他の県の出身者よりも貧しかったからという「貧困」を理由とするものである。
もうひとつは、沖縄県よりも山口県や広島県など他の県の出身者が先にハワイに来ていて、ハワイで一定の地歩を築いていたが、沖縄県民は新参者であったからという、「後発」としての理由である。
これら二点の理由は否定できない事実だ。
けれども、根源の理由は、沖縄が日本によって滅ぼされた(併合)からだと私は解釈している。
この種の差別は、植民地化した朝鮮や台湾(また日清戦争後の中国)の人たちへの差別と同根である。

戦前では全国平均で100人に1人が移民として出て行ったのであるが、沖縄は10人に1人なのである。
その理由はなんであろうか。

それは琉球国の滅亡である。
国の滅亡が高い割合の移民をもたらしたと言える。
国の統治力としてのタガが外れたので流出したし、またタガが外れたことによって、制限が弱くなったからである。
タガがゆるんだという事実は、その当時の為政者にとってはおもしろくない。
したがって、奈良原知事が「時期尚早」論をうちだすのは、実に定石どおりの対応である。
そういうなかで民権運動という「定石破り」の運動が展開され、成果を得たのである。
民権運動は政治運動から移民活動という経済活動に移っていくことによって成功する。
ただ、移民に呼応した人たちは、当山久三の名前を知っている者はいたにはいたが、そのほとんどは、民権運動的な考え方にはまったく無関心で、経済的安定と、できるならば経済的に豊かになることのみを夢見て移民として海を渡ったのが現実であった。

浦崎政平(1908年生まれ)はいう。
学問のない人に限って、沖縄を軽蔑した。
わしら沖縄県人がこちらに来て、「鼻を高くしてよいな」と思うたのは、賀川豊彦先生の話から。
あの人がヒロ(ハワイ島)の大和座で話されたことがある。
人類のこと。歴史のこと。
日本の歴史はふたつある。「現代の歴史」(国が作為的につくった歴史)と「本当の歴史」。
もしずっと大昔の姿をみたいなら、沖縄へ行け、と言われた。
沖縄の言葉にはむかしの日本語があるんだと。
沖縄が大事ゾ、と言われた。
それからみんなが〔沖縄を〕見直した。

唐の世から、大和の世、大和の世から、アメリカ世、アメリカ世から、また大和の世。
沖縄世にはならんではありませんか。(川上喜子)

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  1. 2016/05/07(土) 18:36:51|
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神社の起源と古代朝鮮

神社の起源と古代朝鮮 岡谷 公二『神社の起源と古代朝鮮』 (平凡社新書) (2013/11/19)


白鬚神社は、全国に広く分布している同名の社の本社である。
社伝によると、垂仁天皇25年の創祀と伝え、琵琶湖周辺最古の神社という。しかも式内社ではない。
この事実は、いくつかの興味深い問題を提起する。
一つは、渡来人の祀る神社が、他の神社と同じくらい、或いはそれ以上に古い歴史を持っているのではないか、ということであり、また、たとえ古社であろうが、渡来人の祀る神社は、或る時期、或いは或る時期まで、官社とは認められなかったのではないか、ということである。
白鬚神社が新羅系渡来人の奉祀した神社だとは、ほぼ定説になっている。
その名の初見は応永2年(1395)だという(『日本の神々』)。
それ以前は比良神、比良明神と言われた由で、『三代実録』の貞観7年(865)に「近江国の無位の比良神に従四位下を授く」とあるのは白鬚神社のこととされている。なおこの記録は、この神社の国史における初見である。
ヒラはシラ、シラは新羅の最初の国号である斯盧であり、新羅であり、白である。
比良明神が白鬚の老人の姿をして化現したという伝承がいくつかあり、その辺から白鬚神社という名かついたのかもしれない。
このあたりは、古代の豪族三尾氏の地盤であり、三尾氏は白鬚神社の奉祀者であった。
そして渡来系、とりわけ新羅系の氏族ではないかと考えられている。
近くにある水尾神社の祭神は、現在、白鬚神社と同様、猿田彦命である。

明神山と呼ばれる裏山に途中まで上ってみた。
古墳は複数あるらしく、白鬚神社古墳群と呼ばれているが、詳細はよく分からない。

『日本書紀』によると、継体天皇の父彦主人王は「近江国の高島郡の三尾の別業」にいた時、「顔容妹妙(きらぎら)しくて、甚だ媺(うるはしき)色有りといふ」噂を聞き、越前三国の高向から振媛という女性を迎え、妃とし、天皇をもうけたのだという。
彦主人王が「三尾の別業」にいたのは、三尾氏とのかかわりからであると考えられる。
三尾氏が新羅系渡来人の氏族ではないかと推測させる手がかりの一つに、水尾神社の近くにある鴨稲荷山古墳がある。
6世紀前半の築造で、周濠を有する前方後円墳であり、全長60m以上という規模の大きさといい、副葬品の豊富さと豪奪さといい、近江を代表する古墳の一つだ。
金銅製冠、金銅製環頭太刀、金製耳飾り、金銅製馬具類など、副葬品の多くは朝鮮半島系、とくに新羅系で、金銅製冠は 「かの慶尚南道慶州金冠塚の華麗なものと系統を同じくするもの」(『滋賀県史』)である。
被葬者は彦主人王と考えられたが、現在では三尾氏の首長であろう、というのが大方の意見である。
弥生時代、朝鮮半島から多くの人々が日本列島に渡ってきたわけだが、その多くは地理上最も近い半島南東部彼らがもともと鉄とかかわる人たちだったとするなら、「国、鉄を出す。韓、濊、倭皆従ってこれを取る、諸市に買うに皆鉄を用う。中国の銭を用うるが如し。又もって二郡(=楽浪・帯方)に供給す」と『魏志』の東夷伝弁辰の条に記された地域、のちに新羅に併合される金官伽郡に属する洛東江流域一帯を出自とする人たちだったかもしれない。
このように三尾氏が渡来系氏族だったとすれば、同じ三国の出身で、三尾氏と深いかかわりを持っていた継体天皇も、もしかすると渡来人だったのではあるまいか?

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  1. 2016/04/28(木) 05:26:03|
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ホノルルの街かどから

ホノルルの街かどから   加藤 秀俊   『ホノルルの街かどから』 (中公文庫 ) (1979/01)

初版が出たのが1974年ですから、今から40年程前のハワイ本です。
著者の加藤秀俊氏は70年代の大学紛争で京大を去り、ハワイ大学東西文化センターの研究員となり、一家そろって1年間ホノルルで暮らしました。
その時の出来事を綴った本書にはハワイの良さに溢れています。
その中から少しばかり紹介します。

ワイは「常夏の国」だから、いつでも花が咲き乱れている1というイメージは、けっしてまちがいではない。
一年じゅう、花は咲いている。
しかし、じつさいに生活をしてみると、やっぱりこんな熱帯にも季節があり、そして植物たちもそれぞれのサイクルをきっちりとつくっているのだ、ということがよくわかる。
なるほど、花は絶えることがないのだけれど、11月から4月ごろまでは、どちらかといえば、淋しいのである。プルメリアの、特定の品種は細々と咲きつづけているし、ブーゲンビリアやジャスミンの小さな花も色どりをそえるが、花は、冬のあいだ品不足になる。
そんなわけで、冬のあいだは、ときどき、うちにもフラダンスの踊り子たちが花をとりにきた。

ところが、5月になると、とたんに、島ぜんたいが、文字どおりぐんと花やいでくる。
「ライオンのツメ」という朱色の花がさき、モンキー・ポッドもあざやかな色の花をつける。
ハイビスカスも咲く。プルメリアにいたっては、もう、うんざりするほど咲く。
咲くそばから、ぽろぽろと散り落ち、あとからあとから咲きつづける。
ちょっと風でも吹こうものなら、木の下は花びらでいっぱいになる。
プルメリア
マンゴ 花だけではない。五月のなかはすぎからマンゴの実が熱して、食べごろになる。
このマソゴという果物、正しくはマンゴというよりは、メンゴという発音にちかいのだが、これが、まさしく鈴なりなのである。
実が青いうちは、葉の色とおなじだから、べつに目立たないのだけれども、だんだんとオレンジ色になり、さいごにはリンゴとおなじような赤い色になる。そうなると、壮観である。
なにしろ、住宅の庭にいっぱいこの木が植えられているのであるから、ホノルルの荷じゅうがマンゴの大洪水になってしまうのだ。
5月のハワイは花でいっぱい。こう改めて指摘されると、なるほどなと思います。 
図らずも、5月のゴールデンウィーク後に訪れることを常としています。 
理由は簡単、旅費が比較的安価で済むからですが、最高のシーズンでもあったのですね。
ホノルルの食べもの屋のなかでおもしろいのは「おかず屋」である。
日系の人の多い地区に目立つが、よくさがしてみると、ハワイじゅう、いたるところにこれがある。
看板はOKAZUYAとローマ字で書かれており、ハワイにながくいる人のあいだではすでに、オカズヤ、ということほぼ市民権を得ている。 おかず屋  「おかず屋」とはなにか。
ひとことでいえば、日本の大衆食堂をキャフヱテリア方式にした和洋折ちゅうの食堂である。
規模はそれほど大きなものでなく、しばしば、20人ほどで満員、といった小食堂だ。 P1090507.jpg  なかにはいると、ガラスのケースがならぴ、大きなステソレスの器のなかに、数種類の「おかず」がほいっている。
それは、たとえば、鶏と野菜の煮つけであったり、煮魚であったり、あるいは豆腐であったり、じつにさまざまだが、要するに、日本の標準的な家庭料理のメーニーである。
お客は、それらのメニューのなかで、好みのものを指さし、一枚のお皿に盛りつけてもらう。
店にもよるけれど、一般的な方法としては、好きなもの二品にご飯がついて1ドル35セント、といった均一料金。
味噌汁(ミソ・スープ、とローマ字で書いてある)などは別料金だが、なにをとってみても、きわめて大衆的な値段だ。
価格こそ時代を感じさせますが、今も変わりませんね。

テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報

  1. 2016/04/26(火) 22:02:00|
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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