続・竹林の愚人 2009年03月

新羅の神々と古代日本

新羅の神々と古代日本―新羅神社の語る世界新羅の神々と古代日本―新羅神社の語る世界
(2004/05)
出羽 弘明

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新羅神社の呼称は「しんら」と「しらぎ」が混在し、「白城」、「白木」、「自鬼」、「信露貴」、「志木」、「白井」、「白石」、「白嶺」、「白子」、「白浜」、「白磯」などと変化し、渡来系を社号から消して「気多」「気比」「出石」などと呼ばれる神社もある。祭神も当初の神を抹消したり加神したりして、『記紀』の神話の神を同座させる操作も行なわれてきた。
「新羅神社」は新羅の人々がその居住地に祖先を祭った祠(祖神廟)で、新羅人が居住した地域の氏神として、ほぼ全国にわたって存在している。
大津京の四大寺の中で唯一現存している三井寺は、天武天皇の勅願寺だが、その守護神が新羅神社だ。
『記紀』の天智天皇9年(670)の条に「山の御井の傍に、諸神の座を敷きて、幣帛を奉げられた」とあり、御井は現在の金堂の脇にある閼伽井で、若狭の「若狭井」につながっていると言われている。
寺の由緒は「園城寺は大友皇子の子、大友与多麻呂が父大友皇子(弘文天皇)の死と戦死の兵を弔う為と仏法を護るために天武天皇15年、朱鳥元年(686)に創建しその孫大友夜須良麿等が寺を継承した」(『園城寺伝記』)という。
『本朝続文粋』や『扶桑略記』には、天智天皇が大津の地に都を遷したとき、長子大友皇子は長等山東麓の地を邸宅地とし、清らかな泉水が湧き出たため、ここを御井と名づけ、その後大友皇子が壬申の乱で敗死し、その子大友与多王が父の菩提を弔うために園城寺を創建。その後天武天皇が、大友氏が荘園、城邑を捨てて寺としたことに因み「園城」の額を与えて勅願の寺とし「弥勒如来」を本尊として安置したとあり、貞観8年(866)智証大師円珍により三井寺として再興された。         
新羅神社はかつて三井寺北院の鎮守だったが、北院は明治時代に陸軍に没収され、太平洋戦争後はさらに縮小し、今は新羅神社とその森が僅かに面影を留める。
新羅神社には智証大師円珍の入唐求法の帰朝の際に船中に現れた仏教守護の神、航海安全の神としての有名な伝承があるが、佐伯有清は『円珍』の中で、円珍は博多ー琉球-中国連江県という往路で長安に学び、再び明州から東シナ海を渡って帰っているので、新羅との関係は見られず、園城寺の創立以前に氏寺としていた大友村主氏の氏神である新羅明神が後世になって円珍の話に結びつけられたものと指摘している。
円珍は長安で田口朝臣円覚禅和と会い、円覚の尽力で新羅の人雲居和尚の房に世話になっている。
『新羅大神記』には新羅明神が異国から日本に来た。また新羅明神は新羅保寿寺の玄超から「三種悉地法」を受けた。玄超は善無畏三蔵の弟子で恵果(青龍寺)の師である。法全は恵栗の弟子で円珍の師である。三井寺の『寺門伝記補録』には新羅大明神の大に点を加えて使うとされている。
また、太神にはいくつかの名があり、「朱山王、嶽王、四天夫人、素髪翁。素髪翁は海上に現じた時の名、その他は神嵩山(唐国)及び韓国にいた時の名」としている。さらに垂迹神も「摩多羅神、牛頭天王、朱山嶽、武塔神、祇園三座(牛頭天王、婆利女、少将井)。牛頭天王は素戔鳴命又は武塔神を示し、婆利女は南海龍女である。少将井は稲田姫。備後風土記に北海の武塔神南海の龍女に通う、深津の郡に在す須佐能の神の社なり。五十猛命は南海龍女の子か」と記している。
『延喜式』に宮中で祭る神に園併韓神三座ありとある。園神は曾保理神(新羅の神)で、「園」という地名は大津市の南に「園山」が残っており、志賀郡の古名は「新羅郡」あるいは「曾の郡」であっただろう。
湖西は新羅国でありその中心に新羅人が祖廟新羅社を祭り、仏教が入ってからは新羅寺を建立したものであろう。

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  1. 2009/03/31(火) 08:00:14|
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浦島太郎はどこへ行ったのか

浦島太郎はどこへ行ったのか浦島太郎はどこへ行ったのか
(2005/08/24)
高橋 大輔

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 『丹後国風土記 逸文』には「海中にうかび出で……五色の亀を得たり」とあり、『日本書紀』では「舟に乗りで釣りす つひに大亀を得たり」。
 『浦疇明神縁起』に描かれたカメの絵を亀崎直樹氏はアオウミガメだという。日本近海は甲長40~60cmの若く小さいサイズのアオウミガメが海草や藻を食べながら成長する場所だ。
 五色といえば、中国の五行説につながり、蓬莱山を背負っている亀となり、五色亀とは神亀、つまり蓬莱の神女となる。
 『日本書紀』に「蓬莱山」とされたその場所は、『丹後国風土記 逸文』では「海に浮かぶ大きな島」とあり、大きな御殿の外側を高い壁がぐるりと囲んでいて、入り口には立派な闕門(うてな)がある。絵巻に描かれた蓬莱宮の門は、上に朱塗りの楼閣が設けられた白亜のアーチで、屋根は瑠璃瓦が葺かれている。
 700年代後半に書かれたという『天書』には、478年、浦嶋子が海の龍宮へ行き、神仙を得たとある。浦嶋伝説のルーツを中国に探った君島久子氏の「中国の民間伝承と日本」(『日本民間伝承の源流―日本基層文化の探求』所収)によれば、4世紀に記録された『捜神記』(ろうしんき)第4巻に浦嶋伝説にも通じる神界訪問譚が収められ、浙江省から内陸の洞庭湖まで長江で結ばれた一帯が神界訪問譚の淵源であるとする。478年に、雄略天皇の遣使がたどりついた宋の首都、建康は長江沿いにあり、神界訪問と蓬莱のモチーフが、中国から伝わったと考えれば、ルートも時代もぴったりと当てはまる。
 しかし、そこには日本人、浦嶋子の存在が不可欠で、日本に浦嶋伝説が誕生したのを5世紀頃だとするならば、中国から伝わってきたその不思議な話は、ちょうど300年まえの2世紀、海の向こうへと出かけていって、以後人々が語り伝えていた海人族の族長、浦嶋子の実話と結びついたのではないか。シマコという海人族の長は、丹後半島から大海原へと漕ぎ出し、航海の果てに、姿を現したきらびやかな宮殿。それは渤海に浮かぶ伝説の仙界、蓬莱だった。
 『万葉集』によれば、浦島太郎はどうも大阪人だったらしい。「春の日の かすめる時に 住吉の 岸に出でゐて 釣船の とをらふ見れば 古の 事ぞ思ほゆる 水江の 浦島の児が……」と、浦島の子が「住吉」の人であると詠まれ、それは摂津、大阪のすみよしに他ならない。
 話の舞台ばかりか、『万葉集』は他の伝説と違って、浦島の子はウミガメに会わずして、乗っていた小船で神女とともに海の向こうへと渡っていく。さらに到着するのは「わたつみの神の宮」であり「蓬莱」ではない。玉手箱も「玉匣」(たまくしげ)ではなく、「玉篋」となっている。老人にはならない『丹後国風土記 逸文』とは異なり、『万葉集』では現在の話と同じく、浦島の子は「玉篋」を開けると老人になり、やがて死んでしまう。
 住吉の住吉大社では、海の安全をつかさどる航海神、塩筒老翁は『住吉大社神代記』に、住吉大神のかわりに国見をしたとあり、住吉三神のなりかわりとみなされている。塩土老翁は海彦山幸伝説のなかでも重要な役割を果たす。兄の海幸彦から借りた釣り針をなくして、困り果てた山幸彦を塩土老翁が小さな籠舟にのせて海の向こうへ向かわせ、わたつみの娘トヨタマビメを妻として3年を過ごし、サメの首に乗って帰ってきた。 このように塩土老翁が登場する海彦山幸伝説は『万葉集』の浦嶋伝説に重なってくる。
 蓬莱、わたつみの宮が「龍宮」に統一されるは1400年代以後の『御伽草子』による。しかし、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に「其蓬莱及び龍宮とは今謂ふ琉球か。彼の島に神女有り。蓋し浦島が漁舟、かしこに漂着して然るや」と、琉球と龍宮が同じものだと考えられていた。
 浦嶋子の死後、故郷には彼を祀る祭殿が建てられた。丹後の伊根に浦嶋神社が創建されたのは、浦嶋子が蓬莱へ出かけてから347年後の天長2年(825)のこと。淳和天皇は、小野篁を勅使として丹後に派遣した。そして浦嶋子が玉匣を開いた木の下には、祠が建てられ、浦嶋子は筒川大明神として祀られることになった。

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  1. 2009/03/30(月) 08:00:43|
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北朝鮮、ほかにもミサイル発射準備か

北朝鮮、テポドンのほかにもミサイル発射準備か 産経新聞AFP
産経新聞(Sankei Shimbun)は29日、北朝鮮が4月初頭の長距離ロケットの発射後に、別のミサイルを試験発射する準備を進めていると伝えた。
産経新聞は、防衛省筋の話として、北朝鮮が中・短距離弾道ミサイルを平壌(Pyongyang)東部の元山(Wonsan)から試験発射する準備を進めていると述べた。

Winsan
Musudan-Ri Missile base

基地

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  1. 2009/03/29(日) 23:32:50|
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亀趺(きふ) 亀に乗った墓石

関東の浦嶋寺、慶福寺に移された観福壽寺の浦嶋父子の墓は亀を台座にしていた。
中国を起源にする亀趺(きふ)で、須弥山や蓬莱山を背負う不動の象徴という。

亀01
臨川靖王蕭宏碑  普通7年(526)

国内で最も知られるのは、以前に取り上げた神戸の湊川神社にある楠正成の墓である。
データが失われたのでここに残す。

楠公
嗚呼忠臣楠子之墓 元禄5年(1692) 徳川光圀建立。

碑文
   碑面 徳川光圀筆     碑陰 朱舜水撰 岡村元春書

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  1. 2009/03/29(日) 09:07:09|
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網野の浦嶋

網野神社
網野神社(あみの) 京都府京丹後市網野町網野789
式内社
祭神:日子坐王(ひこいます)、住吉大神(すみよし)、浦嶋子神(うらしまこ)
第9代開化天皇の御子神日子坐王を奉り、住吉大神は大阪住吉大社より分霊を受け
(1600年頃)浦島子神と共に鎮祭されている。
元宮は銚子山古墳に近い宮山にあり、享徳元年9月(1452年)現在地に遷座される。
元の本社の社殿は現在の蚕織神社であるが、現在の本社は大正14年再建。

嶋児
嶋児神社(しまこ) 京丹後市網野町浅茂川明神山382
祭神:嶋子神
福田川河口の明神山に鎮座。浅茂川明神ともいう。
背後の海中に島子が釣りをした釣溜岩があり、社のそばに鏡掛松があった。

亀塚
亀塚

しわ榎
しわ榎(しわえのき) 京丹後市網野町網野
竜宮城から戻った浦島太郎(浦島子)が、ここで玉匣を開けて、顔じゅうシワだらけとなり、
悲しみのあまりシワをちぎって、この木に投げ捨てたとされる。

六神社
六神社(ろく) 京丹後市網野町下岡宮ノ越1160
祭神:天児屋根命(あめのこやね)、浦嶋太郎(うらしまたろう)、嶋子神(しまこ)、島垂根命(しまのたるね)、伊満太三郎(いまたさぶろう)、綿積乙女命(わたつみのおとめ)
明治14年(1881)の大火で下岡村の60戸のほとんどを消失し、神社の由来も不詳となる。

釣溜
釣溜(つんだめ)
釣った魚を入れておく潮溜まり

福島
福島 
浅茂川港に浮かぶ福島の頂に乙姫を祀る西浦福島神社が鎮座していた。

西浦神社
西浦神社(にしうら) 京丹後市網野町浅茂川蛭子山
祭神:西浦里人霊神
西浦福島神社、祭神:綿積乙女常世比女神(わたつみおとめとこよひめ)を合祀

地図

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  1. 2009/03/29(日) 08:10:06|
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宇良神社

宇良神社
宇良神社 浦嶋神社 京都府伊根町本庄浜191
祭神 浦嶋子 相殿神-月読命祓戸神
式内社
浦嶋神社は宇良神社ともよばれ、創祀年代は淳和天皇の天長2年(825)7月22日とされ、
浦嶋子を筒川大明神として祀むるのが始めであると伝えられる。
醍醐天皇延喜5年(905)撰上の「延喜式神明帳」に、宇良神社(うらのかむやしろ)として所載されている。
曼陀羅
浦嶋明神曼陀羅

玉手箱
玉匣

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  1. 2009/03/29(日) 08:05:20|
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丹後の伝説

浦島太郎            伝承地 京都府竹野郡網野町

 今からだいたい1500年前、雄略天皇の御代に浦島太郎は、網野水の江の里の日下部首という豪族の家柄に生まれ、今の寛平法王陵の横の屋敷に住んどったげな。小さい頃からどえらい魚釣りが好きで、浅茂川の燈台下の釣溜岩の所に浦島は釣りあげた魚を溜めとったということだ。
 ある日八丁浜から小舟で沖へ出て3日3晩も魚釣りをしたけど魚は1尾もかからず、5色の亀がとれただけ。そのうち眠気がしたんで、その不思議な亀を舟の中に置いて眠りこんでしまったら、舟は沖に流されてしまっただそうだ。ふと目を覚ますとおかしなことに五色の亀はどえらいきれいな女の姿に変っていたげな。浦島はその女に誘われて海中の蓬莱山の竜宮に連れて行かれたんだげな。その女は竜宮の亀姫(乙女姫)だったそうな。毎日どえらい歓待をしてもらった浦島は、きれいな亀姫と結婚したけど、すぐに3年も過ぎて浦島は故郷がだんだん恋しくなって、
「一べん帰って両親や村人に会うて見たい」と言うと、亀姫はがさい悲しんだけども、
「もう一度竜宮に戻るために決して開けたらあかんで」と言って玉匣(化粧品を入れた玉手箱)を浦島にやったそうだ。
 だがなあ、故郷に帰ってみると、両親はとうの昔に死んどったし、村人は誰も浦島を知っておらなんだそうだ。村人の話でとうに300年も年が過ぎたことを知ったんだげな。浦島は、あんまり淋しがったんで亀姫の言葉を忘れて玉匣を開けて見ると、中からばっと白い煙が立ちのぼり、たちまち白髪の爺さんになっちまったそうだ。びっくりした浦島は急に出来た顔の穀をむしりとって、屋敷そばの木に投げつけただといな。今もなお屋敷跡にあるがさい皺だらけの「しわよのび」の老木がそれだそうな。また、浅茂川の川裾山にある小さな祠の浦島児社(嶋児神社)には浦島が祭ってあるということだし、それは丹哥府志に書いてある奈古社がそれだということだげな。また、福島には乙姫が祭られている。
祠の裏の松の枯木が鏡かけの松だそうだ。古い絵図に載っている釣溜岩と川裾山との間にある潮流の早い所を布引の滝ともいうとるが、それはもと浦島の滝ともいうたもんだいといな。それから嶋児神社横の霊亀之塚は明治34年5月大人でも乗れそうな大海亀が流れついて来たんだが、浦島を慕って遠く竜宮からやって来たんだろうか。疲れきってとうに息をひきとっておったそうな。村人が大事に葬って亀塚を作ったんだそうだ。
 ある年寄の話だと、浦島はある日小舟で魚とりに出て沖に流され、航行中の外国船に救われて、今の韓国に渡り数十年後に中国の浦口からの便船で、丹後由良の港へ送還されたらしい。浦島は故郷の網野へ帰るため海岸づたいに与謝郡の本庄まで辿り着いて、そこで死亡したのだそうだ。

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  1. 2009/03/29(日) 08:00:48|
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浦嶋明神縁起絵巻

浦嶋明神縁起絵巻  室町時代初期(14世紀前半) 1巻 紙本着色
 32×940cm 京都、浦幌神社(宇良神社)
浦嶋子を祭神とする神社に伝わる絵巻。
神社の縁起のあと、祭礼の様子が描かれ、中世の祭りや芸能の記録にもなっている。

釣り
波打ち際に立っ浦嶋子

02
舟で海に漕ぎ出た浦嶋子は亀を釣り上げる

03
亀は美しい姫君に変身する

蓬莱宮に行く
蓬莱山に招かれる浦嶋子

宮殿
姫と結婚し歓待されるが、やがて望郷の念を強くする

故郷に戻る
故郷はすっかり変わり果て、300年余が経過していた

玉手箱
浦嶋子は涙をふきながらさまよい、ついに玉手箱を開けてしまう

筒川明神
玉手箱を開けた場所に、浦嶋子を祀る茅葺きの祠がつくられる

遷宮
遷宮が行われ、立派な社殿となる

奉納相撲
相撲や競馬が奉納された


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  1. 2009/03/28(土) 10:00:11|
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丹後半島歴史紀行

丹後半島歴史紀行―浦島太郎伝説探訪丹後半島歴史紀行―浦島太郎伝説探訪
(2001/07)
滝音 能之三舟 隆之

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浦嶋明神縁起』の成立は14世紀の初頭とされている。
絵巻物には詞書という文字の部分があるが、この絵巻物は全体が絵のみで成り立っている。
横幅53cmの紙を18枚つないであるが、その継ぎ目をみても詞書があった可能性がみられない。
縦32.8cm、全長9.6mという大作の絵巻物で詞書がまったくないというのは不思議なことだ。
『浦嶋明神縁起』には浦嶋子の物語と浦嶋子が神となり神社に祀られ、そこで祭礼がにぎやかにおこなわれている様子が描かれている。
御伽草子の『浦島太郎』の最後に、「其後浦島太郎は、丹後国に浦島の明神と顕れ、衆生済度し給へり。亀も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。」となっている。浦島太郎は明神、すなわち神になっている。
『浦嶋明神縁起』でも、浦島太郎は浦嶋大明神として祀られている。
浦嶋大明神は現代の与謝郡伊根町の宇良神社のことで、浦島太郎を祭神とする神社は丹後半島をはじめとしていくつもみることができる。
しかし、浦島太郎が神社の祭神として祀られるようになるのは、平安時代以降で、それ以前の浦嶋子伝承、たとえば、『丹後国風土記』をみると、「玉匣」を開けてしまった「浦嶼子」は、たちまちにして若さを失い、首をめぐらしてたたずみ、涙にむせんであちこち徘徊してまわることになり、神になどなってはいない。
また、『万葉集』の場合は「若かった膚もしわしわになり、黒かった髪もまっ白になり、それに加えて、気さへ絶えて 後つひに 寿死にける」と、最後は絶命している。
このように、奈良時代には、浦嶋子を神と位置づけるような発想はみられない。
浦嶋子のことは、実のところあまりよくわからない。
『日本書紀』をみると、「丹波国の余社郡の管川の人瑞江浦鳴子、舟に乗りて釣す。」とあり、『万葉集』でも「水江の 浦島の子が 堅魚釣り 鯛釣り矜り 七日まで 家にも来ずて 海界を 過ぎて漕ぎ行くに」とあるばかりで、ふつうの漁師としかわからない。
『丹後国風土記』には、「与謝の郡、日置の里、此の里に筒川の村あり。此の人夫、日下部首等が先祖の名を筒川の嶼子と云ひき。為人、姿容秀美しく、風流なること類なかりき。」とあって、浦嶋子は豪族の祖先で、美男子とあるが、神にはなっていない。
しかし、中世に成立した御伽草子の『浦島太郎』や『浦嶋明神縁起』には、浦島太郎は神となっている。

現在、浦島太郎(浦嶋子)を祀る神社は、丹後半島に浦嶋(宇良)神社、網野神社、島児神社、西浦福島神社、六神社などがあげられる。
このうち、字艮神社と網野神社とは式内社でもある。
字良神社は伊根町字本庄浜に鎮座し、そばを筒川が流れている。
浦嶋大明神・筒川大明神などともよばれ、浦島太郎を祀る神社の代表格だ。
『丹哥府志』や『宮津府志』によると、祭神は浦島太郎の他に曽布谷次郎・伊満太三郎・嶋子・亀姫となっている。このうち、曽布谷次郎と伊満太三郎は浦島太郎の弟という。
創建は、社伝によると淳和天皇の天長2年(825)で、『延喜式』にみえる字良神社に比定されており、少なくても10世紀のはじめには官社として公認されていたことが知られる。
『延喜式』には祭神は一座の扱いになっている。
もうひとつの式内社である網野神社は、網野町字網野大口に鋲座し、祭神は、水江浦嶋子神・水江日子坐主命・住吉大神となっている。
『延喜式』には竹野郡の中の一社として記載され、祭神は一座となっている。
その他には、島児神社が網野町字浅茂川にあり、福田川が日本海へ注ぐ河口の明神山とよばれている小さな丘の上に鋲座している。
社殿の後方には日本海がひらけていて、ここから、浦島太郎が釣りにでかけたと伝承されている。
鳴子の神を祭神とし、付近には浦島が釣りをしたと伝えられる釣溜岩という岩もある。
この島児神社と近接して、浅茂川港の中の福島の上には西浦福島神社が鎮座している。
この神社も浦島太郎を祭神としているが、この祭神については、乙姫であるともいわれている。
また、網野町字下岡小字宮ノ越には、六神社がある。
この神社の祭神は、浦島太郎・嶋子の神・島重根命・伊満太三郎・綿積乙女・天児屋根命の六神となっている。
これらの諸社は、字良神社と網野神社が式内社であるという点を除くと、平安時代の中頃を契機として、浦嶋子は神として祀られるようになったようだ。

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  1. 2009/03/28(土) 08:00:45|
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観福寿寺 (浦島寺)

絵図
『江戸名所図会』
護国山 観福壽寺 東子安村新宿。海運より右の方の山脇にあり。世に俗浦島寺と称す。
昔は帰国山浦島院といひける由、縁起に見えたり。当寺は淳和帝の勅願にして、檜尾僧都開基たり。
本堂、本樽聖観世音菩薩(立像にして御長1尺3寸あり。世に浦島の観世音とのみも称せり。
寺伝に云く、、当時浦島子蓬壺の蘭台にあそぴ、旧里に去らんとするの日、神女一箇の玉匣と共に、大悲の尊像をあたへて日く、子今本土にかへり去らんとす。よって渡海風波の難を凌ぎ、また長生ならしめん事をねぎ思ふと。竟に島子故郷に帰り去るののち、むさしの国霞が浦にいたり<今のかな川の地なり>尊像の告により父のつかの地をしり、傍に草堂を結んで、かの大悲の霊像をうつしまゐらすとあり)
浦島明神(本堂に安ず。八千歳の御社とも称するよし縁起にみえたり。この社はすなはち浦島太郎の霊をまつる。開山檜尾僧都より五位の後、勝海上人の時に至り、寛平七年七月七日霊告ありしより、毎歳七月七日を祭日するといへり。今丹波国竹野郡阿佐茂川の束網野村といへるに、浦島子の霊社あり、浅毛河明神と称せり。また網野明神とも号くるよし、『詞林采葉』および『神社啓蒙』等の書に見えたり。『和漢三才図会』に、浦島子は根見命の後胤なりとあり。考ふペし)
亀化大竜女(同本堂にあり。浦島子海上に釣を垂れて得たりし霊亀を祝ひまつるといへり。渡海安穏守護の神なりとて、船入多くこれを崇敬す)
竜燈の松(寺の後の方、山の頂にあり。伝へいふ、この樹上今も時として竜燈の懸かる事あり。当寺の本尊は竜宮相承の霊像なれば、その証としてかくのごとしとなり)
目当燈籠(竜燈の松の下にあり。夜中入津の船の便とす。享保の頃、この地の農民松井某建立せしとて、今に連綿たり)
菩提樹(当寺山林に数珠ありて、年々に業生す。相伝ふ、浦島子竜の都よりもたらし来る所なりと)
浦島太郎の墓(堂前にあり、島子自ら建て置きしゆゑに齢塚といふなりといへり)
同足洗井(道の傍にあり。今も里民の用水とせり。また布袋丸の井ともいふとぞ)
同腰掛意志(その旧跡今さだかならす)
浦嶋塚

蓮法寺
横浜市神奈川区浦島丘にあったが、慶應4年(1868)の大火で縁起書は焼失、観福壽寺は廃寺になり、跡地には大正末期に日蓮宗蓮法寺が建ち、浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑がある。

慶運寺
幸い、本尊や浦島関係の資料は焼け残り、1キロほど西南の、観福寿寺と所縁のあった慶運寺に、浦島親子の墓と共に移された。

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  1. 2009/03/28(土) 07:58:47|
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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