続・竹林の愚人 2009年08月

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将軍様の錬金術

将軍様の錬金術―朝銀破綻と総連ダークマネー (新潮新書)将軍様の錬金術―朝銀破綻と総連ダークマネー (新潮新書)
(2009/03)
金 賛汀

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朝信協が最盛期を迎えた1997年、本店数38、店舗数170、1997年8月現在の預金額は2兆2446億円に達し、組合員数は22万2301人を数えた。この預金高は中堅の地方銀行に匹敵した。
民族系信用組合は1950年代の設立当時から、1980年代初期の間は在日朝鮮人の為の金融機関として在日社会に貢献し、信頼を得て、在日同胞の事業展開を助けるという目的意識が1980年代までは強く残っていて、経営を拡大していった。
危ないと思われる案件に、巨額の融資が可能になったからくり作りは、1961年5月、朝信協第9回総会で正式に機関決定し、朝信協が朝鮮総連に加入した時から始まる。
1956年度、石炭生産は韓国の5倍以上、鉄鋼生産高は3倍、発電能力は5倍。人口が韓国の約半分の北朝鮮が、総ての工業生産量で韓国を陵駕していた。その北朝鮮の経済発展がおかしくなったのは60年代に、金日成がチュチェ(主体)思想を国是として、経済における自立、政治における自主、軍事における自衛など、外国に頼らず総てを自国の資源、資金でまかなう「自力更生」政策を打ち出してからだ。
金日成の後継者金正日が、自らの権力強化のために、「三大革命」を唱え、自分に忠実な若手の朝鮮労働党員を「指導小組」として北朝鮮各地で監視監督に当たらせた。この振る舞いが経済不振を強めた。
1959年の在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業は、社会主義朝鮮が資本主義韓国よりも優れていることを国際社会にアピールする意図から推進されたが、在日帰還者たちがとても豊かに見え、北朝鮮には無い最新工場設備や技術を持ち帰ってきたことに北朝鮮指導部は驚いた。
そこで、朝鮮総連を通じて、在日支配を強め、在日の人々の資産を「愛国事業」へ献金という口実で吸い上げるようになる。
北朝鮮が帰還者たちの持ち帰る物や技術から、現ナマを中心とした献金に変えたのは、北朝鮮の生活が「地上の楽園」ではなく、自由の無い、貧しい社会であることが帰国者の手紙などから知れ渡り、帰還者が途絶えたからだ。
経済不振から抜け出せず、アメリカなどの攻撃から「防衛」するため、軍備の拡張と核開発に着手。総連に1986年9月、金正日の「マルスム」により、朝鮮総連は自ら商売をして、その利益で組織運営と北朝鮮に献金するように要求され、パチンコ店の全国展開と、地上げを中心とする不動産関連投機に全力投入する決定がなされた。
当初は大金を得るものの、バブル崩壊から、朝鮮総連経営パチンコ店が破綻し、朝銀には不良債権の山だけが残され、1997年の朝銀大阪の破綻以降、16の朝銀信用組合が破綻した。
2002年12月、預金保険機構は破綻朝銀関係に約1兆4000億円の公的資金が投入され、旧朝銀は朝鮮総連から完全に切り離され、再建の道を歩み始めた。
破綻した朝銀には管財人が入り、厳しい帳簿の点検がなされ、2001年11月までに、10の朝銀旧経営陣40人に、総額90億円の損害賠償を求める訴訟がおこされた。また、朝銀の不正融資に朝鮮総連中央が深く関わっていることが調査を進める中で明らかになっていき、裁判で有罪判決を受けていく。
2006年12月、元財政局長が獄中で病死すると、北朝鮮から「英雄称号」を授けられた。この英雄称号授与は横領など一切の否認を貫き、防波堤の役割を果し、「横領」した金を北朝鮮に「献金」した「功績」に対して与えられたものであろう。
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  1. 2009/08/31(月) 12:24:29|
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四天王寺七宮



四天王寺七宮(してんのうじしちみや)
聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その守護として近辺に造営された七神社。


小儀神社おぎじんじゃ速素盞鳴命天王寺区勝山1-11大江神社に合祀
土塔神社どとうじんじゃ速素盞鳴四天王寺南門前大江神社に合祀
河堀稲生神社こぼれいなおじんじゃ崇峻天皇天王寺区大道3-7-3
久保神社くぼじんじゃ天照皇大神天王寺区勝山2-5-14
大江神社 おおえじんじゃ豊受大神天王寺区夕陽丘町5-40
堀越神社ほりこしじんじゃ崇峻天皇天王寺区茶臼山町1-8
上之宮神社うえのみやじんじゃ欽明天皇天王寺区上之宮町大江神社に合祀


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  1. 2009/08/30(日) 09:50:08|
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堀越神社

堀越
堀越神社(ほりこしじんじゃ)  大阪市天王寺区茶臼山町1-8
第33代推古天皇の御代、時の摂政聖徳太子が、太子の叔父君に当たらせられる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、風光明媚にして長松直々たる茶臼山の地をえらばれ、四天王寺建立と同時に当社を創建された、四天王寺七宮の一つ。

狛犬02狛犬01
狛犬 昭和45年7月吉日

鳥居
鳥居 平成21年2月

注連
注連柱

拝殿
拝殿

本殿
本殿   祭神:崇峻天皇

社01
白龍社

神木
神木 樹齢550年という。

鎮宅
鎮宅  太上神仙鎮宅霊符尊神(だじょうしんせんちんたくれいふそんじん)

黒龍社
黒龍社

熊野
熊野第一王子之宮  天王寺鳥居前の熊野神社「三熊野大神」を合祀。

稲荷
茶臼山稲荷社 大坂夏の陣の後、茶臼山から当地に遷座。

旧狛犬02旧狛犬01
旧の狛犬 寛政12年。

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  1. 2009/08/30(日) 08:10:01|
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谷の清水

地蔵02
清水の井戸  大阪市天王寺区掘越町
元井戸は西南方崖上にある噴井で、その湧水を土管を地下に通して導いていたが、戦後止まってしまった。
『摂津名所図会』 谷の清水(庚申堂の南1丁ばかあり、清泉にして甘味あり。四天王寺名水の其の一なりと云ふ)

地蔵01
清水地蔵尊

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  1. 2009/08/30(日) 08:05:54|
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庚申堂

山門
庚申堂(こうしんどう)  大阪市天王寺区堀越町2
今から1300年ほど前、文武天皇の御代(697~707・飛鳥時代)、わが国にはいろいろ疫病が流行り諸人が多いに悩み苦しみ、良医の薬や高僧の祈りを求めるなどさまざまなことをおこなったが何の効験もなかった。この頃、津の国四天王寺に僧都・豪範という貴い御僧があって、慈悲の心深く、広く人間の悩みを助けようと天に祈りつづけていた。そしたら天宝元年(701)庚申年の正月7日庚申の日に、年の頃16才くらいとおもわれる一人の童子が現れ、「帝釈天が、汝の人の悩みを憐れむ至誠を感じて、除災無病の方便を与えよ、との命により天から降ってきた」と告げた。豪範が、その時感得した青面金剛童子を祀ると、さしもの疫病も退散したという。

庚申堂01
本堂 本尊:青面金剛童子  昭和20年3月13日の空襲で焼失し、万博の法輪閣を昭和46年に移築。


大阪万博の無料休憩所「法輪閣」

三猿堂01
三猿堂

三猿堂02

九龍
九頭龍大権現

石仏
聖観音像の背後に古い庚申塔が並んでいます。


『摂津名所図会』 (南大門の南にあり。青面金剛〈三申〉梵天帝釈〈四鬼〉薬師如来・如意輪観音・地蔵菩薩等を安置す。庚申の日毎、詣人大いに群をなせり。文武帝御宇大宝元年正月七日庚申の日、当寺住侶正善院民部僧都亳範(ごうはん)感得ありし霊場なり。されば本朝最初の庚申とす)

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  1. 2009/08/30(日) 08:00:24|
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敵国人抑留

敵国人抑留―戦時下の外国民間人 (歴史文化ライブラリー)敵国人抑留―戦時下の外国民間人 (吉川弘文館)
(2009/02)
小宮 まゆみ

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アジア太平洋戦争中、アメリカ合衆国では12万5,000人にもおよぶ日系人が強制収容され、辛酸をなめたことは有名だが、日本でも連合国側民間人を組織的に抑留した。
抑留所は国内や、朝鮮や満洲、オランダ領だったインドネシアなどの占領地に設けられた。
外国人の抑留は、開戦直前の1941年11月28日に、内務省警保局より発せられた「外事関係非常措置に関する件」という通牒に規定され、青壮年男子のみが抑留対象となって、各県警察では7月から外国人の所在の確認を行ない、抑留所の予定場所も決められていた。そして12月8日のアジア太平洋戦争開戦と同時に、いっせいに外国人の抑留が開始された。
『外事月報』によると、12月末の時点で全国34ヵ所に342名の外国人が抑留された。
それに、外交官として大使館や領事館内に軟禁された外国人258名、スパイ容疑で警察や憲兵隊に検挙拘留された外国人105名、合計700名あまりと、在留英米系外国人の3分の1がいっせいに身柄を拘束された。
当時、横浜や神戸には、革命を逃れて渡来した旧ロシア人が生活していたが、彼らは基本的には敵国人とみなされず、抑留の対象にもならなかった。
兵庫県抑留所には12月の開戦時点で44名が抑留され、抑留者数は神奈川・宮城に次いで全国3番目に多い。抑留所とされたのは、神戸市灘区青谷町カナダ学院寄宿舎(兵庫県第1抑留所)と、神戸区(現、中央区)北野町のイースタンロッジ(兵庫県第2抑留所)である。
日本軍が東南アジアや太平洋の島々を占領すると、占領地から民間人が連行された。その第1陣はグアム島のアメリカ人132名で、母子2名をイースタンロッジ(兵庫県第2抑留所)に、男子56名を神戸市神戸区(現、中央区)北野町のバターフィールドエンドスワイヤー汽船社宅、男子74名を海岸通に近い神戸市神戸区(現、中央区)伊藤町のシーメンスミッション・インスティチュート(兵庫県第4抑留所)に分割収容した。兵庫県に収容された抑留者は、開戦後1カ月で一挙に176名と全国最大となった。
8月18日には、内務省警保局から「敵国人の抑留に関する件通牒」が発せられ、新たに女性や高齢者を含む教師・宣教師・修道女・保母152名が抑留の対象に加えられた。
神戸抑留所に抑留されたグアム島のアメリカ人は、早くから赤十字国際委員会に公表され、比較的優遇されていたと思われ、42年2月にグアム島民間人が病死して以降、死亡者は出ていなかったが、43年9月から45年8月の終戦までのあいだに、計10名の死亡者が出ている。やはり食料や医療の不足が原因になったものと思われる。
空襲の公算の大きい地域の抑留所の移転が要請され、44年4月、兵庫第1抑留所(カナダ学院)、第3抑留所(バターフィールドエンドスワイヤ)、第4抑留所(チャータード銀行社宅)は閉鎖され、男子抑留者159名は再度山の養護学校「竹馬学園」林間学校を接収した抑留所へ移転。7月には神戸第2抑留所(イースタンロッジ)に収容されていた修道女など女性40名が長崎抑留所(聖母の騎士神学校)へ移動し、入れ替わりに長崎抑留所から男子15名が再度山の抑留所へ収容され、男子ばかり174名が暮らすことになった。
1945年3月17日の神戸大空襲で市街地は火に包まれたが、再度山は空襲を避けることができた。
戦後、再度山には9月8日、米軍の救出部隊がやってきて、その日の夜行列車で横浜に移動し、翌日厚木飛行場から沖縄経由でマニラに飛び、9月24日、ハワイホノルルに到着した。
敵国人抑留所に収容されていた外国人のうち、横浜や神戸で貿易などの仕事に携わっていた在日外国人たちは、解放されても仕事や財産を失っていた。外国人経営の会社は、敵国財産として売却されており、戦後、当時の日本の国力に見合う程度の補償が行われたが、かつてのような事業を再開することは不可能だった。
横浜・神戸に明治時代以来形成されてきた「外国人社会」は、戦争中の敵国人抑留政策によって完全に失われ、戦後も復活することはなかった。
抑留自体についての補償はまったく行なわれていない。

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  1. 2009/08/29(土) 08:00:38|
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日清戦争

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)
(2009/03/19)
佐谷 眞木人

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日本では日清戦争よりも10年後に起こった日露戦争のほうが、より大きな出来事と意識され、その後の韓国併合や、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争、連合国による占領などが「垂大事件」と意識され、日清戦争はその蔭にかすんでいる。しかし、日清戦争こそ東アジアの政治秩序を揺るがしはじめた最初の事件で、日清戦争から日本は侵略を開始し、台湾の割譲から日本の植民地支配が始まった。
朝鮮の独立を進め、近代化を助けるという「善意」のもと、その近代化の「指導のために」、「併合」という表現を用いて植民地化を進める。その始発点が日清戦争だった。
日清戦争が勃発すると、「戦争だ、それ行け」とばかりに、新聞各社は特派員を戦地に送りこんだ。その数は、全国66社から129名と伝えられる。
明治23年(1890)に、当時28歳の徳富蘇峰によって創刊された『国民新聞』は、「平民主義」を掲げ、既存の政治党派とは距離を置く「独立」新聞をめざし、日清戦争に社員、社友、臨時徴発を合わせて30人近い従軍記者を戦地に送りこみ、発行部数を7,000部程度から2万部を超えるまでに拡大させた。
当時、大流行した軍歌『敵は幾万』で、清兵は「烏合の勢」だという意識が社会に広く共有され、清は日本よりも文化的に遅れているというメッセージも、新聞を通して繰り返し報道された。
旅順を攻撃した第2軍には、5人の外国人記者が従軍し、ニューヨークの日刊紙『ワールド』の記者クリールマンが送った記事は、旅順において日本軍が占領後の3日間にわたってほぼ全市民を惨殺したというショッキングな内容で、世界に大きな衝撃を与えた。
日本国内の新聞は、このような外国メディアの報道にいっせいに反発し、とくに福沢諭吉が率いて「独立系」を標模した『時事新報』がもっとも強硬な反論を繰り返した。新聞がこのような報道姿勢だったから、日本の一般市民は、旅順でなにが起きたのかを知る由もなかった。
『東京朝日』(明治27年8月2日)は、「戦争は最大教育なり」と適する社説を載せている。戦争は、「国民の一致団結」を強固にする「好機会」である。また、戦争は「国家教育の大精神」を「鼓舞する」ためにも非常に有益だ。とくに、教育においては地理歴史のような学科は活きた知識となるだろうし、身体を鍛錬する体育の重要性も容易に理解されよう。また、戦争が勤勉貯蓄の必要性を非常に感じさせることも、争えない。戦争は教育の「一大原動力」なので、これに着目して活用すべきである、と説いている。
日清戦争を経験することによって、日本は近代的な国民国家になった。それは日本人の誰もが「日本国民」という意識をもち、国家のために奉仕することを誇りと思い、国家と運命をともにする政治体制だった。その原体験としての日清戦争という狂気が、圧倒的な熱狂の記憶として日本人に共有されたことが、日本における国民形成と深くかかわっている。

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  1. 2009/08/28(金) 08:00:04|
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日本古代の伝承と歴史

日本古代の伝承と歴史日本古代の伝承と歴史
(2008/05)
渡里 恒信

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継体天皇の祖先について-息長氏との関係-
継体の出自については、息長系譜第三系の史実性は認められており、問題はそこから第二系(の過半)の史実性を否定し、これを舒明以降天武朝にかけての”王権史の構想”による作為とみるのが地方豪族説であり、その史実性を大筋で承認し息長氏を継体王系の姻族と位置づけるのが王族説である。
記紀は継体を応神五世孫とするが、その間の四代を明記せず、これが継体の出自に関する疑惑の発生源ともなっている。
四代を完全に記す上官記系譜は、記紀や『万葉集』、推古朝とされる金石文や藤原宮跡出土木簡の用字法と比較して、その成立時期は推古朝前後ないし大化前代と判断されている。
5世紀のいわゆる倭の五王の時代には、いまだ世襲王権は成立しておらず、『朱書』倭国伝には、倭の五王のうち讃・珍のグループと済・興・武のグループとの間の続柄が記されていない。五王は記紀天皇に比定され、反正・允恭を兄弟関係で結んでいるが、それはのちの一系的皇統観による造作で、本来この2つのグループは別個の王統であったと考えることができる。
記紀の応神から継体にいたる系譜は、基本的に凡牟都和希王から継体にいたる上宮記系譜と同一である。上宮記系譜が継体・欽明が本来保持していた系譜だとするなら、欽明朝後半期に凡牟都和希王の位置を応神が占めるようになり、この系譜は一系的皇統譜に合体することになったと思われる。また、この系譜は皇統譜の一異伝として残り、『上宮記』に「一云」として引用されたとみられる。
継体の出身地について、記は「故、品太天皇の五世孫、哀本抒命を近つ淡海国より上りまさしめて、手白髪命に合はせて、天の下を授け奉りき」(武烈記)と簡単に記すが、継体即位前紀は詳しく、継体五十七歳のとき武烈が崩じ、「継嗣」が絶えそうになったので、大伴金村らによって「三国」より迎えられ皇位に就いたとあり、上官記一云も同趣旨のことを記している。記紀との相違は、父系出自に重点を置くか、父亡き後母方で育ったことに重点を置くかの違いで、矛盾するものではない。
継体が比較的早い時期に娶った后妃は、尾張連氏、三尾君氏(2名)、息長真手王の女、坂田大俣(跨)王の女など、近江から越前・尾張すなわち畿外北方・東方地域の出身者で、おそくとも舒明朝以前、坂田郡には息長公の祖先たる王族が居住し、臣籍に降下して息長公になったと想定される。
4~5世紀の大和王権には各地から豪族が出仕したが、近年、忍阪遺跡から5~6世紀のフイゴの羽口や鉄滓が出土し、付近に鍛冶工房の存在が予想される。これに対して、北近江とくに息長氏の本拠である坂田郡では、3世紀頃の近江町高溝遺跡・顔戸遺跡・法勝寺遺跡などからフイゴの羽口や大鍛冶滓が出土しており、息長連氏の大和における拠点が忍坂であったとみられる。
二俣王の子オホホド王は、進出した坂田で息長連氏・坂田氏などの女を娶り、息長某王・坂田某王をもうけ、これらの後裔が息長公(真人)・坂田公(真人)となった。他方、オホホド王の子乎非王から継体にいたる系統も坂田に土着し、継体は親族である息長系・坂田系王族とも姫を結んだというのが私見である。

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  1. 2009/08/27(木) 08:05:04|
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バクチと自治体

バクチと自治体 (集英社新書 495H)バクチと自治体 (集英社新書)
(2009/05/15)
三好 円

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公営ギャンブルは戦後間もない時期に生まれた。その最大の目的は、戦争で破壊された市街地の復興と、破綻寸前だった地方財政の改善にあった。公営ギャンブルは戦後の日本が生み出した大発明で、もし公営ギャンブルがなかったら、日本の復興は10年は遅れていたかもしれない。
しかし、誕生から約60年の歳月が流れ、公営ギャンブルを取り巻く環境は大きく変わった。売上の減少によって赤字となり、撤退する自治体が相次いでいるのだ。
現在、日本中央競馬会(JRA)によって開催されている中央競馬の前身は、1923(大正12)年に誕生した。一方、地方競馬の前身は、「村の祭り」などに際して行われた草競馬だった。27(昭和2)年になって農林・内務省令として「地方競馬規則」が公布され、「地方競馬」という呼称を獲得した。    
戦後、地方競馬の開催により新しい財源を得た東京都は、「毒を食らわば皿まで」と、次々と新しい公営ギャンブルに手を出した。1948(昭和23)年7月3日に自転車競技法が成立すると、9月には開催の準備に着手。1951(昭和26)年6月にはモーターボート競走法が公布されると、54(昭和29)年6月には実施されている。
1973(昭和48)年に中央競馬に登場したハイセイコーは競馬を変えた。いや、わが国のギャンブルのあり方を変えた。事実、東京都がすべての公営ギャンブルからの撤退を表明した時期に各地で連鎖反応のように相次いだ騒擾事件も、この馬の登場後はぴたりと鳴りをひそめてしまった。
実はこの時期、中央競馬を含めたわが国のギャンブル界は暴力団やノミ屋、コーチ屋といった「黒い勢力」の排除に一丸となって取り組んでいた。戦後のヤミ競馬の時代からこの世界に巣くっていたこうした勢力を排除することは、公営ギャンブルが真に健全な娯楽として定着するには避けて通れない道だった。そのきっかけになったのがハイセイコーの登場だった。競艇を逆転してギャンブルの王座につき、武豊とオグリキャップの活躍で空前の競馬ブームが巻き起こる直前の86(昭和61)年、日本中央競馬会は内部に「イメージアップ活動推進委員会」を設置している。
市民権の獲得に向けて積極的に行動したJRAと、それをしなかった公営ギャンブル差は、この頃を境に次第に決定的になっていく。
戦後復興から高度経済成長の時代には、車券も舟券も、黙っていても売れた。しかし、ファンの高齢化は深刻で、参加人口が年々減少して、もう売上が元に戻ることはあり得ない。
やめたくて仕方のない自治体が多いのなら、さっさとやめるのが正しい選択だろう。公営ギャンブルは、もうその役目を十分に果たした。公営が立ち行かなくなったのなら民営しかないだろう。これまで各地の自治体ごとに分かれていた主催者を、一つの民間法人に集約して開催するのである。選手や審判の養成から免許の交付と登録、そして競走の施行までの一切を新たに設立した民間法人が行う。根拠法を改正してJKAに競輪とオートレースの開催権を認め、多すぎる競輪場を整理するだけでいい。
地方競馬は廃止したうえで、JRAに吸収されるしか道はないだろう。

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  1. 2009/08/26(水) 10:52:19|
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Digest files for bankruptcy



Reader's Digest files Ch. 11 bankruptcy protection(the Washington Post)
我が家でリーダースダイジェストを見なくなったのはいつ頃だろうか?日本語版は昭和21年(1946)6月から昭和61年(1986)2月までというから、80年代になってからだろうか。
少年少女世界文学全集などを手にする以前に、父が購読していたこの雑誌を眺めていたように思う。
その影響か、このブログもいわば読本ダイジェストになっています。
その懐かしい雑誌が破産法を申請したという。
リベラルな雑誌もアメリカ本土ではもう時代遅れとなってしまったとしたら、残念なことです。

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  1. 2009/08/25(火) 22:10:53|
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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