続・竹林の愚人 2010年10月10日
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畸人巡礼怪人礼讃


畸人巡礼 怪人礼讃 (新 忘れられた日本人Ⅱ)畸人巡礼 怪人礼讃 (新 忘れられた日本人Ⅱ)
(2010/07/23)
佐野 眞一

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山中貞則は鹿児島県会議員に初当選した昭和22年(1947)の地方選挙では、背中に「民族再建」という職をくくりつけ、馬にまたがって草深い選挙区を回った。
昭和28年、衆議院議員に初当選して国会に登院し、時の総理大臣の吉田茂に挨拶して無視されたときは、「こら待て、吉田」と怒鳴りつけて並み居る議員たちを唖然とさせた。
山中は大正10年(1921)、鹿児島県大隅半島北部の末吉村で生まれた。
山中と沖縄の結びつきは、昭和14年、旧制都城中学を卒業して進んだ台湾総督府立台北第二師範学校時代に始まる。
こには多くの沖縄出身学生がおり、のちに初代沖縄県知事となる屋良朝苗が教鞭をとっていた。
山中は、初代沖縄開発庁長官時代に本土復帰にかける屋良の情熱にふれたことが、山中の沖縄への思いを決定づけた。
島津藩による慶長14年(1609)の琉球侵攻の後ろめたさも、同じ薩摩の血を引く硬骨漠の山中の磨罪意識に火をつけた。
昭和45年、佐藤内閣の総理府総務長官として初入閣したとき、山中が佐藤に向かって、「沖縄に関する限り、各省の権限をこの山中にすべてゆだねると約束してくれるなら、お引き受けしましょう」と、前代未聞の条件をつけた話は有名である。
本土復帰とともに初代沖縄開発庁長官となった山中は、米軍のヘリコプターで沖縄の離島という離島をすべて回った。
いま世界遺産となっている首里城の復元工事の推進役となったのも山中だ。
山中が沖縄のためにつくった特例法は683本にものぼる。
本土復帰前の昭和46年8月、円とドルの固定相場制は廃止され、ドルの価値は1ドル=360円から、当時の為替相場で1ドル=305円の交換レートに変わった。
本土復帰まで秒読み段階に入った沖縄に、変動相場制が適用されれば、沖縄の経済が莫大な損害を蒙ることは火を見るより明らかだった。
山中は大蔵省や米国政府が猛反対するのを承知の上で、公然と差額の補填政策を命じた。
沖縄人が所有するドルに限って1ドル360円のレートで交換する作戦は、極秘裡に進められ、昭和46年10月8日、沖縄の全金融機関は抜き打ちで封鎖され、紙幣に鉛筆の尻の消しゴムで朱印を押された。
この朱印のあるドル紙幣に限り、本土復帰の時点で1ドル360円のレートで交換された。
復帰時に沖縄県民に支給された円ドル交換レートの差額は、日本円にして約300億円にものぼった。
沖縄の金融機関保護のため、本土の銀行の沖縄出店を阻止し、米軍基地の土地を所有する軍用地主の要求通りに応じて、軍用地主たちを感激させたのも山中だった。
大蔵省に対しては、「これは軍用地主との約束だ。軍艦一腰削ってでも出せ」と言って要求を通してしまった。
こうした点を見る限り、確かに山中は沖縄にとって余人に代え難い大恩人だった。
だがその反面、現在の本土依存の補助金づけ体質にしてしまったという意味では、山中は沖縄の自助努力を殺いだA級戦犯でもあったといえる。


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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

  1. 2010/10/10(日) 07:00:47|
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