続・竹林の愚人 2010年12月

男の料理入門塾


亀渕昭信×土井善晴 男の料理入門塾亀渕昭信×土井善晴 男の料理入門塾
(2010/11/24)
亀渕 昭信、土井 善晴

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土井 善晴

日本のまな板は柾目です。
中国は切り株で、欧州は寄せ木で目の方向性がないので、どう切ってもいいわけです。
まな板に向かって中国人のシェフはまっすぐに、フランス人もまっすぐに立ちます。
でも、日本料理は繊細ですから、柾目に対して必ず直角に切ります。
そのために体は右足を少し引いて立つのです。
男が包丁を持つときは不器用でいい。
フランス人はシェフでも器用じゃないし、きれいに切るという意識がもともとない。
ただその代わり、迷いはない。不器用だけどちゃんと切る。時間がかかってもいい。

料理は、ちょいと料理学校に通ったからと言って、家事歴40年のベテランに追いつけるものではない。
まずは初心者、見習い人と思って、男が家事をやるなら、きちんとやるべきだ。
どんなことにもそのものの本質、原理を理解することが肝心で、「3cm長さに切る」とレシピにあれば、その3cm長さの根拠はと疑問を持ってみる。
3cm長さとは、箸でつまみやすく口に入れやすい寸法のことを言っているのである。
調理しやすく食べやすい寸法はどのくらいかということだ。
そう思えば、使う素材、太さによって答えは一つではないとわかる。
原理を知る料理はなかなか楽しいものである。

あるフランスの小説家は、とある田舎でひとり暮らし。
もう長く夕食は自分で作っている。
夜6時頃にひとりで食べ、夕食後は深夜まで、執筆することが日課。
彼のように誠実で丁寧な暮らしはとてもかっこいい。
仕事も一段落して落ち着けば、いよいよ私もと思う。
時間はたっぷりあるし、料理も毎日顔を洗うように簡単に作れるものでいい。
料理をすれば、自然に段取りを考えて手を動かすから脳を働かすことになる。
女性が死ぬまでシャンとしているのは、日々の家事、とくに料理のせいではないかと思っている。
男でも料理人は死ぬまで調理場で働いてシャンとしている方が多い。
せっかく日本に生まれたのだから、美意識を感じながら使うことを楽しみたい。
食事が終われば、ゆっくり手で洗い片づける。それも楽しい。
日本の器は使うことで手の中で変化し育っていくものだからだ。
お膳はお気に入りの器のステージであり、器を美しく引き立ててくれる。
それは素朴なお料理を限りなく美しく見せてくれるものだ。
そしてゆっくりお酒を飲む。
毎日が幸福の時間となるに違いない。


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  1. 2010/12/31(金) 07:00:24|
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両国橋


両国橋(りょうごくばし) 橋長:164.5m 幅員:24.0m
両国橋の名は、武蔵と下総との二国を結ぶ橋であるところからこう呼ばれたが、正式の名はただ”大橋”であった。しかし、新大橋なども造られたため、両国橋が正式の名となった。江戸一の大火である明暦の振袖火事(1657)では、橋がなくて逃げられずに、多数の死者が出た。そのため、大火のあとこの橋が架けられた。回向院は、その人々を弔うために建てられた。のちに勧進相撲がもよおされることとなったのである。
この橋が架かったため、本所・深川が江戸の新市街として発展することとなった。橋詰の両側は、賑やかな遊び場所としても開けた。幕末からは、川開きの花火もあって、江戸の市民には喜ばれた。現在の橋は、昭和7年(1932)に完成した。
     昭和59年3月    東京都





表忠碑  元帥侯爵大山巌書  明治三十七八年没戦病死者  明治40年1月1日建之


『江戸名所図会』 両国橋(りようごくばし)
浅草川の末、吉川町と本所本町の間に架す。長さ九十六間。橋の前後ならびに橋上に番屋をすゑて、これを守らしむ。万治二年己亥官府より始めて、これを造りたまふ。『三橋記』あるいはいふ、「寛文元年辛丑新たに両国橋を架けしめらる。御普請奉行、芝山・坪内両氏に命ぜられし」と云々。旧名を大橋と号す。『事跡合考』に、「万治二年、東の大川筋に、はじめて大橋一ヶ所をかけらるる」とあるも、この橋のことなり。また、『むさしあぶみ』といへる草紙にも、この橋を大橋としるしてあり。『事跡合考』にいふ、「この橋の形は、扇を開きたるにかたどる」と云々。その昔、この川を国界とせしにより、両国橋の号ありといへども、いまのごとく利根川をもって界と定めたまふより後は、本所の地も、同じく武蔵国に属すといへども、橋の号は唱へ来るに任せて、そのまま改められずとなり。ある人云く、貞享三年丙寅春三月、利根川の西を割りて、武蔵国に属せしめらるると云々。
この地の納涼は、五月二十八日に始まり、八月二十八日に終はる。つねに脹はしといへども、なかんづく夏月の間は、もっとも盛んなり。陸には観場所せきばかりにして、その招牌の幟は、風に飄りて扁翻たり。両岸の飛楼高閣は大江に臨み、茶亭の床几は水辺に立て連ね、灯の光は玲瓏として流れに映ず。楼船扁舟、所せくもやひつれ、一時に水面を覆ひかくして、あたかも陸地に異ならず。絃歌鼓吹は耳に満ちて囂しく、実に大江戸の盛事なり。
        この人数船なればこそすずみかな    其 角
        千人が手を欄檻やはしすずみ        同
        このあたり目にみゆるものみなすずし  芭 蕉

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  1. 2010/12/30(木) 07:20:19|
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蔵前橋


蔵前橋(くらまえばし) 橋長:173.2m 幅員: 22.0m
「富士見の渡し」があった場所に、関東大震災の復興計画により架橋された。昭和2年(1927)竣工。

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  1. 2010/12/30(木) 07:15:39|
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厩橋



厩橋(うまやばし) 橋長:151.4m   幅員:22.0m
橋名は西岸にあった「御厩河岸」にちなむ。
もと元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった場所で、明治7年(1874)に木橋、明治26年(1893)に鉄橋となり、現在の3径間下路式タイドアーチ橋は昭和4年(1929)の竣工。



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  1. 2010/12/30(木) 07:10:50|
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駒形橋


駒形橋(こまがたばし) 橋長:149.6m 幅員:22.0m
駒形の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来します。土地の人々によれば、コマガタは清く発音してコマガタと濁らないと伝えています。ここは古来交通の要地で、”駒形の渡し”のあったところです。江戸の巷説に有名な「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、文芸・美術などの上で、駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えるものです。
関東大震災の後、復古王事業の一環として、この地に新しく優美なアーチ橋が設計され、昭和2年(1927)に完成しました。

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  1. 2010/12/30(木) 07:05:55|
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吾妻橋


吾妻橋(あずまばし) 橋長:150.0m 幅員:20.0m
吾妻の名は、古来、東国・関東地方を総称するアズマの語にもなっています。もとは”竹町の渡し”のあったところで、安永3年(1774)に住民によって有料の橋が架けられ、大川橋と呼ばれていましたが、後には吾妻橋と通称されました。明治9年(1876)には、吾妻橋を正式の名称とし、その後明治20年(1887)に鉄橋のトラス橋として完成しました。現在の橋は、昭和6年(1931)に架け替えられました。




『江戸名所図会』  大川橋
大川橋 吾妻橋とも名づく。
富士はつねまづ紫の筑波山
        大坂淡々 

夜墨水を下る 
金竜山畔江月浮かぶ
江揺らぎ月は湧きて金竜の流 
扁舟住まず天水のごとし 
両岸の秋風二州に下る
          南郭

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  1. 2010/12/30(木) 07:00:56|
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隅田川



隅田川隅田川には古くから橋が架けられ、各種の災害で度々架け替えが繰り返されましたが、「渡し」の頃からの名称、初期の橋の形式、橋詰の風情などに名残が継承されたいます。本格的な橋が隅田川に架けられたのは江戸時代初期(1594)で、千住大橋が初めてでした。関東大震災による復興で架橋された橋は、今日でも立派に機能しており、これら先人たちの技術と近代の技術で架けられた橋とが競うように並ぶ隅田川は、橋の博物館とも呼ばれます。




両国1丁目の当時の百本杭の様子
明治時代ごろまでの隅田川の川岸には、強い水勢を弱め護岸の役目を果たす多数の杭が打ち込まれていました。特に、両国橋より上流の左岸側(現在のJR総武線と両国橋のあいだ)に打たれた杭は「百本杭」の愛称で呼ばれ親しまれていました。
幼少をこの地で過ごした芥川龍之介は、作品「本所深川」で百本杭のあった頃の隅田川の風景を振り返っています。また、幸田露伴の著した東京の水辺の風景についての随筆「水の東京」でも「百本杭」について、『百本杭は渡船場の下にて、本所側の岸の川中に張り出でたるところの懐をいふ。岸を護る杭のいと多ければ百本杭とはいふなり。このあたり川の東の方水深くして、百本杭の辺はまた特に深し。ここにて鯉を釣る人の多きは人の知るところなり。』と記しています。
「百本杭」を題材とした絵画も何点か描かれており、江戸時代から続く昔の隅田川の風景を偲ばせる名所となっていたようです。



『江戸名所図会』
隅田河(すみだがわ)隅田川『万葉集』角太に作り、『旧本伊勢物語』墨田に作る。『八雲御抄』・『東鑑』等に隅田とす。澄月『歌枕』・『夫木抄』・『古今集』・『井蛙抄』等に、当国および下総の国界とす。いまは武蔵国に属せり。ある説に、むかしはすだ河といひけると。また『さらしなの日記』に、あすた河とす。すみだ河諸国に同名多し。そのことは次にいだせり。
源は信州・甲州および上野等の国々の山谷より発し、武州秩父郡の諸流合して、これを中津川といふ。榛沢・男衾二郡の界を東流し、大里郡のうち、熊谷に至り分流す。一流は横見・比企・入間・新座・足立等の五郡に亘り、豊島・葛飾の両郡の中を流れて、千住に至る。末は浅草川といふ。いまこれをさして隅田河と称す。

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  1. 2010/12/30(木) 06:55:04|
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幸田露伴


墨田区立露伴児童公園  東京都墨田区東向島1-7-11
ここは文豪幸田露伴が明治41年から大正13年まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡です。露伴は明治26年冬、この寺島町かいわいに来住し、それから約30年最も力の溢れた時期をこの地にすごし、数々の名作を書かれました。当時の露伴は門弟を相手に剣道、弓道、相撲などしてよく庭で遊んだそうです。
このゆかりの地を永久に記念したいと、露伴を思慕される地主の菅谷辰夫氏が区に寄贈されました。寺島の土地を愛し親しんで幸田露伴の旧跡を子供たちの楽しい遊び場としているまでも保存しようと児童遊園を造ったものです。
昭和39年3月建立  墨田区


幸田露伴 文学碑
世おのづから数といふもの有りや。
有りたひへば有るが如く、
無しと為せば無さにも似たり。
洪水天に滔るも、禹の功これを冶め、
大旱地を焦せども、湯の徳これを済へば、
数有るが如くにして、而も数無きが如し。
     「運命」より


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  1. 2010/12/29(水) 07:20:56|
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葛飾北斎生誕地



葛飾北斎(かつしかほくさい)生誕地  東京都墨田区亀沢1~4
宝暦10年(1760)9月23日、本所南割下水(墨田区亀沢)に生まれた北斎は、浮世絵の役者絵を出発点として、狩野派、光琳派、大和絵など、さまざまな流派の技法を学び、新しい画風をどんどん確立させて、多くの名作を遺しました。
代表作『富嶽三十六景』は、天保2年(1831)から天保4年(1833)にかけて制作。とても70歳を過ぎてからのさく
80を過ぎても創作意欲は衰えず、死の床に就いた嘉永2年(1849)、「あと10年、いや5年でよいから生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」といって息を引き取ったといわれています。
常に新しい画法に取り組んできた北斎らしい臨終の言葉でした。
びらり両国街かど展実行委員会

葛飾北斎は、宝暦10年(1760)9月23日、本所割下(現在の北在通り)に生まれ、
その生涯のほとんどを墨田区内で過ごしながら多くの名作を残しました。
北斎は、30回以上画号をかえ、一生のうちに93回の引っ越しをしたと伝えられています。
その多くは、本所・向島・浅草など隅田川に近い場所でした。


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  1. 2010/12/29(水) 07:15:17|
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舟橋聖一生誕地


舟橋聖一(ふなはしせいいち)生誕記念碑  東京都墨田区横網1-11-1
作家舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日に、本所区横綱町2丁目2番地に生れ、作家、國文学者として盛名高く、数々の名作を遺すも、その72年の生涯は權威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以て貫かれている。
代表作の一つ「花の生涯」は井伊大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未到の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。
  井上 靖

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  1. 2010/12/29(水) 07:10:44|
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