続・竹林の愚人 2011年04月

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何をどう撮る?フォトセミナー

世界一わかりやすいデジタル一眼レフカメラと写真の教科書 何をどう撮る? 活用編発売記念フォトセミナー

 中井精也

 4月29日(金) 14:00~16:00
 メリケン画廊
 神戸市中央区波止場町6-5 上屋倉庫2F

写真を撮るときは何をどう撮るかを意識している。
それを読みとくと、主題と表現方法となります。
写真を撮るときに、どういう風になるかを想像・イメージしてみることが大事。
初めは自分が撮った写真と撮りたかった写真とにギャップがありますが、どうして?を考えてみると、同じ過ちを繰り返さなくなり、自分のイメージにだんだんと近づいてきます。
取りたい写真をイメージしてみることが大事。
いろいろある表現方法を、ゆるく撮るとシャープに撮るの2つに大別してみました。
ゆるてつ ゆるく撮る。
写真展のために撮ったので、横位置・縦位置で並べると高さががたがたするのを解消するために真四角にフォーマットを決めています。
鉄道写真なのに車両が写っていない。
だけど、これだけの方がローカル線のゆっくりとした時間が感じられるのではと思います。
ほっとした気持ちになってくればよい。

1日1鉄!
 シャープに撮る。
朝一番に走る北海道の釧網本線。
前の晩にうっすらと積もった雪を列車が巻き上げる雪煙を撮るために太陽の方向を計算してシャッターを切った。
光線を読む、天候からこうなるだろうとイメージして、その場所を探す世界もあるのですね。

ゆるてつモードで撮ってみました。
プログラムオートで撮るとハイライトとシャドーが平均されてしまい、おもしろくない。
一番おもしろい部分をカメラ任せにしちゃっている。
設定を色々と試して、楽しみましょう。
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  1. 2011/04/30(土) 07:00:45|
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道徳を問いなおす

道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ (ちくま新書)道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ (ちくま新書)
(2011/03/09)
河野 哲也

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日本の道徳教育の伝統的なモデルは、心理学と結びついた徳育にあった。
それは、社会で認められている一定の価値を受け入れ、社会規範やルールを遵守する個人を作り出す教育であった。
たとえば、中学校の指導要領にあげられている、礼儀・感謝・友情・個性の尊重・人間の気高さ・集団での役割と責任の自覚・公徳心と社会的連帯・正義と公平・勤労と奉仕の精神・父母・祖父母への敬愛・日本人としての愛国心・・・。
これらの項目はどのような基準と根拠によって選ばれているか不明で、あまり理論的に練られたものに見えない。
さらに、個人が社会に貢献すべきこと、個人が社会に奉仕すべきことが繰り返し強調される一方で、社会による個人の人権の擁護や自律性の尊重はアンバランスなまでに小さくなっている。
では、私たちが構築すべき道徳的に善き社会とは、どのような社会であろうか。
それは、より包括的(インクルーシヴ)な民主主義社会のことである。
「より包括的」とは、いままで社会のなかで不当に無視されてきた人びとを歓待し、その人びとのニーズに社会が応答していくことにある。
戦争が生じる最も重要な原因のひとつが貧困であることは議論の余地がない。
とするならば、貧困の撲滅こそが道徳理論や倫理学の中心課題であるはずだが、現代の倫理学では、このテーマはあまり論じられない。
貧困や戦争、虐殺のようなきわめて重大な道徳的問題が無視されて、電車のなかの細かなエチケット違反が「道徳の堕落」とされる傾向は、道徳性の矮小化と呼んでよいだろう。
徳育では、貧困や戦争、虐殺の回避と撲滅が論じられることはなく、専ら心の問題として取り扱われるが、戦争や貧困は、心の問題として処理できるようなものではない。
道徳を心の問題だと定義した途端に、これらの重大な問題は道徳的課題の外に置かれてしまう。
人権思想は、「生きていることは正しい」という生命肯定の思想であり、生命を脅かす者に対して個々人の生命の尊重を要求していく運動である。
この人権概念に示されている最も基本的な道徳的価値は、自由(自律性)と平等である。
民主主義を維持・発展させることは、この道徳的価値を維持・発展させることにつながる。
また、私たちの道徳性は、共感的感情から生じ、この感情の拡大は、その人間のコミュニケーション可能な範囲の拡大に比例している。
したがって、道徳性とは、この感情の回路を主権者性によって構築・再構築していく過程にある。
民主主義の発展とは、合理性の進歩であるよりも、共感の拡大である。
よって、道徳教育は、第一に、民主主義を維持・発展させ、そして、そのような民主主義を担う人々とを育成することに眼目を置くべきである。
しかし、人の自由(自律性)と平等とを確立するには、個々人が現時点で置かれている個人的・社会的・歴史的な状況を考慮し、そのニーズに応答していかねばならない。
近代思想において道徳性は、しばしば法と結び付けられてきたが、道徳性が問われる個々の行為や出来事は、きわめて個別的で、それを単純な原則で割り切ることはできない。
道徳性とは、個別的な人間関係の持続性のある発展と修復に関わっている。
そうであるならば、道徳性とは、医学や経営学や生態学、とりわけ、教育に近い分野なのである。
教育そのものが道徳的な営為であり、学校そのもののあり方が、現代社会の道徳的価値を反映していなければならない。
このためには教員養成課程において、将来の教員に倫理学を教える必要があるだろう。
核となる教科として、道徳と学級活動やホームルームの時間、総合的学習の時間などを統合して、「哲学」という科目を創設することである。
哲学は、現代において専門化した知と社会との「ハブ」として機能すべきである。
「哲学」では、自分の人生の形成・再形成に直接かかわるテーマが中心となるべきである。
生徒中心の視点に立った自分の人生の吟味から始まり、それが現代社会と知のシステムの理解と、その批判的検討と再構築(科学基礎論)に結びつくような流れをもった科目とすべきである。
このような科目「哲学」は、諸外国ではすでに始まっている。

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  1. 2011/04/29(金) 07:00:34|
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iPad2


前日に発売を知って、開店1時間前に並びましたが、お目当てのモノが手に入りました。

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  1. 2011/04/29(金) 06:55:42|
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日本の瀬戸際

日本の瀬戸際日本の瀬戸際
(2011/03/01)
森本 敏

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在日米軍は、現在、陸軍2千人、海軍6千人、空軍1万2千人、海兵隊1万6千人の計3万6千人が駐留し、在日米軍が使用する施設・区域計130ほどの74%が沖縄に集中している。
在日米軍のうち、陸軍と海軍が支援部隊であり、空軍と海兵隊が戦闘部隊である。
第7艦隊はハワイからアフリカ東海岸までの広大な西太平洋全域の海上作戦を担当して、紛争地の沿岸に海上基地をつくって、そこから海兵隊をヘリで投入する作戦を展開する。
沖縄の海兵隊からは約3千人がアフガン駐留司令官の下に派遣され現地で作戦に従事している。
西太平洋全域における緊急事態に際して、日本の海兵隊基地が重要な戦略的中継基地としての役割を持ち、普天間飛行場はヘリ部隊の展開基地として収容能力を持っていなければならない。
2011年以降にCHヘリの代わりにV-22オスプレイという新型機が配備されると、沖縄における米軍・基地反対運動が一層、激化するであろう。
しかし、米国が海兵隊移転を検討することがあるとしても、重要な基地機能を縮小する考えはない。
米国にとって、域内における最大の懸念は中国の将来である。
中国は海洋・宇宙・サイバースペース・武器売却などの分野での米国の優位性に挑戦しようとしている。
特に、海洋については、周辺海域における領有権・資源・海上通路の確保を狙いとして、海・空軍の進出が続くだろう。
南沙諸島問題は、パワーバランスの均衡が崩れた例で、東南アジア諸国が領有権を主張し、現在、ベトナム・中国・フィリピン・マレーシア・台湾がそれぞれ島を実効支配している。
こうした状況の中で、1990年11月に、フィリピン議会は米国との基地条約改定を否決し、米国は1991年11月にフィリピンのクラーク空軍基地を、1992年11月にはスビック海軍基地を廃止し、それぞれ撤退完了させた。
そして生じたことは、1993年夏ごろから1995年にかけ、フィリピンが領有権を主張するミスチーフ海域の岩礁、砂州に対し、「中国系漁民」が高脚式建造物を次々に建てる、という事態であった。実際は、中国軍がこれらの島々に乗り込み、実効支配を拡大していったのである。
だから、日本としては、米軍の持つ重要な基地機能を安定的に維持することと、日米同盟協力を一層緊密化させるため努力することが、日本の国益追求の観点から見てもきわめて重要だ。
米国は普天間基地問題とグアム基地への海兵隊移転をリンクして扱ってきた。
この間題を前に進めるカギは、海兵隊の活動を広く日本本土でも受け入れ、「共同使用の拡大」による負担の軽減である。
英国にある米軍基地のように、自衛隊の基地・施設をすべて米軍が使用できるようにして、その代わりに米軍施設を自衛隊が管理し、使用できるようにする。
また、普天間基地の代替施設は日米合意通りに辺野古周辺に作るとしても、この施設も自衛隊の管理する施設にして米軍と自衛隊の共同使用にするというやり方がある。
海兵隊は将来、アジア太平洋において固定的な基地で運用されるのではなく、地域全体を動き回って柔軟に展開し、抑止機能を発揮する態勢になるであろう。
その展開基地としてハワイ-沖縄-日本本土-韓国-グアムー豪州-東南アジアをローテーションのごとくに活動する部隊運用の体系になる。
グアム基地のインフラ整備を促進するため、日本が応分の負担をする代わりに、グアム基地に自衛隊の基地を借りて自衛隊の訓練・補給基地として活用することができれば、共同使用はさらに拡大する。
この措置で豪州・韓国・ASEANなどとの共同訓練が可能となり、アジア太平洋の新たな基地センターに発展させることができれば、米太平洋軍にとっても大きな財産になる。
限られた施設・区域を十分に活用することによって沖縄の負担を軽減し、普天間基地問題を進めて普天間基地返還を実現することは、日米両国にとってのみならず、沖縄にとっても利益になるであろう。


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  1. 2011/04/28(木) 07:00:21|
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復元幻の大寺院


復元 幻の大寺院―新薬師寺の謎に挑む復元 幻の大寺院
(2011/03/24)
NHK「復元 幻の大寺院」プロジェクト

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清水重敦(奈良文化財研究所景観研究室長)  「古代の巨大建築を設計する」

古代建築の研究には、明治時代以来、100年以上にわたる歴史があるが、平城宮第一次大極殿に代表される復元という行為が、研究を新しいステージに押し上げてきている。
遺跡復元という行為には、是非両論がある。
設計図など存在せず、木の部材も腐ってなくなってしまう木造建築の遺跡のかつての姿は、基壇や柱の痕跡を基に類推していくしかなく、100%正しいと言い切ることは原理的に不可能だ。
そこには現在における解釈が多分に含まれ、後世に間違いを指摘されることも大いにありうる。
ただ一方で、遺跡復元は古代建築の設計と施工を迫体験する行為であり、それを経て初めて気付くこともあるはずだ。
今回発見された新薬師寺七仏薬師金堂の遺構は、その比類なき巨大さゆえに、古代建築の設計原理について多くの示唆を与えてくれる。
①建物の格と構造デザインの関係、②建物の機能とかたちの関係、③木材の性質による制約とその反映、の3つの視点からとらえることを試みた。
新薬師寺の遺構では三手先などの複雑な組物を持つ殿堂形式であったことを示しており、巨大建築の形成原理は、基本的に殿堂形式に則るものであっただろう。
仏堂の平面規模は、安置仏と強く関連づけられ、身舎の桁行柱間数は当然、柱間寸法自体も安置仏の規模と呼応している。
側柱の高さも中央間安置仏から割り出されることになる。
身舎の天井の高さも法隆寺金堂、唐招提寺金堂では、身舎の奥行全長と一致している。
安置仏を中心に柱間と高さ寸法がデザインされる殿堂建築は、必然的に、仏像群と建築空間とが呼応したものとなる。
新薬師寺薬師金堂の遺構で最も注目されたのが、正面の長大な階段で、50mを超える幅の階段は類がなく、破格としかいいようがない。
新薬師寺七仏薬師金堂の場合は裳階がなかったと考えられるので、11間に及ぶその階段は、身舎部分に対応して設けられたものであろう。
階段幅11間に対応して扉を11間すべてに設けると、本尊が七仏薬師であることが外観上不明瞭となってしまう。
「九間仏殿」と記されている史料の記載も加味した解決策として、復元案では、類例のない解決策であるが、中央7間に七仏訳詞を安置して扉を設け、脇1間ずつを置いて身舎両端間に四天王を安置して扉を開き、扉を計9戸設ける案を提案した。
古代建築には、後世の建築に比べて太い部材が多用されているが、大量に同じ断面寸法の材を用意し、そこから建物に用いる材を加工するという、施工の省力化が図られているわけである。
現存する古代建築に用いられている木材の長さを測ると、概ね12m以内に納まる。
これを横架材として使うと、組手間の距離は10m程度となる。
建物の平面規模が大きくなる奈良時代の寺院金堂でも10mに規定される寸法がみられる。
奈良時代建築の柱間寸法の最大値は16尺から17尺程度(4.8~5.0m)と、ほぼ10mの半分だ。
新薬師寺七仏薬師金堂の復元研究は、いわば一点ものの巨大建築の設計行為の追体験であるだけに、古代建築の技術を新たな目で見直させてくれる。
極端な規模を持つ東大寺大仏殿を別格とすれば、古代建築は、概ね、構造の合理性から理解しうる寸法体系とデザインで造られていることを、新薬師寺の復元を適して確認できた。


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  1. 2011/04/27(水) 07:00:48|
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住友銅吹所跡



住友銅吹所跡(すみともどうふきしょあと) 大阪市中央区島之内1-6-7
江戸時代、日本は世界有数の銅産国であった。なかでも大阪は銅製錬業の中心地であり、全国から粗銅が集まり、精錬されていた。この地にあった住友長堀銅吹所は、住友家(泉屋)が寛永13年(1636)に解説した日本最大の銅製錬所で、日本の生産量の約1/3を精錬していた。
銅吹所には住友家の店舗や住宅が隣接していた。それらを含めた面積は約4000m2である。


銅の精錬に使用された小型の炉
平成2~4年(1990~92)にかけて発掘調査され、100基を越える精錬炉などの遺物が出土した。
遺跡は三井住友銀行鰻谷センター建設のため、埋め戻された。

住友長堀銅吹所復元模型(大阪歴史博物館)
文久元年(1861)の「御本家様御吹所様惣絵図」を元にした復元模型。
住友長堀銅吹所は寛永13年(1636)に開設され、元禄3年(1690)には本店・居宅も併設された。


昭和初期の住友鰻谷邸
明治8年(1875)12月、住友の本家・本店が分離し、住友本店が堂島に移ると、当地は熊谷本邸となり、同12年には銅吹所跡地に付属洋館と庭園が設けられ、名実ともに本邸にふさわしい姿となった。
大正4年(1915)本邸が天王寺の茶臼山へ、次いで神戸・京都へと移ったのちは、鰻谷邸と呼ばれ接待館となっていた。
鰻谷邸は、昭和20年(1945)3月の空襲によって焼失するまで、往時の姿をとどめていた。



元住友家本邸内ビリヤード場    住友家本邸の東側に建てられた。
ビリヤード場玄関のアーチや円柱の飾りは洋風であり、壁は土蔵造り、屋根は瓦葺きである。洋風と和風がうまく調和しており、文明開化期に多く用いられた擬洋風とよばれる様式である。
ビリヤード場は、明治25年以前の建築と考えられており、独立建物のビリヤードとしては、わが国最古のものである。

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  1. 2011/04/26(火) 07:20:00|
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直木三十五記念館


直木三十五記念館(なおきさんじゅうごきねんかん) 大阪市中央区谷町6-5-26
開館時間 11:00~17:00 水曜定休。
直木賞に名を残す郷土の作家を知ってもらおうと、平成17年2月24日に「からほり倶楽部」が
母校・桃園小学校跡地に隣接して設けた市民参加型のミュージアム。


ブティックやレストランなどが入る「萌」の2階一室にあります。


作家が設計した自宅(横浜金沢区富岡)を模して、壁面を黒くしている。

直木三十五(1891~1934)本名:植村宗一
明治24年、大阪市南区(現・中央区)安堂寺町に生まれた。生家は古物商。地元の桃園小学校から育英高小、旧制市岡中学に学び、早稲田大学へ進んだ。
その後、出版・編集や映画製作などを手がけ、作家生活に入った。
「由比根元大殺記」「楠木正成」など短期間に多くの作品を残し、「南国太平記」は大きな評判を呼ぶ。
昭和9年、43歳で死去。翌年、盟友・菊池寛によって、芥川賞とともに直木賞がスタートした。



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  1. 2011/04/26(火) 07:15:49|
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直木三十五文学碑




直木三十五文学碑
「きっとなせろ 市蔵」「なせる」
大久保市蔵はそういってうなずくと
吉之助の手を握った
軽輩のすべては同じ心で
磯浜を桜島を眺めていた
  直木三十五 「南国太平記」より


榎木大明神
長年に亘り、地元の人達に「エノキさん」「巳さん」と親しみ呼ばれているこの大樹は、正しくは「エンジュ」という中国産の樹である。楠木正成公がお手植という説もあり、樹齢はおよそ650年と言われている。
豊臣の時代には当地も大阪城域で、この辺りは紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋だった。だから大きくそびえるこの樹は、何よりの目印になったし、また地元の人達は土地神として「白蛇大明神」の祠を建てて、代々この樹をお守りしてきた。
昭和20年(1945年)第二次世界大戦の大空襲の折りには、襲ってきた猛火がこの樹の辺りでぴたりと止まり、東側一帯が危うく類焼を免れた。これも霊験のひとつとして語り伝えられており、毎年春のお彼岸前後には、地元「箔美会」の人達により、榎木大明神の大祭が挙行されている。
昭和63年(1988)、当樹が枯死寸前の状態になったとき、大阪市と「箔美会」からの依頼を受けた山の忠彦樹医の適切な延命治療により、再び元気をとりもどした。
そして現在、樹勢は極めて盛んとなり、地元で生誕され直木賞で有名な直木三十五氏の文学碑とともに、都心のオアシスとなっている。
       平成6年(1994)10月吉日  榎木大明神  箔美会



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  1. 2011/04/26(火) 07:10:07|
  2. Historic sites
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観音坂



観音坂(かんのんざか) 大阪市中央区谷町6-5
桃園公園の東に、藤の棚観音で親しまれた和勝院という観音堂があり、本尊の千手観音は大阪観音めぐり16番であった。
観音堂となる前は池で、この池で子どもを死なせた親が藤を植えて供養したと云われ、観音堂境内にも藤棚を設けていた。
和勝院は文久3年(1863)焼失し、戰前まで西区新町北通1にあったという。
「この寺は天台宗寺門派、圓城寺末にして、清涼山と号し、天正年間豊公が朝鮮役に際し、戦勝祈念のため、本尊歓喜天及び十一面観音を安置したので、和勝院と名づく。天保6年、住職恵乗がこの所に写したのである。正面の歓喜天堂には観音をも安置し、右に日吉稲荷、左に地蔵堂と不動堂とがある。名に賞づる藤の棚が狭い境内一面に蔽ふている。」
(梅原忠次郎 「大阪三十三所観音巡り」)

この和勝院は空襲で焼失したらしく、観音は箕面の宝積院に移っていると聞いていた。
ところが、近年、大阪に戻っていたのだ。
浄円寺(大阪市淀川区新北野3-10-4) 木造天部立像

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  1. 2011/04/26(火) 07:05:10|
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朝日神明社跡



朝日神明社跡(坂口王子伝承地)  大阪市中央区粉川町 南大江公園
朝日神明社は、天慶年間(938~947)に平貞盛が創建したという。天照皇大神と倭比売命を祭神とし、朝日の社名は祭神の天照皇大神にちなむとも、社殿が東面していたためとも考えられている。熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である。
当社は逆櫓社とも称されたが、これは源平合戦の際に、源義經と梶原景時が櫓のつけ方について論争したことに由来する。江戸時代の難波22社巡りのうちの1社である。
明治40年(1907)3月までこの神埼町に鎮座していたが、現在は此花区春日出中に移座している。窮地には狸坂大明神が鎮座している。       大阪市教育委員会


狸坂大明神


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  1. 2011/04/26(火) 07:00:06|
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