続・竹林の愚人 2011年09月

藤之寺


藤之寺(ふじのてら) 神戸市兵庫区兵庫町1-3-6
浄土宗 紫雲山 福原西国三十三箇所 第4番札所
文安4年増上寺第3世聖観を開山に、白藤氏を施主として創建し、西光寺と称した。
明治元年廃寺、翌年望月有成が復興し、藤之寺と改める。
昭和19年、戦災を被り、昭和30年再建す。


本堂 本尊:阿弥陀如来


『摂津名所図会』 
喜多風家(きたかぜのいへ)当津に同姓の支族八家あり。今、北風戸書す。この家名一千五百余年も相続くといふ。
『家譜』に云ふ、 むかし神功皇后、三韓退治の御時、この浦に御船泊まりまします。ここに孝元天皇の裔孫彦麿といふ者、
累世この浦に住し、漁者にてやありけん、海老と蟹を貢る。
皇后、彦麿を叡覧ましまし、子孫栄久の相あり、後世この浦の長たるべしとて、皇后の御手形を璽とし賜りける。
当津佐比江に鎮守を営み、これを社檀に蔵め、相殿に春日明神を祭る。ゆゑに今、春日杜とも称す。
杜僧を西光院と号し、真言僧これを守りありしが、後世浄土宗と改め、西光寺と号す。
彦麿苗孫の姓を白藤といふにより、この寺を世に藤の寺と呼ぶ。今に至って、北風支族の宿坊なり。


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  1. 2011/09/29(木) 07:15:30|
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真福寺


真福寺(しんぷくじ) 神戸市兵庫区下沢通1-2-2
高野山真言宗 紀年山  摂津国八十八ヶ所 第83番札所
武庫郡今津村字今津道(西宮市今津町)に鎮座する福應神社は、嘉祥元年(1106)より仁和寺覚行法親王の信仰篤く、代々祈願所となっていたが、延宝元年(1673)別当として賢尊を開基に真福寺が置かれた。
明和6年(1769)の『今津村明細帳』には「宮寺-京御室御直末寺真言宗 真福寺、氏神-蛭子社 宮寺境内ニ御鎮座」とある。
明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり、これを憂いた伊達隆辯が再興。
明治24年(1891)神戸市中道通附属字文楽寺の現在地に移転し、仮本堂を建立。
弟子の三田光明寺住職伊達隆諦が法灯を継承ぐも、神戸の空襲で焼失し、後に本堂を再建。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災で倒壊し、現住職が再建す。


本堂内陣 準提観音立像・阿弥陀如来坐像・遍照金剛坐像

 
大日金輪 (金剛界大日如来?)


孔雀明王

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  1. 2011/09/29(木) 07:10:00|
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蓮の池址


史蹟 蓮の池址(はすのいけあと) 神戸市長田区蓮池町
山陽電鉄「西代」駅の北側、広さ5万7420m2に市民球場やプール・体育館・蓮池小学校などが並んでいる。
奈良時代に行基が灌漑用に築いた蓮池があった地で、昭和6年(1931)に埋め立てられた。
池の南の堤に沿って、西国街道が延びており、西の堤防南端が白川街道の入口があった。


明治44年10月1日発行の地図




従是大山寺道 (蓮池小学校) 白川街道 太山寺への道標

『摂津名所図会』 
蓮之池(はすのいけ)長田の西の方にあり。
広さ四百五十畝。むかし、行基の掘らしめ、農業早魁の愁ひを除かん為なり。
蓮一抹を種ゑたまひ、浄土の八功徳池に准へたまふ。
一説には、小松内府重盛の家臣、蓮池権頭家綱戦死の所なるによって、蓮の池といふとぞ。

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  1. 2011/09/29(木) 07:05:47|
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平盛俊の墓


平盛俊の墓(たいらのもりとし) 神戸市長田区庄山町3-2
北城戸(きたきど)の戦い
西門の敗戦を受けた北門の大将越中前司盛俊は、明泉寺から南へ逃げ延びる途中で、源氏の猪俣小平六則綱と一騎打ちとなります。
むんずと組み付いて戦いましたが、盛綱が優勢となり則綱が降参したためあぜ道で二人が休んでいるところへ、源氏の人見四郎が近づいてきました。近づく敵に気をうばわれてた盛俊は、則綱に襲われ首を討たれてしまいました。なお、明泉寺付近にも、盛俊の石碑が公園内に建てられています。



『摂津名所図会』
越中前司盛俊墓(えつちゆうのぜんじもりとしのはか)長田村名倉の地の池にあり。塚印に古松一株あり。
『平家物語』云ふ、
越中前司盛俊は、山の手の侍にて在しけるが、今は落つとも叶はじとや思ひけん、扣へて敵を待つ所に、猪俣小平六則綱好き敵と目をかけ、鞭鐙を合はせて馳せ来たり、押双べて無手と組んでどうと落つ。猪俣は八箇国に聞こえたる健者なり。鹿角の一、二の草刈をは輙く引裂きけるとぞ聞こえし。越中前司も人目には二、三十人が力顕すといへども、内々は六、七十人して上げ下ろす船を、ただ一人して推し上げ推し下ろす程の大力たり。されば猪俣を取つて押さへて動かさず、猪俣下に臥しながら刀を抜かうとすれども、指の股はだかって刀の柄を握るにも及ばず。物を云はうとすれども、余に強う押さへられて声も出でず。されども猪保は大剛の者にてありけれは、しばしの息を休めて、敵の頚を捕るといふは、我も名乗つて聞かせ、敵にも名乗らせて頚取りたれはこそ大功なれ、名も知らぬ頸取りて何にかはしたまふべき、と云ひけれは、越中前司、実もとや思ひけん。本は平家の一門たりしが、身不肖なるに依つて、当時は侍になされたる越中前司盛俊といふ着たり。和殿は何者ぞ名乗り開かうと云ひけれは、武蔵国住人猪俣小平六則綱といふ者なり。ただ今我命助けさせ座しませ、左候はば御辺の一門何十人も座せよ、今度の勲功の賞に申し替へて御命はかりをは助け奉らん、といへば、越中前司大いに怒って、盛俊、身不肖なれども流石平家の一門なり、盛俊、源氏を憑うとも思ひもよらず、源氏もまた盛俊に憑れうともよも思ひたまほじ、悪い君が申し様かなとて、すでに頸をかかんとしければ、正なう候、降人の頸掻くやうや有ると云ひけれは、さらば助けんとて赦しけり。堅田の畠のやうなるが、後は水田のこみ深かりける壊の上に二人ながら腰打ち懸けて息継ぎ居たり。ややあって、緋威の鎧着て月毛なる鳥に金覆輪の鞍置きて乗ったりける武者一騎、鞭鐙を合はせて馳せ来たる。越中前司怪気に見けれは、あれ猪俣に親しう候人見四郎で候が、則綱が有るを見て詣で来ると覚え供。 苦しうも候はぬと云ひながら、近付く程ならは租んずるものを、落ち合はぬ事はよもあらじと思ひて待つ所に、交一段ばかりに馳せ釆たる。越中前司、初めは両人の敵を一目づつ見けるが、次第に近付く敵をハタと守つて則綱を見ぬ隙に、猪俣力足を踏んで立ち上がり、拳を強く握り盛俊が鎧の胸板をばグツと突いて後へノツケに突き倒す。起き上がらんとする所を、猪俣上に乗り懸かり、越中前司が腰の刃を抜き、鎧の草摺引き上げて、爴拳も透れ透れと三力刺いて頚を取る。さる程に、人見四郎も出で来たり、かやうの時は論ずる事も有りとて、やがて頸をば太刀の鋒に貫き、高く指し上げ大音声揚げて、この日来平家の御方に鬼神と聞こえつる越中前司盛俊をは武蔵住人猪俣小平六則綱が討つたるぞや、と名乗りて、その日の高名の一の筆にぞ附きにける。

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  1. 2011/09/29(木) 07:00:58|
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勝福寺


勝福寺(しょうふくじ) 神戸市須磨区大手町9-1-1
真言宗高野山如意輪寺末 桂尾山 福原三十三箇所第10番札所
高取山脈の鹿松峠に人鬼出没して行人を悩ましていたのを、藤原伊尹三男・英雄丸が勅命により證樂上人と称して山麓に庵を結び勧行すると、人鬼は姿を消した。上人はこの地に堂宇を建て、熊野三社権現を勧請。これが現在の證誠神社である。
このことに感心した一条天皇が勅使平兼盛をして弘法大師一刀三礼聖勧世音菩薩に数多くの寺録を下賜。
七堂伽藍、36坊の大寺院であったという。
平清盛が寄進した金銅製密教法具が重要文化財となっている。
観応の擾乱(1350~1352)では高師泰が乱入して堂宇を焼失。この折、足利尊氏と家従23人が松岡城にこもって一時は自害を覚悟し、この堂がハラキリ堂と呼ばれた。尊氏・直義の和睦が成立して尊氏は京に上るが、途中で高師直・師泰は討たれる。
明治32年(1899)再建するも昭和13年(1938)の阪神大水害で倒壊。平成20年(2008)再建。


山門 韓国の寺院に見る一柱門(世の中の煩悩を払って一心に仏法の世界に向かう)であろうか?


本堂 本尊:聖観世音菩薩


鐘楼 梵鐘は延宝2年(1674)の鋳造。


洞窟の不動明王


桂尾山勝福寺八十八ケ所
勝福寺の裏山が「太平記」に見える再度山城主・赤松範資の築いた松岡城とされる。



勝福寺0
『摂津名所図会』
桂尾山勝福寺(けいびさんしようふくじ) 大手村権現祠の奥にあり。古義真言宗宗。坊舎五字。
本尊聖観音 弘法大師の作。長二尺五寸ばかり。脇士、不動・毘沙門。
開基證楽上人 一条院御字永廷二年、熊野権現の示現を蒙りこの寺を建立したまへり。
什宝に弘法大師の錫杖、築島供養の本尊、十六善神像、同じく幡十四流、弘法大師の筆の両界曼荼羅、呉道子の筆の十六羅漢、顔輝の筆の釈迦・文殊・普賢、唐本『大般若経』平相国の寄附なり、武蔵守知章の甲冑、竜の玉、その外数々あり。


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  1. 2011/09/28(水) 07:15:58|
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百耕資料館


育英幼稚園(いくえいようちえん) 神戸市須磨区板宿町2-2-1
板宿村の惣代庄屋であった武井家が運営する財団法人武井報效会・育英幼稚園正門。


百耕資料館(ひゃくこうしりょうかん) 
幼稚園の敷地内にあり、保安上常時ドアロックされており、インターフォンで来館の旨伝えて入館します。
館の名称は、武井伊右衛門の雅号百耕にちなむ。


武井家が所蔵する歴史資料・美術資料を元に、昭和62年10月に前館長武井功が設立。
平成22年7月に館をリニューアル。


天保14年(1843)8月銘の板宿村絵図

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  1. 2011/09/28(水) 07:10:46|
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板宿八幡神社


板宿八幡神社(いたやどはちまんじんじゃ) 神戸市須磨区板宿町3-15-26
菅原道真が九州へ左遷された時の宿泊の跡を保存するため、永延元年(987)1月、菅公と武神八幡大神を鎮守神として創紀。
上野山に鎮座する。


明治40年1月26日、明神町の無格社池ノ宮神社(大日孁女)を合祀した。
この池ノ宮神社に関し、『武庫郡誌』には「神功皇后征韓の時、此神(汶売江沼河姫命を祀れりと云ふ。)の誨により、敏馬山の木を伐って船を造り給ひ、凱旋の時、長樂浜(現今神戸市野田付近)より上陸し、一先イタヰドリ浜(現今鷹取工場の東にイタヰドリ原神出等の名を残せり)に仮の社を作りて神体を納め給ひしが、後之を奈義(池宮ノ神社の在りし板宿字奈義)に遷座し奉ると云ふ。」と記し、此由緒ある古社の他社に合併せられたるは遺憾と云ふ可きなり、と嘆いている。


拝殿 


本殿 祭神:誉田別尊・菅原道真・大日孁貴命


本殿右手 元稲荷大神・船津加稲荷大神・稲荷大神・祇園大神(金毘羅大権現)


本殿左手 不明・川上大神・宝殿大神・萱戸大神
川上大明神は嘉永7年(1854)の大飢饉で代官川上金吾助が年貢の減免を行い、村が救われたことから池ノ宮神社に祀ったという(武井家資料より)。


稲荷神社  船津加稲荷大神・富成稲荷大神・元延稲荷大神


飛松天神社


901年(昌泰4年)、菅原道真公が筑紫へ左遷された際に、この地に立ち寄られ、里人が板の宿をつくり道真公にお休み頂いたことからこの地を「板宿」と呼ばれる由縁となりました。
道真公は、京で松・梅・桜を大切にされ、「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらむ」と詠まれました。すると一夜にしてこの松が飛んできたと伝えられています。
「飛松」は高さ30mもあったとされ、紀淡海峡を渡る船人はこの「飛松」を目標にして針路を定めていました(「西摂大観」より)。
その後「飛松」は、大きな樹木ゆえに数回の落雷にあい、残念ながら大正時代に枯死し、現在は切り株が天神者に奉斎され、「学問の神 飛松天神」として崇敬されています。


板宿天神0
『摂津名所図会』
菅神飛松(かんじんとびまつ)板宿村の山頭にあり。菅公筑紫へ趣きたまふ時、都よりここまで飛来しけるとぞ。
傍に天満宮・八幡宮の社あり。この地の生土神なり。

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  1. 2011/09/28(水) 07:05:06|
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禅昌寺


禅昌寺(ぜんしょうじ) 神戸市須磨区禅昌寺町2-5-1
臨済宗南禅寺派 神撫山
延文年間(1356~60)月庵禅師の創建。足利幕府は寺領36石を寄進した。
織田信長・荒木村重よりも諸役免除の沙汰を受けたが、天正8年豊臣秀吉の三木・別所長治攻めの兵火で焼失す。
後、桃山御殿から豊国亭を移して方丈とした。
明治12年(1879)に焼失し、大正4年(1915)に再建された。


山門 左甚五郎作と言われている。
開基月庵禅師手植えの楓の古株があったことから、「楓寺」とも呼ばれ「紅葉の寺」として親しまれている。

 
友まつと見えず紅葉に一人かな  芭蕉


本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな   瓢水


開山堂 本尊:十一面観音


鐘楼


鎮守堂 本尊:證誠菩薩 

禅昌寺0
『摂津名所図会』
神撫山禅昌寺(じんぷさんぜんしようじ)同村の北、山手にあり。鷹取山と号す。禅宗済家。
本尊聖観音 安阿弥の作。長二尺ばかり。
開基正続大祖禅師 月庵宗光和尚といふ。往昔延文年中の草創なり。
伝へ云ふ、宗光和尚は美濃国の人なり。姓は江氏にて、幼少より峯翁に随身し、一年唐土黄檗山へ登り臨済の宗意を授かり、帰朝の後当山に来たり坐禅する事日あり。時に神入来たつて顔面を撫づる。翌日出峯へ攀登れば、帝釈天の神祠あり。これ霊現ならんと帝釈神撫山と号し浄刹を営む。宗光和尚は、老年但州黒門大明寺に入って康応元年三月二十一日寂す。
方丈画 狩野永徳の筆なり。城州伏見豊太閤の御城よりここに移す。秀吉公、播州三木の城を攻めらるる時、この寺大いに荒廃す。御治世の後、上聞に達し再興の御教書を賜ふ。
鎮守 熊野権現を祭る。一説には神功皇后三韓帰朝の御時ここに至り、石座にあつて巌を撫ぜたまふゆゑ神撫山といふ。ここにこの神を祭る。
木犀 仏殿の前にあり。開基和尚唐土より将来しけるとなり。『呂氏春秋』に日く「桂の一能なり。巌嶺の間に叢生す。これを巌桂と謂ふ。俗に呼びて木犀と為す」。
『南方草木状』に日く「江南の桂、八、九月花開く、子無し、これ木犀なり」。
丹楓 大樹にして枝葉繁茂せり。秋の末紅錦のごとし。遠近釆たって目を歓ばしむ。
   本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな    播磨別府瓢水


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  1. 2011/09/28(水) 07:00:30|
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明光寺


明光寺(めいこうじ) 神戸市須磨区妙法寺岡775-3
黄檗宗 真月山 もと天台宗で、慶安3年(1650年)矢島久兵衛代官の検地書に阿弥陀堂とある。
元禄5年(1692年)木庵禅師の高弟蘭州和尚が遷化道場を開き師弟の修行にあたった。
一時は西摂禅門の道場として空前の隆盛を極めたが、その後衰退。
天保8年(1837年)罹災し、明治14年(1881年)には残る本堂も焼失した。


大正の頃、住職が諸国の萩を境内に植え、萩の寺と呼ばれている。


本堂 本尊:阿弥陀如来

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  1. 2011/09/27(火) 07:20:16|
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北向八幡神社


北向八幡神社(きたむきはちまんじんじゃ) 神戸市須磨区妙法寺字宮ノ下
本殿が北向きに建立されており、「北向きさん」の名で呼ばれている。
また、内陣に大国主命が祀られていることから、出雲に敬意を表して北向に建立されたとも。
明治6年8月村社に列す。


拝殿


本殿 祭神:応神天皇


那須神社 祭神:奈須宗高
一ノ谷の合戦で、源義経が那須与一に武運長久の代参を命じ、戦乱の後、与一は御礼参りに訪れ、中風のため、当地で亡くなった。


稲荷明神


石造笠卒塔(せきぞうかさとうば) 六甲山系の淡紅花花崗岩で、南北朝初期の建武4年(1337)の石仏。
塔身に彫られた仏像は、定印阿弥陀如来坐像と思われる。通称・いぼ薬師。


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  1. 2011/09/27(火) 07:15:08|
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