続・竹林の愚人 2012年03月
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須磨寺 本坊

書院
書院(持仏堂) 本尊:阿弥陀如来

本坊
本坊

テーマ:兵庫県 - ジャンル:地域情報

  1. 2012/03/24(土) 07:05:09|
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須磨寺 三重塔

三重塔
三重塔 昭和59年再建。

霊場
四国八十八カ所お砂踏み霊場 昭和55年3月1日改修。

親子地蔵
親子地蔵
須磨の仇浪年賦
明治27年土居愛子播州美濃郡随一の豪農土居家の二女として生る。
同郡口吉川小学校を経て大阪夕陽丘高女に入り、大正元年同校卒業。大正2年秋淡路川上家に嫁す。翌年長女「初音」を生みたるも、常に家庭不和を嘆く。大正4年12月19日汽船豊浦丸に乗じ、淡路より神戸に向ふ途中、須磨沖に身を投じ翌朝屍体須磨浦に漂着す。
同日当寺に於て葬儀を営む。戒名愛染院紅顔妙薫大姉、俗名「愛子」22才。浄音童女、俗名「初音」2才。
同年羽様荷香氏、神戸新聞紙上に家庭悲劇「須磨の仇浪」を連載そて読者の紅涙をしぼる。次で映画演劇に上演せられて、天下に宣伝せらる。
同年大阪笹木徳松氏故人の霊を慰め且つ永く世の家庭不和に泣くものの無からしむことを念願し、神戸小坂ふさ氏の援助を得て、此の親子地蔵尊を造立し、一世の豪僧南天棒老師之を開眼す。
昭和14年第25回忌追善のため、女優入江たか子氏当寺に於いて法要を営み、映画「須磨の仇浪」を再演す。

シベリア慰霊碑
シベリア満蒙戦没者慰霊碑
軍人たると民間人たるとを問わず 太平洋戦争末期から戦後にかけて 満蒙北鮮シベリヤの地に いわれなき戦火といわれなき虜囚抑留の果てに 非業にたおれし われらの仲間を弔い奉る 遺骨収集はおろか自由なる墓参も許されず 更には墓標すらなき凍土に埋もれて 異国の丘に眠る 戦友諸兄諸姉のみたまよ 来たりてここに会し給え

敦盛首塚
敦盛首塚

首塚
謡曲「敦盛」と敦盛首塚
謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主軸にして作曲された修羅物である。
一の谷の戦いで少年敦盛を打った熊谷直実は、無常を感じ出家して蓮生と改め、菩提の為古戦場を訪ねると、敦盛の霊は草刈男の姿で現れて迎える。蓮生はひたすら回向を続けまどろむ夢の中に、花やかな姿で現れた敦盛が、一門没落の運命の中にも忘れかねる歓楽の日があった事や、戦いの有様を物語り、敵蓮生の日々の回向に感謝し、共に極楽往生の出来ることを喜びつつ消え去るものである。
直実は、義経の黍実験の後、許しを得て遺品「馬・甲冑・弓矢・青葉の笛」と共に、戦死の有様を書き添えて父経盛に送った。懇ろに弔われた「敦盛首塚」は今も人は絶えない。
謡曲史蹟保存会


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  1. 2012/03/24(土) 07:00:16|
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須磨寺 鎮守社

供養所
経木供養所

釣竿竹
神功皇后釣竿竹 
神功皇后が備前の小川で鮎を釣られ、戦の勝敗を占った釣竿をここにさしてゆかれ、根付いたのが釣竿の竹と伝えられる。 生田神社 釣竿竹

弁財天
弁財天女

出世稲荷
出世稲荷 
出世稲荷の由来
往昔、福原遷都のみぎり、平相国清盛公、都の守護神としてこの稲荷明神を湊川の畔に奉安したるところ、出世稲荷と呼ばれ立身出世・事業成功の神として広く庶民の信仰を集め、港都最大の稲荷社として栄えてまいりましたが、明治中期湊川改修に際し、平家にゆかり深い当山へ遷座し奉ったものであります。
祭神は尾玉、荒熊、末広の三神です。  

『摂津名所図会』
鎮守祠 熊野権現・玉置権現・弁財天を祭る。
神功帝釣竿竹 本党の乾にあり。漢竹を樹ゆる。生田社にもあり。

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  1. 2012/03/23(金) 07:20:58|
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須磨寺 大師堂

護摩堂
護摩堂 明治36年再建。平成23年5月からの修復で、護摩堂はセットバックさせて前に増築。平成24年4月28日落慶。

大師堂
大師堂 「須磨のお大師さん」として親しまれ、毎月20・21日の縁日で賑わっています。
平成19年改修。

義経腰掛の松
義経腰掛の松
一の谷合戦のあと、熊谷次郎直実が平敦盛の首を池で洗って、義経がそばの松に腰をかけて確かめたという。
尾崎放哉の句碑(右) こんなよい月をひとりで見て寝る
敦盛首洗池
敦盛首洗池

弁慶鐘
弁慶鐘
弁慶鐘2 元、当国山田村安養寺の鐘なり 。
一谷合戦のとき武蔵坊弁慶こえを長刀の先にかけ前に提灯を吊して鵯越を担ぎまわりて陣鐘に代用せりと言ふ。
世俗に釣合わざるを提灯に釣鐘といふは是より始まると言ふ。   
星霜八百年、此鐘老朽してヒビ割れを生じたるを以て昭和57年宝物殿に納め、替って新鐘を模刻鋳造す。   

写経輪堂
写経輪堂

十三重石塔
十三重石塔 県指定文化財、鎌倉時代後期 嘉暦2年(1327)花崗岩

sumadera hondo
『摂津名所図会』
護摩堂 本堂の東にあり。不動尊を安す。
義経腰掛松 本堂の西にあり。

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  1. 2012/03/23(金) 07:15:49|
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須磨寺

門前 
大本山 須磨寺 神戸市須磨区須磨寺町
須磨寺(福祥寺)
真言宗、須磨寺派の大本山です。
古く、奈良時代(758年)和田岬で見つかった観音像を会下山に安置し、平安初期(886年)に聞鏡(もんきょう)上人が勅命により、今の地に堂塔をいとなみ、福祥寺と名付けたのが寺の起源だと伝えています。
その後、兵火により荒廃したのを源頼政が再興し(1155年)さらに、慶長年間の大地震で頽廃したときには、豊臣秀頼が片桐且元に命じ修復しています(1602年)。
2万坪を遊園地として開放し、桜の名所として市民に親しまれてきました。
源平合戦にちなむ放物も数多くあります。

所有の重要文化財
■国指定
〇宝殿及び仏壇 御本尊を安置しているいれもの。本堂内にあり、南北朝時代(1368年)の作。
〇木造十一面観音立像 室町時代の作。宝物館屋上にあり、細緻な彫法を示す優秀な作品。
〇紙本普賢十羅刹女像 室町時代の作。京都国立博物館に展示。
■県指定
〇当山歴代2巻 代々の住職の記録。
〇木造不動明王立像 本堂内、南北朝時代康俊作の銘あり。
〇わに口 礼拝の時ならすもの。貞治5年(1366年)の銘あり。宝物館に保存。
〇石造十三重塔 鎌倉時代(嘉暦2年1327年)の銘あり。本堂東端の池のほとりにある。
〇須磨琴 古式の一弦琴を伝承。無形文化財指定。
神戸市教育委員会

龍華橋
龍華橋
仁王門
仁王門  源頼政の再建とされる。
阿像吽像
金剛力士
唐門
唐門

本堂
本堂

sumadera
『摂津名所図会』
上野山祥福寺(しようふくじ) 
西須磨上野にあり。街道より松原二町を経て橋あり。それより二王門に至る、風流の勝地なり。古義真言宗。
本尊聖観音 座像長三尺五寸。和田御崎の海中より出現。
二王門 金剛力士の二天を安す。運慶・湛慶の作。

それ当山は浪速を去る事十有余里にして、須磨里大悲の聖跡たり。
後には群巒を擁し、前には潮汐を湛へて緑波天に接し、漁舟商舶あるいは王者の楼船来往し、簫鼓の音棹歌の声、白鴎鴛鴦礒の波に見えかくれ、その風光妙にして筆舌にも及ばず。むかし、光孝天皇の御時、海中夜毎に光有って雲端を照らす。漁父網を下しければ栴檀木の観音を得たり。すなはち小宇を建ててこれを安置す。その霊応いちじるくして祈れば功験あり。信ずれば示現あり。ここによって朝廷に達し、仁和二年文鏡上人に勅して宝殿を営ず。丹青爛絢として林岳に照映し、つひに梵刹となる事今に至って八百余歳なり。そののも久寿の頃源三位頼政ここに帰依し、殿堂支提鎮守等を重修して煥然として一新す。ここにおいて山川色を増し、霊感ますます熾んなり。世に須磨寺と呼んで、往来の貴賎ここに詣せずといふ事なし。

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  1. 2012/03/23(金) 07:10:11|
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須磨霊泉

須磨霊泉1
須磨霊泉(すまれいせん)

須磨霊泉2
この湧水を利用している方へ
湧き水は、まわりの環境の影響を受けやすく、水質が変動することがあります。
あなたの健康をまもるために、下の注意事項を護ってください。
1.湧水の水質検査について
神戸市では、この湧水について10年以上水質検査を実施しています。
残念ながら、大腸菌が度々検出されています。
飲料不適となっています。
2.注意事項
・この湧き水を直接飲まないでください。利用する場合は、必ず十分に煮沸してください。
・自然を大切にし、水源付近を汚さないようにしてください。
神戸市保健所西部衛生監視事務所

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  1. 2012/03/23(金) 07:05:58|
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平重衡とらわれの松跡

須磨寺駅
山陽電気鉄道 須磨寺駅(すまでらえき) 神戸市須磨区須磨寺町1
駅前の須磨寺参道の須磨寺前商店街は参詣者で賑わっています。

平重衡とらわれの遺跡
平重衡(たいらのしげひら)とらわれの遺跡 
平重衡とらわれの松跡
寿永3年(1184)2月7日源平合戦の時、生田の森から副大将平重衡は須磨まで逃れて来たが、源氏の捕虜となり土地の人が哀れに思い、名物の濁酒をすすめたところ重衡はたいそう喜んで、「ささほや波ここもとを打ちすぎて 須磨でのむこそ濁酒なれ」の一首を詠んだ。
のち鎌倉に送られ処刑された。

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  1. 2012/03/23(金) 07:00:15|
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松風村雨堂

松風村雨堂1
松風村雨堂(まつかぜむらさめどう) 神戸市須磨区離宮前町1-2
松風村雨堂(神戸市地域史跡)
松風村雨堂は、謡曲「松風」を初め、多くの文学に取り上げられた松風、村雨の二人の姉妹にまつわるお堂で、次のような伝説によって広く世に知られています。
『平安時代前期(9世紀中頃)在原行平が、須磨の地で寂しく暮らしていた時、潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘である姉妹に出会った。その時、松林を一陣の風が吹きぬけ、娘たちの頬を通り過ぎ、にわか雨が黒髪にふりかかった。そこで行平は娘たちに、「松風」「村雨」の名を与え、仕えさせた。
やがて許されて、行平は都に帰ることになり、小倉百人一首で有名な
 立ちわかれいなばの山の峯におふる 松としきかば今かへりこむ
の歌を添え、姉妹への形見として、かたわらの松の木に烏帽子、狩衣を掛け遺し、都に旅立った。
姉妹は、行平の住居の傍らに庵を結び、観世音菩薩を信仰し行平の無事を祈っていたが、後に多井畑に戻り世を送った。』
 「古今和歌集」にある
  田むらの御時に、事にあたちてつのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人につかはしける
  わくらばに問ふ人あらばすまのうらに もしほたれつゝわぶとこたへよ
という歌から、行平が須磨にわび住まいをしたことは事実と思われます。
現在の観音堂は庵の跡ともいわれており、伝説にちなんで、稲葉町、衣掛町、松風町、村雨町、行平町などの町名がつけられました。
  平成20年3月     神戸市教育委員会  須磨区役所  西須磨協議会  松風村雨堂保存会

松風村雨堂2
           衣掛松                磯馴松
謡曲「松風」と松風・村雨堂に磯馴松
謡曲「松風」は、宮廷歌人在原行平が須磨に流された折、姉妹の海士女(あまおとめ)を愛した話を基に、女心の一途な恋慕や懊悩の姿を幽玄の情趣で表現された叙情豊かな名曲である。
 須磨の浦で、いわくあり気な松を見た諸国一見の旅僧は、海士女 松風・村雨の旧跡と聞き念仏して弔う。乞うた宿の二人の乙女は「恋ゆえに思い乱れ世を去った松風村雨の幽霊である」と告げ、形見の烏帽子、狩衣を着て物狂おしく舞い、妄執解脱の回向を請うと、二人の姿は消えて、ただ松に吹く風の音が残るばかり・・・。旧跡を訪うた旅僧の夢であった。
 行平の謫居跡に彼を慕う姉妹が結んだ庵の跡が「松風・村雨堂」と伝えられる。別れに臨み行平が手ずから植えた「磯馴松(いそなれまつ)」は堂の近くにあり、古株のみが残って昔を語っている。
                  謡曲史跡保存会

松風村雨堂3
観音堂

松風村雨堂4

松風村雨堂5
大久保些景の句碑  千木の空澄みて 厳橿実を降らす

matsukaze
『摂津名所図会』
松風村雨旧址(まつかぜむらさめのきゅうし) 
西須磨の東端、街道の上にあり。
この地、行平卿謫居の地といふ。すなはち、菖蒲小路といふ字今にあり。
諺に云ふ、松風・村雨の二人は、すまの北なる太井畑の賤女なりしが、行平に召され、ここに給仕しけるとぞ。
近き頃まで辻堂なるものあり、土人これを村雨堂といふ。今はしるしに古松一株あり。

衣懸松(きぬかけのまつ) 
東須暦の浜辺にあり。松風の謡曲によりて名づけ初めしならん。

礒馴松(そなれまつ) 
すべてすまの浦の浜松をいふ。諺に云ふ、行平卿帰洛のとき、余波を惜しみて松枝ことごとく都の方へ靡きしといふ。
『広異記』云ふ「陳の玄弉といふ抄門、西域に往かんとて、霊岩寺の松一樹を見て、手をもつてその枝を摩でて日く、吾西に去りて仏教を求めば、汝西に長すべし。去るに及んで、たちまち西に指す事数丈なり。
一年、その枝東に転ず。弟子等の日く、吾師近日帰りたまはんとて、これを迎へば、はたして還り米たる」。この霊松にも比せんや。
『続後拾』物名
  すまの浦や渚にたてる礒馴松しづえは波のうたぬ日ぞなき   俊 頼

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  1. 2012/03/22(木) 07:20:59|
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元宮長田神社

本宮長田神社
元宮長田神社(もとみやながたじんじゃ) 神戸市須磨区天神町5-2
祭神:事代主命
『武庫郡誌』
無格社長田神社
西須磨字上町(前田家の背後)に在り、4月23日を以て祭典を執行す。所伝に依れば、神功皇后三韓より凱旋の途次茲に立ち寄り給ひ、出雲国より事代主命を迎へ奉るべしとの詔あり、由りて前田家の祖先之を勧請せしが、後今の神戸市長田なる長田神社に遷座し奉りしものなりと。以後ここを元宮と称し、毎年長田神社の祭典には此處へ神輿の渡御あり。
昔は祭典に麦藁人形三千三百三十三箇を作り、之を斬り捨てて三韓征伐の状を模したりと伝ふ。
明治6月8日無格社に列せらる。境内七十七坪あり。

『摂津名所図会』 
事代主神祠(ことしろぬしのやしろ)
西須磨、前田氏、後園にあり。傍に古松あり。高さ数丈。
また、神功皇后御社あり。皇后三韓退治の時、御凱陣にここに立ち寄らせたまひ、出雲国より、事代主命の神を迎ふペしと詔あれば、前田が祖先、出雲よりここに勧請すといひつたへり。その証、旧記に分明ならずといへども、この家にいひ伝へり。
また、むかし祭事ありて、神輿をわたし、藁人形三千三百三十三を拵へ、これを散々に伐る。すなはち三韓退治の真似なりとぞ。この例今は絶えてなし、詳らかならず。
 この神は釣を司りたまふと聞きて
   土佐針にかかるや土佐の初かつを     縮 海
   釣竿の糸にさはるや夏の月     加賀千代
   釣人にならぴて河鹿聞く夜かな     闌 更

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  1. 2012/03/22(木) 07:15:40|
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菅の井広場

菅の井1
菅の井広場(すがのいひろば) 神戸市須磨区天神町5-2

菅の井2
菅の井

菅の井3
菅公手植の松

菅の井4

maedake
『摂津名所図会』
前田氏旧屋(まへだうぢのきゆうおく) 
西須磨の里長なり。
『家譜』を見るに、往昔、神功皇后の御時代より家名相続す。
『須磨記』の橘季祐も先代なりと云ひ伝ふ。しかれども証詳らかならず。

菅之井(すがのい) 
同所(西須磨)、前田氏の前栽にあり。清冷潔白にして、寒暑に増減なし。
菅公、この浦にまらせたまふ時、この清泉を御船へ奉りしより御感悦ありて、御自画の影像を賜ふ。前に見えたり。
今の前田氏、この名泉をもって酒を造る。すなはち管の井と銘す。
     すまに泊まりし時、前田氏より菅の井といふ名酒を贈らる
  菅の井を汲めどもつきじ大自在名まへたのもし神の恵に     湘 夕

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  1. 2012/03/22(木) 07:10:23|
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Author:bittercup
近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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