続・竹林の愚人 2012年05月

米国製エリートは本当にすごいのか?


米国製エリートは本当にすごいのか?米国製エリートは本当にすごいのか?
(2011/07/08)
佐々木 紀彦

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米国経済の強さの一因として、傑出した人材の存在がよくあげられます。
しかし、「そうした人材は米国の大学がすごいから生まれたのか」と聞かれれば、首を傾げるところです。
本当の天才は、大学教育など受けなくても、天才たり得ます。
むしろ、米国の大学教育の最大の強みは、平均点以上の知的エリートを育てる点にあるのではないかと思います。
上澄みの学生は日米でさほど差はありませんが、全学生の平均値という点では米国の一流大学のほうが断然上でしょう。
その最大の理由は、「米国の大学はインプットとアウトプットの量がとにかく多い」という点にあります。
次から次に読書、レポート、プレゼンテーションの課題が降ってくるため、否が応にも知的筋力がつくのです。
米国の大学・大学院教育は、3つの能力をバランスよく向上させてくれます。
まずインプットの知識は、授業ごとに課される膨大なリーディングによって否が応にも高まり、「整理する能力」は膨大なレポートの課題によって鍛えられ、アウトプットの能力は、レポート、クラスでの討論、そして、プレゼンによって磨かれます。
基本的に、知識の整理・発信能力の2つは、一定の訓練を受ければ、誰しもが一定のレベルには達しますから、「読書量」と「経験量」こそが、知力の大部分を決定づけるということです。
つまるところ、日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差なのです。
そして、膨大なタスクを同時に課せられることで、時間管理、プロジェクトマネジメントのスキルも磨かれます。

歴史との向き合い方について、日米の差を生んでいる一因は、米国人エリートが抱く「自らの評価は歴史の判断にゆだねる」という強い意識です。
多くの政策担当者が自伝を記しているのも、自らの成功と失敗を振り返り後世に対する教訓を残すことが、エリートの責務だと感じているからでしょう。
その好例が、ベトナム戦争のA級戦犯といわれるロバート・マクナマラ元国務長官です。
その栄光に彩られた人生に泥を塗ったのがベトナム戦争でした。
ケネディ政権、ジョンソン政権の国防長官として、ベトナムへの軍事介入で米国軍約5.8万人の死者を生みました。
1995年に記した回想録や、ベトナム戦争を振り返った発言は、自己弁護という面も強いですが、それでも無言を貫くことに比べれば随分ましです。
翻って日本では、失敗の片棒をかついだ人間がその教訓を後世に残すという責任から逃げ ることが多すぎます。
典型例が瀬島龍三で、太平洋戦争時に大本営作戦参謀を務めた彼は、敗戦の教訓を語るべき最高の立場にありながら、伊藤忠商事会長に上り詰めるまでの成功伝ばかりを語り、都合の悪い話には口を開かぬまま鬼籍に入りました。

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  1. 2012/05/31(木) 07:00:35|
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世界中が日本に憧れているその理由


世界中が日本に憧れているその理由―古いのに新しい「クール・ジャパン」の読み解き方 (日文新書)世界中が日本に憧れているその理由―古いのに新しい「クール・ジャパン」の読み解き方 (日文新書)
(2011/03)
マックス桐島

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Convenience Storeの省略形の日本語英語であるコンビニが、日本独特の文化として息づいていることに気がついたのは、11年ぶりに帰国した80年代半ばのことだった。
アメリカ発祥のコンビニに、日本の消費者志向を反映させた、蕎麦、弁当、おにぎり、煎餅などが、理路整然と陳列されている店内に足を踏み入れ、その新鮮さに圧倒されたのを昨日のことのように覚えている。
アメリカでは、街角にあるコーナーストアや、日本風に言えば、父ちゃん母ちゃんが経営するMom & Pop store(ママ・パパ・ストアー)、酒と雑貨を売るリッカーストアが、「好都合ストア」の大半を占めていた時代もあった。
だが、80年代に入りコンビニ全盛時代に突入、ロサンゼルスでは、韓国やインド、イランなどから移住してきた外国人が経営するコンビニ店が圧倒的に多い。
陳列の方法も、売っている品目も、日本のそれと比べると、遥かに見劣りする。
乱雑に並べられたカウンターの品々は、ジャンクフードと呼称される「体によくない食品」が大半を占め、冷蔵されたサンドイッチ類は湿って冷たく、ハンバーガーやブリト(メキシコ風サンドイッチ)などを自分でチンしている大男の後姿がなんともわびしい。
店員の接客態度といえば、「いらっしゃいませ」どころか、「毎度ありがとうございます」もない。
まるで、客全員がホールドアップの強盗容疑者であるかのような、猜疑心に満ちた冷ややかな視線でレジをガードする浅黒い肌のターバン男。
ロサンゼンルスのコンビニは、一瞬即発の危険地帯といった雰囲気さえ漂う。
だから、危険映像的な番組には、必ずと言っていいほど、コンビニ強盗風景が登場する。
清潔に品物が整えられたカウンター、食欲をそそるサンドイッチや菓子パン類、色とりどりの弁当類や湯気が香ばしいおでん……。
日本のコンビニの「買いごこちの良さ」は、外国の荒んだコンビニを経験したものでなければわからない。
ローソン、ファミリーマートなどは、日本の「小奇麗、美味しい、居心地いい」のコンビニ文化を海外に輸出し、好評を博しているほどだ。
高度成長期以来、電化製品、自動車、料理と、外来文化を改良して独自の持ち味を発揮させ、オリジナルに勝る品質を産み出す「加工貿易」という特殊な技量を持った日本人。
コンビニ文化も、便利さから生まれた店舗コンセプトを、品物や陳列のプレゼンを「品種改良」しながらベターに仕上げた、和心の傑作、つまりは日本の懐の深さの証。
深夜に雑誌コーナーに屯する若者の姿は、アメリカも日本も古今東西一緒だが、ATMマシーンを使うときに周囲をうかがう必要の無い安全さ、そして、レジに列ができた際に、サッと別のレジで混雑を捌いてくれる「思いやり」は、目に見えない和風コンビニ文化の賜物でもある。
愛想の無い中近東風の店員の怠惰な接客態度に内心腹をたてつつ、ジャンクフードと湿ったサンドイッチを抱えながら、長蛇の列でレジに並ぶアメリカ人たちは、生涯この日本のディープさを経験することはない。
Convenience(便利さ)というコンセプトを、物理的な事象だけでなく、心の域にまで完成させた日本のコンビニ文化は、「千客万来」という従来の店舗経営理念を打ち破る、「一客再来」という「おもてなし」の真髄を投影させた、奥の深いビジネスなのだ。
だから、今ロサンゼルスでファミマが大好評なのも、当然の成り行きに思える。
加工貿易大国日本は、家電、車、料理だけでなく、ついにコンビニまでも本家本元を超越する、クールな自国ブランドにしてしまったようだ。

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  1. 2012/05/30(水) 07:00:43|
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まちがっている


まちがっている エラーの心理学、誤りのパラドックスまちがっている エラーの心理学、誤りのパラドックス
(2011/12/22)
キャスリン・シュルツ

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2008年の夏、ボストンにあるベス・イスラエル・ディーコネス医療センタ-(BIDMC)で、外科医が患者の体の間違った部分を手術した。
米医学研究所によれば、アメリカでは毎年、69万人から74万8000人の患者が医療ミスの影響を受けていて、4万4000人から9万8000人がそれで亡くなっているという。
もっと心配なのは、医療に携わる人々のこれに対する通例の反応で、はぐらかしたり、曖昧にぼかしたり、小さく見積もったり、弁護に走ったり、否定したりということになる。
これが医療の世界全般を覆っている昔からの気風の特徴だとすると、BIDMCで起きたことは異例だった。
患者が過誤に気づいた瞬間、外科医は事態を認識し、それをできるだけ完全に説明し、かつ、謝罪した。
それから部局長と病院の最高責任者に連絡し、BIDMC幹部はこの過誤は重大で、病院と社会は何が起きたかを知って当然だと判断し、速やかに病院職員全員に電子メールが送られ、事故についてのマスコミ発表が報道機関に送られた。
実はこの事故の半年前に、経営陣と職員は2012年1月までに医療による危害は防ぎうるものすべてを排除するという決意を立て、病院が最初にしたことは、「患者のいろいろな被害の受け方すべて」について、徹底調査を始めることだった。
病院は手持ちの医療データの発表も病院のウェブサイトで素直な語り口で始めた。
病院の事務当局も、「危害について、予防できるものも予防できないものも、すべて絶えず監視する」作業に当たった。
そういうことがあってこそ、患部の反対側を手術した件に対しても、速やかに公表した理由が説明できる。
正解を出したいと思えば、まず自分が間違いやすいことを認め、意図して自分のミスを探し出し、どうしてそのミスを犯すことになったのかをつきとめなければならない。
この真理は交通運輸、工業デザイン、食品や薬品の安全性、原子力エネルギーなどの分野では以前から認識されていた。
航空業界のエラー防止への取り組みは、1977年のナリア諸島のテネリフェ空港での2機のジャンボジェットが衝突し、600人近くが亡くなった前代未聞の悲劇的規模の過誤から成長した。
事故調査担当者が調査すると、この衝突は小さいミスがいくつも重なって起きたことがわかり、航空業界は運航のあらゆる面について厳格な手順を定め、民間航空機事故を有意に減らすことができた。
アメリカでは、1998年の飛行時間100万時間当たり0.178件から2007年には飛行時間100万時間あたり0.104件となった。
企業によるエラー防止努力の有名な例として、6αと呼ばれる品質管理手順がある。
モトローラ社が1986年に開拓したもので、今では企業の大多数が使っており、シックスシグマを達成した会社は100万回当たり3.4回しかエラーを出さない。
99.997%の成功率だ。
シックスシグマから航空業界の改革、BIDMCの試みに至るまで、エラー防止手法には共通の鍵を握る要素が3つある。
誤りが起こりやすいことの受け入れで、ミスや失敗の可能性を自覚し、強力なリスク管理戦略を育み、それでどんな誤りが起こっても「安全な故障」になるようにする。
第2の要素は開放性で、誤りを公に認めることで、誰もがそこから学べるようにし、エラー防止手順の念押しと将来の問題を防ぐアイデアを生み出すことだ。
第3に検証可能なデータに基づき間違いやすさを認めることで、これはエラーを防ごうとするどんなシステムでも中核をなす条項だ。
私たちはうっかり自分が正しいと思い込み、何かが見るからにおかしくなってやっと誤りを調べることになるからだ。
1986年から2006年の間、モトローラはシックスシグマのおかげで170億ドル以上を節約したことを報告している。
同様に、ミシガン大学の医療組織は、謝罪して説明する施策を実施したところ、訴訟関係の年間の費用が300万ドルから100万ドルに減ったという。
しかもそこには、会社の評判や顧客満足度は含まれていない。

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  1. 2012/05/29(火) 07:00:48|
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バナナの世界史


バナナの世界史―歴史を変えた果物の数奇な運命バナナの世界史―歴史を変えた果物の数奇な運命
(2012/01/19)
ダン・コッペル

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ユナイテッド・フルーツ社は1899年にコロンビアに進出し、バナナ会社が土地や税制、労働力の面で受けていた優遇策に国民から反発の声があがるようになり、1928年10月には3万2千人の労働者が参加したストライキで大混乱に陥った。
ユナイテッド社はストライキの目的は搾取された労働者が待遇の改善を求めたものではなく、「破壊活動」と断言している。
12月5日に戒厳令が敷かれ、翌日には4丁の機関銃が広場を囲む四隅に設置され、ほどなく軍が発砲を始めた。
この1000人を超える虐殺で、ユナイテッド・フルーツ社はコロンビアでの運営が難しくなり、プランテーションを閉鎖して設備類をコスタリカに移送した。
マイナー・キースがパナマのジャングルを征服したときから、第1次世界大戦直前のホンジュラスの政府転覆を経て、1929年にコロンビアの労働運動に過酷な洗礼を受けさせたときまで、巨大企業ユナイテッド・フルーツ社は、無遠慮かつ残忍に力を誇示するという方法しか知らなかった。
そして、また粗暴な億万長者サム・ザムライーが登場し、バナナ産業はいつもの”無遠慮かつ残忍に”という信条を、もっとも複雑かつ手荒く、徹底的に不毛な方法で適用する。
1900年以来ずっと右肩あがりを続け、ユナイテッド・フルーツは1929年に始まった大恐慌もほとんど無傷で乗り切った。
第2次世界大戦が勃発したころ、アメリカ人のバナナ消費量は過去最高となり、サム・ザムライの指揮のもと、ユナイテッド・フルーツ社は世界のバナナ市場をほぼ完全に掌握した。
ひとつのプランテーションが使いものにならなくなれば、新たにまた別の農場が開かれた。
土地を開墾し、鉄道を敷設し、電線も延長し、労働者用の住まいや学校、病院も建設しなければならない。
また、バナナを運ぶロバや食用の家畜のための放牧場を設け、製材所や機械工場、水上運送システム、発電所などのインフラも整えることになる。
会社の幹部が利用する施設も、ゴルフコースや教会、レストランが建造され、独身幹部向けには、しばしば年端のいかない娘たちを集めた売春宿も設けられた。
それらはバナナ会社の幹部たちが、母国では絶対に手の届かない、あるいは絶対に許されることのないライフスタイルを楽しむための施設だった。
また、こうしたコロニーは、ユナイテッド・フルーツ社のもっともおぞましい活動計画が繰られた場所でもあり、「ゴルフのラウンドの合間に、政権が発足し、転覆させられていた」。
ユナイテッド・フルーツ社がラテンアメリカの国土に与えたダメージは想像を絶するもので、キャベンディッシュに生産が切り替わってからも、回復にはほど遠い状況だった。
ユナイテッド・フルーツがグアテマラとホンジュラスに据えた独裁政権はそれぞれの国を何十年にもわたって支配し、虐待や暗殺、はては集団虐殺までもが幾度となく繰り返された。
グアテマラの農村部では、バナナ会社が作った政権を後ろ盾とする暗殺者集団が現われ、10万人を超えるマヤ族の人々がグアテマラ軍によって殺害され、何万という市民が国外に脱出した。
同社の歴史を振り返ると、彼らはほとんどの時代で、途上国には独裁政権が必要だと主張していた。
億万長者カール・リンドナーが1984年、ユナイテッド・ブランズ社の経営権を獲得し、1992年に社名を正式に(チキータ)に改称した。
100年間にわたり、米国の消費者はさまざまな地域で育てられるバナナにどんな危険があろうと、それを黙認してきた。
農薬がなくても、有機栽培でも収穫できる、フェアトレードの指針に沿って育てられることもできる新たな品種こそ、消費者がバナナの房をショッピングカートに入れるときに罪悪感を抱かずにすみ、これまでの負の遺産の埋め合わせができるかもしれない。
おそらく、まだ見ぬそうしたバナナこそが、世界でもっとも完璧な果物になれるのではないかと期待している。

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  1. 2012/05/28(月) 07:00:56|
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旧石器時代


列島の考古学 旧石器時代列島の考古学 旧石器時代
(2011/05/14)
堤 隆

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およそ半世紀前の相沢忠洋の発見に導かれ、群馬県岩宿の丘に記念すべき最初の遺跡が発掘された1949年から、今日までに少なくとも1万か所を超える旧石器時代遺跡が確認されている。
北海道から九州、沖縄に至るまでほぼ全国にこの時代の遺跡がみられ、旧石器人が列島各地に拡散し、その自然環境に適応して生き抜いた確実な証拠といえる。
まず、遺跡が数多く形成されるのは、石器原材料がある石材原産地周辺で、北海道の白滝黒曜石原産地、本州の和田峠黒曜石原産地、奈良の二上山サヌカイト原産地、四国の五色台・金山サヌカイト原産地などであり、これらは原産地遺跡群と呼ばれている。
その石材を利用し消費する消費地遺跡は日常の居住生計活動に伴って残された遺跡で、南関東では、相模野台地・武蔵野台地・下総台地など、台地上の中小河川流域に数多くの旧石器時代遺跡が残されており、流域をひとつの単位とした彼らの活動領域を示している。
九州においても大分県の大野川流域をはじめとして多くの流域遺跡群がみられ、北海道でも常呂川流域や十勝川流域などで遺跡群が発達し、列島内各地域において流域遺跡群が展開する。
長野県野尻湖周辺には、野尻湖遺跡群と呼ばれる旧石器時代遺跡群が残され、八ヶ岳野辺山高原をはじめとした標1000mを超す信州中央高地にも数多くの旧石器時代遺跡が残されている。
日本列島においては、基本的には台形様石器群・ナイフ形石器群・尖頭器石器群・細石刃石器群の順で変遷がたどれる。
1960年代に栃木県星野遺跡、大分県早水台遺跡・群馬県岩宿D地点ゼロ文化層などから出土した資料群について、数万年から十数万年前にさかのぼる石器であるという主張が、日本の旧石器研究のフロンティアである芹沢長介によって繰り返しなされ、学会を二分する大きな論争があった。
「前期旧石器論争」である。
肯定派は「珪岩製石器」と呼ばれるある種の資料をとらえてそれを4万年以前の「石器」だといい、否定派はそれを単なる自然の産物、つまり「石ころ」にすぎないとつっぱねた。
その論争に終止符を打ったのが1980年の宮城県座散乱木での「石器の発見」だった。
誰もが石器と認める資料が、4万年以上前の地層から発見されたからである。
ところが、2000年に捏造であることが発覚した。
「前・中期旧石器遺跡捏造事件」である。
この遺跡捏造によって、それまで数十万年前までさかのぼるとされた日本の人類史が、事件の検証を終えて、4万年前以前の旧石器文化の存在を決定付けたときれる宮城県座散乱木遺跡にまでさかのぼってすべて無効という判定が下された。
捏造事件は、巻き起こる社会的批判と自らの体質改善への要求から、その後の旧石器遺跡調査方法に変化をもたらしし、それ以後、追検証が可能なより精緻な記録化、第三者の立ち会いなどによる石器検出の方法もとられ、発掘調査の透明性・公開性が高められた。

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  1. 2012/05/27(日) 07:00:47|
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兵庫県の農村舞台


兵庫県の農村舞台兵庫県の農村舞台
(1996/03)
名生 昭雄

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兵庫県下の農村舞台の分布は、能舞台では明石川流域及び加古川流域と播磨灘に臨む沿岸に集中しており、他は江戸時代の城下町に点在している。
歌舞伎舞台も北摂地帯、裏六甲・東播地帯、西播磨地帯、奥播磨地帯、但馬地帯、丹波地帯の6地帯に群を成している。
奥播磨地帯は岡山県那岐山麓の美作舞台群と関連し、但馬地帯も東部の但東町を越えて京都府の丹後地方の舞台群と関連している。
次に舞台の特性は能舞台では特に変わった構造をもつ舞台はなく、殆どが神社の本殿に対面してその正面に設けられている。
歌舞伎舞台の敷地も殆どが神社境内であるが、稀に旧村落共同体の共有地などが当てられている所もある。
北摂地帯の舞台の多くは、長殿(ちょうでん)と呼ばれている長床(ながどこ・直会の場)と兼用であり、建造物の内部を3区分して中央部が舞台に当てられ、時には回り舞台が切られたり、芝居に必要な機構が設けられ、他の左右の部分は集会所や納屋に使用されている。
裏六甲・東播地帯の舞台は、長床との併用や転化が多く、同一建造物を多目的に用いる。
この地帯の舞台には回り舞台をもつものが多い。
西播磨地帯の舞台は、瓦葺の堅牢な建造物で、周囲の壁も白塗りで舞台専用に建てられているものが多い。
現存では回り舞台をもつ舞台は存在しないが、かつては回り舞台をもっていたものが多かったという。
奥播磨地帯の舞台は、舞堂の兼用・転用が多い。
千種川・揖保川の上流に舞台が密集し、回り舞台も比較的多くて構造上も優れた舞台が多い。中でも「二階回し」と称する小屋裏回転機構や回り舞台の盆の下の木車の工夫などは珍しい。これは美作の舞台群にも影響を与えている。
また、舞台建物の左右の壁面が拡げられる「ガッタリ」などという床面拡張機構もこの地帯の特徴といえる。
但馬地帯の舞台は、西部の方は村の仏堂(辻堂)、たとえば地蔵堂・大日堂などを舞台に転用したものが目立ち、東部では舞堂の転用が殆どである。
回り舞台の数は少ないが、回転方式に独楽回し式(心棒と盆が一緒に回る)のものがあるのが注目される。
舞台機構としては、東部にある常設の二重台が特徴といえよう。
丹波地帯の舞台は、舞堂・神門・長床の転用が多い。
殆どの神社には舞堂・長床・拝殿と呼ばれる建物があり、建物の中央部が割れて参道になっていて割拝殿形式となったものが目立つ。
回り舞台はなく、特別な舞台機構をもった舞台は少なく、単に芝居に利用した類いのものもある。   

神戸市兵庫区(現、北区)山田町は、近世においては摂津国八部郡丹生山田荘であり、13ヵ村から成っていた。
現在までの調査で、山田町内には現存・廃絶の舞台をあわせて14棟の歌舞伎舞台の存在が確認され、うち10棟が回り舞台(切込み式)である。
異常な歌舞伎熱といわざるを得ない。
江戸時代には幕府の禁令が再三発せられていて、農民の歌舞伎上演には厳しい規制がなされていたはずである。
貢納負担者の娯楽には厳しい統制が加えられているのに、現実には舞台まで建てて歌舞伎にうつつをぬかしているのである。
天領(幕府直轄領)が多いがゆえに舞台数が多いのであろうか。
わが国における地芝居(地狂言)の盛期を、第1期宝暦・天明期、第2期文化・文政期、第3期幕末期、第4期明治期の4期と見ており、わたくしの調査した範囲内では、大体この時期に舞台が建立されている。

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  1. 2012/05/25(金) 07:00:51|
  2. BOOK
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海技大学校

海技大学校
海技大学校(かいぎだいがっこう) 芦屋市西蔵町12-24
国立交通省所管の独立行政法人海技教育機関。
海技大学校は、船員に対し船舶の運航に関する高度の 学術及び技能を教授すること等により、
船員の資質の向上を図り、もって海上輸送の安全の確保に資すること を目的とする、船員の教育機関です。  

海技大学校
南極観測船「宗谷」のプロペラ
重量:6,800kg 直径:422cm ピッチ:445cm 製造年月日:1962年6月7日

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  1. 2012/05/24(木) 07:15:10|
  2. SIGHT
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小出楢重アトリエ

小出楢重アトリエ
小出楢重アトリエ(こいで ならしげ) 1991年に芦屋市立美術博物館開館時に復元された。
笹川愼一設計、1927年築。

小出楢重アトリエ

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  1. 2012/05/24(木) 07:10:03|
  2. Retro
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芦屋市立美術博物館

芦屋市立美術博物館
芦屋市立美術博物館(あしやしりつびじゅつはくぶつかん) 芦屋市伊勢町12-25
1991年に開館した美術館と歴史博物館の複合施設。

芦屋市立美術博物館
前庭の彫刻 「時を結ぶ」 山根 耕 1990作
美術博物館のモニュメントとして、市内から出土した大阪城再築用(17世紀初頭)石垣の刻印石を使った集合彫刻です。
刻印石は、当時の諸大名が芦屋の山中から切り出した石に、家紋などさまざまな記号を刻み、大阪城へ運ぶ途中のものと思われ、6種類の刻印がみられます。
この石彫は、これらの刻印石に、新たに現代の石を加えて構成したものです。
太古の石に、江戸時代始め石工の手が入り、さらに現代彫刻として未来へと継承する「時を結ぶ」姿を象徴化しています。

芦屋市立美術博物館
歴史資料展示室 「古代の芦屋―珠玉の出土品―」展
開催日:2012年4月14日 ~2012年9月23日

芦屋市立美術博物館
芦屋出土のナウマン象の化石
昭和36年に六甲山を横断する芦有道路の建設の時、芦屋川河畔釜谷近くの河岸段丘層からナウマン象の化石が見つかり、右下あごの臼歯と鑑定(大阪市立自然史博物館による)されました。ナウマン象の化石は日本各地で発見されていますが、本市付近では、大阪市、明石市、加古川市からも出土しています。ナウマン象は、日本列島では約20万年前から2万年前に生息していました。この化石は、その中では古い時代のものと考えられます。

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  1. 2012/05/24(木) 07:05:01|
  2. Shrines
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大阪城石垣刻印石

大阪城石垣刻印石
大阪城石垣刻印石(おおさかじょういしがきこくいんいし) 芦屋市呉川町18-2

大阪城石垣刻印石

呉川遺跡と徳川氏大阪城石垣刻印石について
 呉川移籍は1987年、浸水対策の目的で寛施された芦屋市の幹線改修工事に伴い発見された遺跡で、大阪城再築用石材の集石場と考えられています。
 天下の名城、大阪城の石垣は、その規模からみて莫大な量の石材が使用されています。
 その供給地のひとつが東六甲の山間や山麓で、現在までに六甲花崗岩の巨石を対象とした多数の採石場が確認されています。採石場には、表面に符号や文字を彫り込んだ刻印石や矢穴列を彫り込んだ石などがみられ、すべてが大阪城へ運ばれたわけではなく、採石場や運搬経路上に残石として見いだされます。
 これらの石材は、慶長20年(1615)の豊臣氏大阪城落城後、元和6年(1620)より3工期に分けて行われた徳川幕府こよる大阪城大修築に伴うもので、呉川遺跡はその立地から大阪城に向けて石材を海送した船着き場(集石場)との推定がなされています。
1987年の工事で発見された石材は9石で、うち6石に6種9個の刻印が認められました。
 この石材は、現在、芦屋市立美術博物館の前庭に野外展示されています。
 ここに移設保存されている4個の石材は、1993年12月に芦屋中央線の整備工事に伴い土中から出土したもので、2・3号石材には出雲松江藩堀尾家の分銅形刻印が認められます。この刻印は、北方岩ヶ平の砕石場に最も認められ本遺跡とルート的にみても関連深いことを裏づけています。
                                              芦屋市 芦屋市教育委員会 平成8年3月

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  1. 2012/05/24(木) 07:00:58|
  2. Historic sites
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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