造語というのはどの時代にもあるが、はじめて就活、婚活という言葉を聞いたときには、その縮め方に驚いた。
最近では「婚庄」というのもあるそうだ。
その無言の風圧のようなものが肌にぴしぴしと感じられる。
1つ新しい言葉が生れると、2つ、3つと類語が派生してくるものだ。
そんな流れを見ていて、ふと「墓活」という言葉が浮かんだのだ。
時計もカメラも、本来は実用物件だから、腕時計など1つあれば充分だけど、でもデザインに引かれてもう1つ、あれが欲しい、ということが出てくる。
その結果、机の抽斗に腕時計が10個、20個、30個、となってくると、もうそれは完全に実用ではなく、愛玩物、金属愛で吸い寄せられた物品である。
カメラもそうだ。
いまのデジカメの場合は、実用品、消耗品の性格が強いが、それ以前のフィルムカメラは、電池不要の金属機械式物品の魅力にあふれているから、撮ることを超えて欲しくなる。
コレクションの途中から、私設博物館を目論む人もいる。
博物館が本当に出来てしまえば、オーナーとしては本望ではあるが、それが家族に認められているかというと、そうではない場合がほとんどだ。
問題はその人の死後のことだ。
自分亡き後、このコレクションはどうなるのか。
周りにその価値を知る人は誰もいない。
あるじ亡き後、おそらく家族の手によって、燃えないゴミの日にビニール袋に入れてどんと出される。
その数が大量にある場合は、おそらく業者が呼ばれて二束三文で引き取られ、その先は結局ちりぢりばらばらになっていく。
そうはなってほしくないと、老境のあるじは事前に墓活を考えはじめる。
だから墓というわけではないが、自分が亡き後、それを安置して、カビの発生などから守ってくれる所。
安置してときどき面倒を見てくれる、つまり永代供養をしてくれる所。
やはり墓に似てくる。
読書人、蔵書家、世の中にはカメラ好きよりそのタイプの人の方が多いだろう。
書斎にたくさん本が並び、書庫にもぎっしり詰まって、そのどれもが捨て難い。
自分亡き後、その本の運命はどうなるのか。
売ってしまうのがいちばん簡単だが・・・。
大阪の司馬遼太郎の記念館は安藤忠雄の建築で、インテリアも兼ねてその蔵書が天井に届くほどぎっしり並べられて、綺麗だった。
江戸川乱歩の記念館も、東京の立教大学の近くだったかにあるはずだ。
大宅壮一の「大宅壮一文庫」は、身近な雑誌類を網羅した図書館として知られている。
こうしてあるまとまった業績を残した人の場合は、どこかに、何らかの形で蔵書類が収められ「永代供養」を受けることにもなるが、それはしかし限られている。
蔵書の墓活は、加齢とともに、だんだんと悩ましい問題となってくる。
本を情報と割り切った場合、情報を「永代供養」する最終地点は、日本の場合国会図書館だ。
日本の出版物はすべてそこへ一冊収めることになっているようだから、国家的な、象徴的墓活とでもいうものだ。
人生も押し迫った近年、なかなか手放せない本はと考えると、やはり若いころに自分の頭の基本を創り上げた人たちの本だ。
そういう若いころ読んだ本には、因縁というものが含まれている。
そうやっていまの本棚を整理すると、ぐっと縮んで、数冊か、せめて数十冊くらいになるのではないかと思う。
とはいえ、人生はまだつづいている。
だからすっぱり整理するというわけにもいかない。
そうか、本を手放せないというのは、結局は未練ということなのだ。
人生押し迫ったとはいえ、多少でも先がある以上は、その先が未練の発生源として残されていくものらしいのである。
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- 2012/06/30(土) 07:00:47|
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 | 収奪の星―― 天然資源と貧困削減の経済学
(2012/3/20)
ポール・コリアー |
石油や銅などの鉱物資源は、一度しか使えない本質的に枯渇性の資源である。
だが、魚であれ木であれパンダであれ、みな再生産能力を備えている。
自然資産の収穫は持続可能であり、将来世代も同じように消費できるから、私たちは消費した分を埋め合わせる必要はない。
だが、だからと言って、魚資源を持続可能に維持するだけでは最適戦略とは言えない。
現世代には物理的に持続可能な収穫を食べる権利があるにしても、その一部は食べずに繁殖させ、将来世代に高値で売る方が賢い選択となる。
再生可能な資産の略奪は、再生不能な資産の略奪よりも一層悲劇的で、再生可能な資産が絶滅すると、連綿と続く世代が未来永劫権利を奪われたことになるからだ。
世界の漁獲量は年間800億ドル程度だが、補助金の合計は全世界で300億ドルに達する。
OECDに加盟する富裕国では、補助金は漁船に注ぎ込まれる。
つまり漁船が行く先々で行うあらゆる捕獲活動に、補助金を出していることになる。
明らかにまちがったインセンティブが設定されているのだから、世界の漁船の数は、持続可能な捕獲にとどめおく水準を40%は上回っていると見込まれる。
となれば、私たちはどうすべきだろうか。
たとえば公海はどの国にも属していないから、魚に対する権利は地球の住人全体に帰属させ、魚を世界の公共財とすべきである。
もっとよい方法は、公海の自然資産を国連に帰属させることだと考えられる。
公海での漁業権を国連に割り当てるなら、公海は実質的に巨大な養魚場となるだろう。
国連は魚資源の所有者として年間漁獲量を制限し、その分の漁業権を入札にかけることにより、社会にとっての長期的な価値を最大化するという適切なインセンティブを持つ。
このような提案をすると猛烈に反対するのは、言うまでもなく漁業団体である。
本来許可しうる数以上の漁師が捕りたがっているのだから、政治的な利益供与により彼らに権利を献上すべき根拠は何もない。
再生可能な自然資産である魚は、現世代だけでなく将来世代のものでもある。
したがって持続可能なペースを上回って捕獲したら、それと同等の価値があると将来世代が認めてくれるような資産で埋め合わせない限り、略奪のそしりを免れない。
国連はいろいろと欠陥はあるものの、考えうる他のどの主体よりも、レントを受け取るにふさわしい。
と言うのも国連の世界食糧計画(WFP)の資金源となり、緊急のニーズに対応しやすくなる。
水産業には資源の未来が保証される。
そして消費者は、自分たちは略奪行為の成果を食べているのではないと安心できる。
この案は、おそらく魚にとってもよいことだろう。
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- 2012/06/29(金) 07:00:43|
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東京電力・福島第1原子力発電所で発生した原発事故で、中国全域が「福島ショック」でゆれた。
数多くの中国人や華僑たちは、中国政府・在日大使館の緊急指示と手配により、慌ただしく緊急疎開したり、帰国したりした。
また、日本に近い中国沿海地域では放射性物質に対する観側が頻繁に行われた。
中国には、3.11直後の時点で稼働中の原発が13基、建設中のものが28基あった。
原発の建設や運行に対して、慎重論が出たものの、事故直後から、中国国家エネルギー局をはじめとした原発行政機関幹部たちは次々と、「中国の原発の建設計画は日本の事故の影響を受けず、続けて推進する」との方針を発表した。
中国の1人当たりのGDPは世界99位で、中国政府にとって、今後も成長を続け、国民の生活水準を高め、GDPを増大することは、社会の安定のためにも重要である。
発電時にC02を出さない原子力発電は中国におけるエネルギー逼迫の緩和、環境負荷の軽減、経済成長のボトルネック(障害、悔路)を解消するのに、もっとも理想的なエネルギー源だと考えられているのである。
中国の原発は外国からの技術導入で始まり、2000年代後半には、先進的加圧水型軽水炉の自主開発力及び国産化水準を高めることを国家目標に掲げ、新規原子力発電所の建設を通じてその目標達成に向けて邁進すること、との方針を打ち出した。
その上で、中国は次のような課題に直面している。
第1は、基幹設備・部品の製造業が未熟だということである。
第2は、ウランの確保で、天然・濃縮ウラン輸入および海外での権益確保が、急務となる。第3には、設計・製造・安全管理などに関する専門家・エンジニアの不足である。
また、中国の原発運営は、地震災害という大きなリスクを抱えている。
歴史資料に残っているものでも、大地震が100回ほど発生し、そのうち一度に20万人以上の死者を出した巨大地震は4回もあったとされる。
中国の陸地域面積は世界大陸面積の14分の1であるにもかかわらず、地震発生件数は世界の3分の1を占めている。
世界最大級とされる大連の紅沿河原発基地が、まさに地震のリスクに直面しており、1888年に起きたM7.0の地震では、津波も発生したとされるが、防波堤は6.5mしかない。
内陸部における原発は、大きな河川や湖の岸に立地して冷却水の水源を確保しなければならないが、天候不順と温暖化による干ばつによって必要な水源を確保できるのかという問題に直面している。
2020年までに中国は合計で80基・原子力発電容量8000万kw以上という目標をめざしている。
中国原発の市場規模は2020年までに70兆円になる見込みで、すでに三菱重工、日立製作所、東芝、仏アレバ社などの企業は中国から原発設備などを受注している。
こうして先進原発諸国は中国の原発市場に大きな期待・関心を寄せているが、中国の原発戦略は、今後、国際原発市場に参入するプレーヤーとなることも狙っており、今後、中国企業は、比較的安い入札コストおよび政府のバックアップにより、国際原発市場に参入し、先進諸国の原発企業にとって、強力な競争相手となることが予想される。
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- 2012/06/28(木) 07:00:32|
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この本を手にしたのは、阪神・淡路大人災の時、村山首相が何を考え行動したかに関心があったからだ。
神戸から40km離れた茨木市に住み、大きな揺れに飛び起きると、テレビはNHK神戸放送局の局内が揺れる映像を繰り返していた。
神戸の実家に電話しても繋がらず、民放が火の手が街に広がっている映像を刻々流す一方で、NHKは閣議前の村山首相が雑談で笑っている。
後で首長が自衛隊や海外からの救援を断ったことを識り、「革新派」とよばれる首長が国と地方にいた時にこのような大震災が巡り合わせたことを呪ったものだ。
官僚を使いこなせる保守政権が担当していたら、あるいは違った結果が出たかもしれないと。
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あの地震があった時、僕は公邸にいて朝6時のNHKのニュースを見た。
神戸の映像は映っていなくて、地震のあった京都など震度は5とか6とかいっていた。
神戸の方が被害は大きかったのだが、ぜんぜん情報が入ってなかった。
しばらくして災害を担当する秘書官から電話があった。
「神戸の方で地震がありました。大変大きいようです。まだはっきりとした情報がないのですが、大きな被害が出そうです」と報告してくれた。
それから官邸に出ていってあっちこっち連絡を取ったんだが、とにかくマスコミなどにだいぶ叩かれたな。
当時はこうした災害時の政府の対応がきちんと整備されていなかった。
首相官邸には24時間対応するシステムはなかったし、担当の国土庁には当直制度もなかったんだ。
神戸との連絡もお昼近くになって初めてとれた。
対応が遅れたと言われると弁解の余地はない。
17日午前の閣議で災害対策基本法に基づく非常災害対策本部を発足させた。
滝実消防庁長官には「必要だと思うことはあなたの判断ですべてやってくれ。最後の責任は内閣が持つ」と指示をした。
1月20日には、北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官だった自民党の中里貞利氏に震災対策担当大臣になってもらった。
また各省が自分たちの持ち場でしっかり対応してくれ、対策本部で統合して対応した。
そういう意味では組織的対応ができた。
また、震災関連で必要な16本の法律をわずか1か月で成立させることができた。
当時の国会は野党も「必要なことであり、反対できない」という対応だったな。
官僚が中心になって物事を決めるため政治判断が円滑にできないというので、五十嵐広三官房長官や石原信雄官房副長官らと相談して、本部長が総理で全閣僚がメンバーとなる「緊急対策本部」を19日の閣議で別途、設置したんだ。
とにかく内閣が一体となって政治主導を発揮して地震災害対策に取り組む態勢を作ったんだ。
内閣も各省も国会も官僚も、みんな一つの方向に向かって取り組んでくれた。
それが一番良かった。
阪神大震災と比べると東日本大震災は単に地震だけではなく津波に加えて原子力発電所の事故など災害の規模も質も全く違うから、一概に比較はできないと思う。
それにしてももう少しやりようがあったのではないかな。
この末曽有の大災害の復旧復興に対し、必要な対策は政局抜きで政も官も、与党も野党も一体となって取り組むことが大事だ。
その責任は内閣にある。
だからこそ総理大臣のリーダーシップが問われる。
阪神大震災のときは自民、社会、さきがけの与党3党は一丸となって取り組み、特に自治大臣の野中広務さんや運輸大臣の亀井静香さんをはじめとする各閣僚はそれぞれの持ち場の中で積極的に行動してくれた。
また、野党もこと災害対策については積極的に協力してくれた。
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編者の薬師寺克行氏の言葉が全てを物語っている。
「村山政権は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などに見舞われたが、その都度中心になって対応したのは野中広務氏や亀井静香氏ら自民党出身の閣僚だった。
また、村山氏の口から出た首相時代の相談相手はやはり自民党出身で新党さきがけの武村正義氏や園田博之氏だ。
野党しか知らない議員ばかりの社会党に政権を担うことは最初から無理だったのかもしれない。」
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- 2012/06/27(水) 07:00:00|
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9・11をきっかけに、米国は国際的なテロリズムや大量破壊兵器の拡散といった新たな脅威に対応するために、その軍事戦略を抜本的に見直し始めた。
世界各地に展開する米軍の再編にも着手する。
2002~06年の4年間にわたる交渉で、在日米軍と自衛隊の司令部機能が統合された。
ワシントン州にあった米陸軍の第一軍団司令部はキャンプ座間(神奈川)に移され、そこに陸上自衛隊の中央即応集団司令部が設置され、米空軍の横田基地(東京)には、航空自衛隊の航空総隊司令部が同居することになった。
軍事的な面での結びつきが強固になる一方で、日米両国のあいだには、長年にわたって喉元に突き刺さったままの問題が残されている。
在日米軍の基地面積の約75%、兵員の60%以上が集中している沖縄の負担をどう軽減するか、なかでも沖縄が抱える基地問題を象徴するのが普天間飛行場の移設問題である。
米軍再編をリードしたラムズフエルド国防長官は、2003年に上空から視察して、「こんなところで事故が起きないほうが不思議だ」と漏らし、現実に事故も起きた。
沖縄にいる海兵隊は、1956年にそれまで駐留していた岐阜県と山梨県から、地元の反基地運動を受けて沖縄へ移動してきた。
沖縄の多くの米軍基地は、旧日本軍跡地や国有地を利用した本土の基地とは異なり、「銃剣とブルドーザー」で民有地を強制的に接収して造成された歴史があり、普天間飛行場もその例外ではない。
米軍は沖縄をアジア太平洋地域の「要石」として、東アジアの戦略的な拠点にし、実際、米国の本土以外で海兵隊の実戦部隊が常時配備されているのは沖縄だけである。
普天間移設が完全に暗礁に乗り上げる中、巨額の財政赤字削減に取り組む米国議会が、辺野古案は非現実的で、コストの少ない嘉手納基地に統合するよう検討すべしと提言した。
中国は現在、米空軍の固定基地から中国本土や沿岸へのアクセスを拒み、米海軍の行動の自由も拒否する、接近阻止・領域拒否戦略を進めている。
中国の空母を含む大艦隊が東シナ海から太平洋に進出するとき、沖縄本島と宮古島の問を通るから、沖縄に基地を抱えていることは危険だと、米国では基地を中国からもっと遠いところに移したり、分散したりするべきだとの声も根強い。
こうした変化の中で、日本防衛やアジア太平洋地域の平和と安定に在沖縄米軍が不可欠とされてきたが、これからは沖縄の防衛そのものが重要になるのである。
自衛隊の任務・役割の明確化や在日米軍再編計画の改定を視野に、日米が新たな協議を始める時期が到来した。
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- 2012/06/26(火) 07:00:33|
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「日本が米国に全面的に依存する。その結果、日本が繁栄する」という図式は、第2次世界大戦以降、米国が東アジア戦略の中で日本を最も重視してきたという事実がある。
当然、相手となる米国も、「日米関係を強固にすることが米国にとって極めて重要だ」という認識が必要となるが、今ここに変化が出ている。
外務省は1975年より、米国で「米国にとり、東アジアにおいて最も重要な国はどこか」の世論調査を行ってきている。
調査を開始した1975年から2009年まで、一般的な米国人はほぼ一環して日本を重視していたが、2011年に逆転し、米国人は中国を日本より重要と見なすようになった。
日本は過去20年、安全保障、外交で米国に従う姿勢を強化したが、この20年は「失われた20年」と重なって、この時期日本経済は決して成長していない。
1980年代後半は日本経済の全盛時で、米国国内で対日警戒心が極度に強くなり、87年の包括貿易法に「スーパー301条」が入っていた。
その主な標的は日本で、米国指導者層は日本を極端に警戒し、対日重視の度合いは対中国を下回った。
2011年9月24日付の英国「エコノミスト」誌は「GDP購買力平価ベースでは中国は2016年に米国を追い抜く」と報じている。
中国は米国の4倍以上の人口を有しており、中国の1人当たりGDPが米国の水準の4分の1であれば、国全体としてのGDPは米国を追い抜く。
2010年時点で1人当たりGDPが米国の4分の1の国にはブルガリア・ルーマニア・トルコ・メキシコがあり、十分に達成可能な水準で、経済力で中国が米国を追い抜く可能性は極めて高い。
そして、2020年が1つの岐路となる。
2011年12月に日本は次世代戦闘機としてF35の購入を決定したが、わかりやすく表現すれば、米国戦略の実施のために、日本のお金でF35を配備させ、自衛隊員を戦闘要員として使い、米国が指揮する体制が強化されたということである。
今後、自衛隊を米国戦略の中で使うという動きはますます増強される。
今後も、グアムや豪州等、中国大陸を攻撃の射程距離に収めつつ、中国からの攻撃に対する脆弱性を減少させられる地域に米軍を移動させる動きが出る。
こうしてみると米軍の対日政策は明確で、米国はオフショアー・バランシングの観点から自衛隊に役割分担を強く求め、同時に財政的理由により、在日米軍基地を維持する。
2005年10月、「日米同盟 未来のための変革と再編」で日本の役割として「島嶼部への侵攻への対応」がある。
つまり尖閣諸島へ中国が攻めてきた時は日本の自衛隊が対処する。
ここで自衛隊が守れば問題ないが、守りきれなければ、管轄地は中国に渡る。
その時にはもう安保条約の対象でなくなり、米軍には尖閣諸島で戦う条約上の義務はない。
尖閣諸島は日中間では「棚上げ」の合意がある。
「棚上げ」とは現状の日本による尖閣諸島の実効支配を認め、これを軍事力で変更しない約束である。
この約束は周恩来、鄧小平が尖閣諸島は中国側としては中国領であることを認識しつつも、日本との関係を発展させることが重要だという判断で譲歩したものである。
中国が譲歩し成立した「棚上げ」合意を日本側から破棄することは、あまりにも愚かな政策である。
東南アジアでは宗教はイスラム教・仏教・キリスト教と混在し、国の体制も王政・大統領制・議院内閣制もあり、対外関係では米国との協調を志向する国もあれば中立を志向する国もある。
ASEAN諸国は様々な異なりを持っているにもかかわらず、共通の目的がある。
それは「平和や経済的安寧の育まれるべき理想は域内諸国間の協力の促進によって最もよく達成される」という信念で、ASEAN諸国は、この信念が強ければ、異なりを克服できることを示した。
我々が学ぶべき英知は十分ある。
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- 2012/06/24(日) 07:00:21|
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日本の森は資源の宝庫で、資源の備蓄上の優位性を持ち合わせている。
にもかかわらず、国内林材による日本の自給率は28%にすぎず、国内需要は海外の木材の輸入の増加によって埋められているのが現状である。
対して、森林面積が日本の2分の1を切るドイツの森林自給率は87%、森林面積が日本の6分の1のオーストリアに至っては自給率が100%を超える。
高度経済成長期の爆発的な建築市場の活況で、資材価格の高騰から売り手が市場への品質や信用での配慮を忘れさせるような加熱した空気を広げ続けた。
その流れによって、林業の業態は近世的なレベルのまま、伐れば売れる状況が膨大な利益を生み出し、製品品質の改善や業態の転換を致命的に停滞させた。
昭和25~35年(1950~60)の日本林業の実態は、インフレによって生じた異常高騰による「狂気の乱舞」そのものである。
そうした日本の業界の状況が爛漫する中で、商社により製品として品質管理された外国材が流入すると、品質的にも規格的にも市場のニーズに的確に対処できない日本林材は抗することもできず、徐々に市場シェアを減退させていく。
また、この時期に林地の木を刈り尽くす皆伐と同時に行われた植林の手法にも大きな問題があり、皆伐植林された苗木の樹齢は、当然この時期の前後に集中し、人工林における林齢を極めて若い林齢に固定してしまった。
旺盛な消費と将来の供給の先細りを懸念して、国が行った国策事業「拡大造林政策」は、古来より日本で構成された二次林や里山を含めた「天然森林」を大規模に伐採し、その場所に商品価値が高く成長の早い樹種の苗木を植えた。
そうして植林される樹種には、杉・ヒノキ・アカマツ等が選択され、日本の森はこうして人口の森林へと強制的に転換されていった。
これら森の更新が当時、同時期に重なって進行した結果、現在の日本の人工林のじつに8割が、50年に満たない土地面積により構成されるという歪な現実を固定化してしまった。
そして、若い木ばかりの世話では儲からないから放置する、放置するから儲からないという悪循環が徐々に日本の営林の現場から体力を奪っていった。
森の中では負の連鎖が都会の人々の知らぬ場所で静かに進行し、濃緑の森の姿は維持されたまま、日本人が全く知覚しないレベルで森は荒れていった。
競争力喪失のベースには、高騰によって業態の改善や古い体質が固定されたまま、製品として極めて問題性の高い木材が不安定な供給体制で出荷され、それが高い価格帯で推移したことが最も大きい。
そして、樹種の固定と低い林齢構成の拡大により市場の需給バランスが変化し、市場価値が高いとされた樹種が供給過剰の構成となって決定的に材価を下落させてしまった。
このことによって、日本林業が衰退していったというのが本当の理由であった。
ドイツは年間4810万m2もの森林資源を生産しているが、ドイツでは森林が適切に管理されることで日本より安定して木材資源を産出している。
このように、ドイツ等の欧州森林資源の産出モデルでは、今日、切る以上に森林を生産しており、結果的に森林資源が枯渇しないように留意されている。
しかし、ドイツの2倍の森林を保有する日本は適切な管理を放棄し、大量に作り上げた人工林を生かす方法を見失っている。
今日、農水省が主導する「森林・林業再生プラン」は、長らく採算から離れた助成事業として衰退した林業を、合理的で健全な均衡的営林へと変革しようとする意思の現れである。
具体的に短期速攻の効果が期待でき、かつ持続的に恒常化し得る構造整備の施策として、林材の流通網を情報システム化することを提案したい。
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- 2012/06/22(金) 07:00:58|
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朝鮮人労務動員は日本帝国の動員計画の一部であり、それが遂行されていた時期には日本人に対する労務動員も行われていた。
ただし朝鮮人と異なり日本人の場合は炭鉱のような待遇の悪い職場に動員されることはなく、徴用された場合の援護施策は早い段階から準備されていた。
また、日本人の労務動員ではまがりなりにも地域社会の秩序に配慮した要員確保の制度が存在した。
当時の日本内地に国の政策を拒否できるような地方自治があったわけではないが、その地域の有力者が労務動員行政機構の連絡委員となることによって、ある程度の地域社会の経済や秩序への配慮をなしうる回路は確保されていた。
これに対して、朝鮮の労務動員はその地域の事情を考慮することなく、朝鮮の外部の人びとの目的のために遂行された。
しかも当時の朝鮮総督府が工業化の推進のために労働力が必要であると言っても、それが聞き入れられることはなく日本内地へ送出されるべき人員要求は拡大した。
労務動員の初期段階の募集では私企業が主体となって人員確保が追求され、私企業の派遣する労務補導員らは、地域に存在する労働力を無理やりに奪い移動することに痛痔を感じなかったであろう。
このような大量の朝鮮人の日本内地への移動は、戦争遂行という国家の至上課題のために行われたにもかかわらず、日本人の間で歓迎されなかった。
朝鮮人労働力導入の要望を提出したはずの石炭産業内郡においてすら、一部にこの施策に疑問を呈する声があったことを確認できるほどである。
それは生産性にかかわる経営Lの利益の観点からなされていただけでなく、朝鮮人の存在が日本人を脅かすといった危機感とかかわっていた。
しかもそうした意識は戦争遂行によって日本人青壮年男子が日本内地において減少し、朝鮮人が生産の重要な要素を担い、相対的に「上昇」していくことで、ますます強まっていった。
戦時下の朝鮮人は、同じ帝国臣民とされながらも、日本人に対しては見られなかったような手段を用いた動員の対象となり、不利な条件のもとでの労働を強いられた。
だが、これは日本帝国のマジョリティたる日本人がマイノリティの朝鮮人を犠牲にすることで恵まれた立場にいたということを意味するわけではない。
労働力不足のなかで増産を実現しなければならないという問題の解決策の選択肢は、労働者の生産意欲を高め、労働時間を適切に管理するなどして、生産性を向上することで労働力不足をカバーする政策もあり得た。
だが、そうした選択はとられなかった。
これは朝鮮人労働者を不利な条件で働かせることを当然とすることによって、日本人労働者の待遇も改善されないままとなったことを意味している。
そのようにして、過酷で危険な労働環境であることが知れ渡っていた炭鉱では、監獄部屋のごとき労務管理がむしろ再び増えた。そしてそこには日本人も就労していた。
結局のところ、マイノリティに不利な条件を押しっける国家や社会はマジョリティをも抑圧していた。
そして、そのような状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが、朝鮮人強制連行のようなマイノリティに対する加害の歴史をもたらしたのである。
朝鮮人強制連行の歴史は〝朝鮮人のために日本人が覚えておくべき歴史”ではない。
民主主義を欠いた社会において、無謀な目標を掲げて進めることが、もっとも弱い人びとを犠牲にしていくことを示す事例として記憶されるべきである。
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- 2012/06/21(木) 07:00:27|
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日経などの新聞メディアが菊川会長の「ウッドフォードは独断専横だから解任した」という会見をウ呑みにして報じた。
ところが、そのウソは、翌日のフィナンシャル・タイムズがウッドフォードの独占会見を報じたことで、たちまち馬脚を現した。
ロンドンに帰国したウッドフォードが積極的にメディアに資料をバラまいたものだから、英国の経済検察にあたる重大不正捜査局(SFO)や米国の連邦捜査局(FBI)も動きだした。
知らぬ存ぜぬで押し通してきた菊川社長兼会長がとうとう辞任を余儀なくされ、やがてプレッシャーに耐えかねたように腹心の森副社長と山田秀雄監査役が、90年代からの「飛ばし」の損失穴埋めを〝白状〟した。
87、88年ごろは、企業の財務部でも財テクをしなければ人にあらずみたいに言われた時代。
特定金銭信託やフアンド・トラストという商品は簿価分離ができるから、株価が上がっても含み益を出さずに済む。
その仕組みを開発したのが野村證券だった。
大企業の財務マンたちが新しい収益源となる営業特金やファントラにどんどん深入りしていった。
オリンパスも事情は同じで、第三者委員会の調査報告は、内視鏡など医療器具では圧倒的なシェアを誇っていても、それだけでは成長に限界があると感じて80年代半ばから財テクに手を出した、と分析している。
その後の証券取引法改正で、損失補てんは事前も事後も禁止され、代わりに補てんできなくなった含み損を世話する「請負人」たちが誕生した。
請負人たちの多くは、証券会社の営業マンで、今回逮捕されたグローバル・カンパニーの横尾宣政社長や、アクシーズ・ジャパン証券の中川昭夫ら旧野村證券組は、90年代にオリンパスに食い込み、インサイダー情報で値上がり確実と知った日本鋼管(現JFE)株などを買わせては恩を売り、主幹事の山一を出し抜いていったという。
損失隠しを認めた後は、怒涛のような国内メディアの報道合戦も始まり、オリンパスの事業に深刻な影響が出始めた。
病院の出入り禁止や、部品の現金購入となり、事業価値自体が毀損しかねない状態だ。
オリンパスの元専務・宮田耕治さんが“社員が立ち上がるサイト”を立ち上げ、危機感を覚えた社員の「体制変換」を求める電子署名運動に拡大した。
結局、宮田元専務に同調する社員の動きは体制変換には至らず、会社の経営体制そのものは旧態依然。
オリンパスは「もの言えば唇寒し」の企業文化を変えられないまま、銀行管理会社になってしまった。
同様に東証上場企業だったライブドアは、04年9月期の連結決算で約53億4700万円を粉飾したとされ、一発で上場廃止になった。
長年にわたって1235億円の粉飾をしたオリンパスが上場維持というバランスの悪さに納得がゆかない。
日本の証券市場も「ウチ」の論理に染まっており、大事なのは日本の経済界のエスタブリッシュメントを守ることになってしまっている。
2012年2月27日に、オリンパスは「新経営体制」を発表し、新聞は「米国型のコーポレート・ガバナンス」だと無批判に書いていた。
事件発覚後、オリンパスは、悪いのは菊川元社長ら一部の経営者で、会社には問題がなかった、という筋書きですべて語ろうとしている。
オリンパスが隠し続けた巨額損失のおおもとは、バブル崩壊後の「特金・ファントラ」と呼ばれる金融商品に遡る。
その運用を行っていたのは山一證券だった。
山一が作った損失をその後引き受けた野村證券出身者が「飛ばし」てきた。
その後、損失は雪だるま式に大きくなっていった。
山一の「滅びの遺伝子」がその後もオリンパスに息づいていたのかもしれない。
その遺伝子を偏狭な「ウチ」意識と置き換えることも可能だろう。
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- 2012/06/20(水) 07:00:31|
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古代ローマの公衆浴場と現代日本の銭湯が混在する愉快な作品『テルマエ・ロマエ』で手塚治虫文化賞とマンガ大賞2010をW受賞したヤマザキマリに『ルミとマヤとその周辺』という作品がある。
1970年代の北海道の小さな町を舞台に7歳と5歳の小学生の姉妹の日常を描いている。
佐藤家の姉のルミと妹のマヤは小さな町の団地に住んでいる。
父親は亡くなり、母親はヴァイオリニストで演奏の仕事が忙しい。
そのために2人はしばしば鍵っ子になる。
帰りが遅い母親を待つ姉妹のことを心配して同じ棟に住む高校生のおねえさんが様子を見に来たり、「ハルばあちゃん」が2人を孫のように可愛がってくれる。
佐藤家の2人は団地の子供になっている。
ルミとマヤには父方の祖父母がいる。
苦労して土地を開拓してきた。
夏休み、ルミとマヤはいつものように祖父母の農場に遊びに行く。
祖父母の家の近くに同じ開拓者の農場がある。
タツさんという老人が1人で住んでいる。
息子は町へ出て行った。
公団が道路を造ることになり、農場を次々に買い上げている。
タツさんだけは苦労して開拓して来た土地は手放さないと抵抗している。
農場には「ハナちゃん」というタツさんと同じように年を取った牝牛と「サブロウ」という大きな猫がいる。
「牛がたったの1頭でも生きているうちは わしはここを手放せねぇよ」とタツさんは言う。
ルミとマヤは幼心に大人のつらさを思い知る。
大きな地震が起きる。
祖父母の家は無事だったが、タツさんの牛舎はつぶれて「ハナちゃん」は死んでしまう。
ルミとマヤはお祖父さんに連れられて見舞いに行く。
タツさんが号泣している。
「ごめんよォ ハナヨォォ 助けてやれなくって ごめんよォォ。
わしには おめえに新しい牛舎を作ってやる金もなかったなんてえっ ゆるしておくれーつ。」
ルミとマヤは大人が泣くのを初めて見る。
しょんぼりしている2人に祖父が声を掛ける。
「せっかくの夏休みなのに……、
2人にはいろんな辛い目に遭わせてしまってすまんかったのう…。
でもじいちゃんは 2人がクツさんやハナちゃんに会えたことは いかったと思っとるよ。」
ルミとマヤは長い旅から帰ってきた母親に抱きつく。
大人は子供を抱きしめる。
ヤマザキマリ自身がみんなを抱きしめようとしている。
そう、幸いなことに「サブロウ」という猫は無事だった。
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- 2012/06/19(火) 07:00:47|
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