続・竹林の愚人 2013年07月

恵解山古墳

恵解山古墳

恵解山古墳(いげのやまこふん) 長岡京市勝竜寺・久貝
国史跡 兵制26年10月完成予定。 

恵解山古墳


恵解山古墳

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  1. 2013/07/31(水) 22:39:11|
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長岡京の社寺

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  1. 2013/07/31(水) 22:35:30|
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長岡天満宮

長岡天満宮
 
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう) 長岡京市天神2-15-13
御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれたゆかり深いところである。
公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「わが魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立である。
爾来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造された。
中堤両側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わう。
現在の本殿は昭和16年に京都の平安神宮の本殿を移築したものである。
 長岡京市観光協会・(社)京都府観光連盟

長岡天満宮


長岡天満宮


長岡天満宮

拝殿

長岡天満宮

本殿 祭神:菅原道真
地元開田村の氏神である長岡天満宮の境内は、江戸時代に八条宮(のちの桂宮)家のまつる神社として社観の整備が重ねられてきました。
近代になると、明治35年(1902)の菅原道真公千年忌を契機に組織された長岡保勝会によって、活発な社殿の建築が進められます。
さらに昭和16年(1941)には、平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されました。
江戸時代に形づくられた境内のなかに、近代の優れた建造物が立ち並ぶ特徴的な社観は、歴史的な価値や造形上の質において高く評価されています。
  平成24年11月  長岡京市教育委員会

長岡天満宮

山神社

長岡天満宮

龍神社

長岡天満宮

稲荷神社 倉稲魂神猿田彦命・大宮女神 

長岡天満宮

春日社 経津主命・天児屋根命・比売神  八幡社 応神天皇

長岡天満宮

和泉殿社  白太夫社      長岡大明神社殿旧阯

長岡天満宮

笠松地蔵

長岡天満宮

八条ケ池
天満宮の東側に南北に細長くのびるこの池は、八条宮智仁親王にちなんだものです。
神社の由来書によると、江戸時代に当地一帯を領した親王が、寛永15年堀を掘ったものといわれています。
以来今日まで、農業用の溜め池として利水されてきました。
池のほぼ中央にのびる中堤には、きりしまつつじが参道の両側に植わっています。
このきりしまつつじを守るために、平成3年より中堤の整備工事が行われました。
 平成5年3月   長岡京市・長岡京市教育委員会

長岡天満宮

長岡天満宮

『都名所図会』
長岡天満宮 は開田村の西にあり。当社は天満天神官の鎮座にして、神殿の額は霊元帝の宸翰なり。
社記に日く、菅丞相太宰府にうつされ給ふとき、暫くこの所に駕をとゞめ給ふなり。
菅氏東小路祐房といふもの、この地まで随ひ奉りて御余波を惜みけるに、菅丞相みづから尊容をうつし、祐房にさづけ給ふ。後に小社を営みて長岡天満宮と崇め奉る。
社頭の道の左右は池塘広くして、風生じては細浪漲り、萍茂りては魚鱗かくる。汀には紅葉多くして、水の面に夕陽を湛へ、秋の碁を踟躊す。
風景いちじるし。

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  1. 2013/07/31(水) 22:33:43|
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乙訓寺

乙訓寺

乙訓寺(おとくにでら) 長岡京市今里3-14-7
真言宗豊山派長谷寺の末寺。洛西観音霊場第6伴札所。本尊、合体大師像。
寺伝によれば、推古天皇の勅願によって聖徳太子が開いたとされる。
長岡に都があった延暦4年(785)に早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉された地として、また嵯峨天皇の弘仁2年(811)に空海(弘法大師)が別当となった寺院として、歴史の表舞台にも登場し乙訓随一の大寺院として栄えていた。
江戸時代の元禄8年(1695)に護持院隆光が5代将軍綱吉の母桂昌院の援助により再興した。
また、重要文化財の毘沙門天像や市指定文化財の十一面観音像等がある。
境内には、ボタンが2000株余りあり「ボタン寺」としても名高く、洛西屈指の古刹である。
 長岡京市観光協会・(社)京都府観光連盟

乙訓寺

本堂
早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉されたことで知られる乙訓寺は、長岡京造営以前から、 かなりの規模の寺院であったことが寺院北側一帯の発掘調査によって判明している。
弘仁2年(811)唐から帰朝した空海(弘法大師)は、同年11月に乙訓寺別当に任じ られ、その修理造営を命じられた。
空海は、弘仁3年10月、高雄寺に移ったが、ここに 真言宗に由緒の寺としての歴史に印された。
中世には足利義満がこの寺を南禅寺の白英徳俊(応永10年寂)に与え、禅宗寺院として 再出発した。
法皇寺の寺号も称した。
5代将軍綱吉およびその生母桂昌院の信任の篤かった護持院隆光は、真言寺院としての乙訓寺再興を計画した。
当時、乙訓寺は南禅寺金地院の兼帯地であったので、東山豊国神社辺にあった文殊院屋敷を拝領し、金地院と交換して乙訓寺の地を入手した。
工事は元禄7 年(1694)12月8日に起工、翌8年5月21日竣工し、6月15日に供養した。
造営後は宝永2年(1705)8月まで隆光の直接支配下にあったが、この年に長谷寺に芳運房元貞が入山して1世となり翌3年11月に護摩堂が建立された。
近世中期の寺観は都名所図会により窺うことができる。   
   平成2年2月  長岡京市教育委員会

乙訓寺

毘沙門天堂 毘沙門天立像

乙訓寺

地蔵堂 日限地蔵尊

乙訓寺

鎮守八幡社

乙訓寺

鐘楼

乙訓寺

早良親王供養塔

乙訓寺

モチノキ

乙訓寺

『都名所図会』
大慈山乙訓寺(おとくんじ) は西岡今里にあり。
当寺は推古天負の御願にして、聖徳太子の開基なり。
その後弘仁二年の冬、弘法大師別当職に補し、八幡宮の示現を蒙り、大師の像を彫刻し給ふに、御首は八幡宮化現し、神像にきざみ給ふ。
これ密法擁護のしるしなりと。故に神仏合体の御影といふ。
当寺の本尊これなり。例祭三月二十一日開帖す。
また寛平法皇脱履のはじめ行宮とし給ふ。これによつて法皇寺とも名づく。
いにしへは方境広大にして伽藍厳重たり。中頃南禅寺の伯英和尚住職し、また武州護持院再興ありて真言宗とあらたむ。
閼伽井は乙訓寺の東にあり。大師密法修行の時、汲み給ひし雲水なりとぞ。
    今里 (和歌に詠ず)
     日暮るれば遠の今里蚊火たてゝ鳥羽田の面に烟たなびく   覚明法親王

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  1. 2013/07/31(水) 07:00:28|
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赤根神社

赤根神社

赤根神社(あかねじんじゃ) 長岡京市今里赤根4-214-1
当神社は赤根天神社と称し、祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊を祀っている。
古い昔より、その神徳を願し、地域住民は家内安全、五穀豊饒を祈願して参り、 古い書物や今里自治会館に保存してある古文書にも色々と記録されている。
古老の話などでは、その昔、今里には神輿が1基あって向日神社の御旅所でもあった。
年間の行事には元旦祭を初め、お節会祭・向日神社還行祭・お千度参りなどがある。
その他、五穀豊饒にまつわる祭も盛大に行われている。
現在、神社のお守りは、今里区民が1年交替で毎月1日と15日に本殿や参道を掃き清め、御神酒をお供えし、鎮守の神として区民の安全を祈願している。
近年は、近郷の人々の参拝もとみに多い。        長岡京市観光協会・(社)京都府観光連盟

赤根神社

赤根天神社は、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭神とする。
もとは、井ノ内の旧石田家が奉祀する神社で、応仁の乱で焼失したが、それまでは、この地に石田家の屋敷があり、屋敷内にたつ鎮守社であったという。
現在、赤根天神社は、今里区民の鎮守として奉られている。
今里集落の北端に位置し、社地は南北に長く、南に鳥居をおき、参道は北へのびて本殿・社務所に達する。
本殿は、正徳3年(1713)10月の造営と伝えられるが、蟇股・虹梁絵様などの細部意匠は18世紀前期のもので、正徳3年造営の可能性は大きい。
本殿は、覆屋内に建つこけら葺の一間社流造で、正面に奥行1間の前庇を付けて拝所としている。
身舎は、亀腹基壇の上に土台を据えてたち、正・側面3方に高欄付きの切目縁をめぐらして、正面に浜床を設けている。
身舎内部は2室からなり、内陣正面に板扉、外陣正面に格子戸4枚をたてている。
比較的規模の大きい一間社流造で、全体に堅実な造りとなっている。
本殿には「寛永二歳酉三月日、源平寺町、久右衛門」の刻名のある瓦製狛犬1対を安置している。
また、境内には、宝永6~7年(1709~10)に石田瀬兵衛政永が寄進した石灯籠や石鳥居が現存している。
当社は、在地の土豪の旧鎮守社という由緒も加わって、当地の歴史を語るうえで興味深い存在である。
  平成12年3月   長岡京市教育委員会

赤根神社

祭神:伊弉諾尊・伊弉冉尊

赤根神社

太神宮・天神社

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  1. 2013/07/30(火) 23:19:11|
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角宮神社

角宮神社

角宮神社(すみのみやじんじゃ)  長岡京市井ノ内南内畑35
式内社。乙訓坐火雷神社、略して乙訓社とも言う。
祭神は、本殿向かって左に主神火雷神と玉依姫、建角身命、活目入彦五十狭芽尊の四神を、右に春日神(三神)を祀る。
乙訓坐火雷神は、玉依姫の夫神で「山城風土記逸文」の賀茂伝説に丹塗矢の古事として見え、その御子別雷神を祭神とする上賀茂社、玉依姫と建角身命を祭神とする下賀茂社と共に国の大弊にあずかる名神大社として社格の高い社であった。
初見は「続日本紀」の大宝2年(702)の条で、殊に祈雨神として平安中期までは国史に度々出ている。
承久の変(1221)で灰燼に帰し容易に復興を許されなかった。 
旧社地は井ノ内の西部(宮山)にあったが、文明16年(1484)今の地に再興され、井ノ内の産土神として祀られている

角宮神社

拝殿 元禄3年(1690)造営で、長岡天満宮から昭和17年(1942)に移築。

角宮神社

本殿

角宮神社

角野神社〈左) 祭神:火雷神・玉依姫命・建角身命・活目入彦五十狹茅尊 
春日神社(右) 祭神:春日神(三神)


角宮神社

八幡宮

角宮神社

大神宮・稲荷社・ 向日神社

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  1. 2013/07/30(火) 22:00:09|
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増井神社

増井神社

増井神社(ますいじんじゃ) 向日市向日町北山
「奉寄進 増井神社・天保4年 浪速北浜 加嶋屋藤十郎 大西茂興」 
大坂・浪速の大火の時、神のお告げにより増井の水を持ち帰り、燃えさかる火にかけて消したという。 

増井神社

向日神社より石段を下る。

増井神社

本殿 祭神:火雷神

増井神社

増井井戸 火雷神の荒魂

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  1. 2013/07/29(月) 21:04:37|
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天満宮

天満宮

天満宮(てんまんぐう)  向日市森本町前田37

天満宮

本殿 祭神:菅原道真

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  1. 2013/07/29(月) 19:53:00|
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森本遺跡

森本遺跡

森本遺跡(もりもといせき) 向日市森本町下森本24-91・30-6 向日市立第三向陽小学校グラウンド 

森本遺跡

森本遺跡記念碑 昭和57年(1982)12月建立。

森本遺跡     森本遺跡
森本遺跡は、1~3世紀にかけて営まれた集落と生産施設を伝える遺跡です。
1970年の発掘調査の結果、2時期にわたる灌漑用水路と、水田の畦畔跡が発見されました。
これらによって、当時の人々が、南に広がる台地上に集落を営み、台地の裾に用水路を構築し、北東に広がる平地を開墾して、生活していたことがわかります。
同時に出土した人面土器は、こうした労働に携わった人々の顔を伝えてくれるし、杵や鋤は、労働の様子を思い浮かばせてくれます。
森本遺跡の周辺では、石田川沿いに数多くの遺跡が知られています。
下流の石田遺跡は縄文時代後・晩期の遺跡です。
鶏冠井(かいで)遺跡は弥生時代前期の遺跡で、雲の宮遺跡(長岡京市神足)とともに京都府下で最も早く、米作りの行われた所として知られています。
上流の寺戸町岸ノ下では、方形周溝墓と呼ばれる墓跡が発見されており、森本遺跡の墓域として注目されています。
弥生時代以後も、森本遺跡の集落は南接する台地上には、山開古墳が造られ、平安時代には、長岡宮が造営されるなど、当地は、連綿と続く歴史を知るうえで、貴重な地域であることがわかります。          向日市教育委員会

森本遺跡

森本遺跡

森本遺跡


森本遺跡

人面付壺形土器 顔面部片  京都府指定文化財 弥生時代
昭和44年(1969)、第3向陽小学校の建設に伴う発掘調査で、運動場予定地の南端で発見された弥生後期の水路跡の底部から出土した。
表からヘラで切り取って切れ長の眼をあけ、眼のふちに遅い沈線を刻む。
眉と鼻は粘土を貼り付けて作り、鼻の孔まで表現されている写実的な作り。
もとは壺の側面の一部で、制作は水路の時代よりさかのぼる弥生中期とされる。
悪霊を払う農耕のマツリに使われたとみられており、この土器の発見が森本遺跡の名を全国に知らせた。

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  1. 2013/07/29(月) 07:00:51|
  2. Historic sites
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向日の古墳

物集女車塚古墳(もずめくるまつかこふん) 向日市物集女町南条

元稲荷古墳(もといなりこふん) 向日市向日町北山 勝山公園

五塚原古墳(いつかはらこふん) 向日市寺戸町芝山

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  1. 2013/07/28(日) 22:18:53|
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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