続・竹林の愚人 2013年08月

危ういハイテク機とLCCの真実


危ういハイテク機とLCCの真実危ういハイテク機とLCCの真実
(2013/04/25)
杉江 弘

Amazonを見る

ボーイング、エアバスといった現代のハイテク機の設計は、人間工学に立脚するという当り前のことも忘れたかのように進んでしまった。
人類は500万年前に誕生し、ゆっくりと足元を踏みしめるように進化の道をたどってきた。
そのため、人間の持つ本能はほとんど変わらず、どんなスーパーマンのような人でも凡人と同じようなミスを犯すことがある。
これに対し、航空の歴史はたかだか百年、ジェット旅客機誕生からはわずか半世紀しか経っていない。

航空機メーカーはコンピュータを武器にして急速な技術革新を成し遂げ、コクピットの自動化も押し進めてきた。
その結果、機体やエンジン、それに管制などの分野では安全性は大きく向上したが、自動操縦システムを中心としたコクピットの自動化はどうなったか。
メーカーは職人肌のパイロットでなくても簡単に操縦できると、これを航空会社への“売り”としてハイテク化を進めてきた。
しかし、それは時に複雑過ぎることもあり、また時には人間の本能を考慮してくれないものとなってきた。
人間工学的には、在来型のコクピットの方が安全面では優れていることは疑いようもなく、それを証明する一つにアメリカの大統領専用機がある。
使用機はボーイング747・200Bの改造機で、航空機関士と航空士も乗務して、火災やナビゲーション・トラブルなど、いかなる緊急事態にも対応できる仕様になっているのだ。

我々はコクピットのハイテク化の針を少し前に戻すべきである。
グラスコクピットでも、速度計や高度計はデジタルからアナログ計器に戻し、パイロットが瞬時に状況を判断できるようにすべきだ。
そのモデルはJALやANAのボーイング767にすでに存在している。
そして、パイロットの教育訓練についても、マニュアル(手動)で操縦できる能力、とりわけベーシック・マヌーバー(基本的な操縦技法)をこれ以上低下させないようにする。
エアバスA330の事故では、速度表示と失速警報が出たり消えたりしたため、パイロットはどうしていいかわからなかった。
しかし、機体がガタガタとパフェツト(振動)を起こしているのだから、明らかに失速状態なので、計器がどうであれ回復操作を行う必要があったのに、できなかったのである。

これまでのパイロットは五感を働かせて操縦するのが常識であった。
残念なことに、ハイテク機の事故でパイロットが混乱し、手動によって失速から回復させることができず墜落させてしまう事故がアメリカ以外の国々で起こっている。
このような状況を生み出している原因は、航空界の特殊な構図にもある。
メーカーはユーザーである航空会社、とりわけパイロットの意見や要望を開かず、一方的に設計する。
それに関わる技術者たちは飛行機を操縦したことがなく、テストパイロットが飛んで判断するだけだ。
1988年にフランスで開催された航空ショーでは、最新鋭のエアバスA320が乗客130名を乗せたデモフライトで森の中へ消えて炎上した。
原因はエアバス社の導入責任者でもあった機長が自動操縦システムが最後まで失速を防いでくれるものと信じて、手動に切り替えることをしなかったことにある。
エアバス社のテストパイロットが新しいロジックをよく理解しないで起こした事故は、1994年にツールーズで試験飛行中のA330でもあった。

これからは、パイロットの意見をメーカーに上げて、必要ならアナログ計器を一部に採用したり、自動操縦システムにも注文をつけるといったことも行わなければならない。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/31(土) 07:00:59|
  2. BOOK
  3. | コメント:1

海から見た歴史


東アジア海域に漕ぎだす1 海から見た歴史東アジア海域に漕ぎだす1 海から見た歴史
(2013/01/17)
不明

Amazonを見る

1274・81年の2度にわたる日本侵攻以外にも、元朝は朝貢勧告や協力要求にしたがわないジャワ・チャンパー・陳朝大越に出兵した。
しかし、戦役が終息したのち、こうした諸地域との貿易はむしろ活況を呈した。
実際、14世紀は、近代以前において日本から中国へわたった僧侶がもっとも数多く確認できる時代だ。
このことは、彼らが渡航に利用する日中間の貿易船が、それだけ恒常的かつ頻繁に往来していたことを意味する。
元朝に対して軍事的な警戒態勢をとりながら、日本の朝廷(公家政権)や幕府(武家政権)は、寺社経営の資財を調達するためのパトロンとなる形でみずから中国との貿易に関わっていた。
政治権力による柔軟な港湾管理と、貿易に対する積極化という状況が各地に共通してみられ、それが政治的・軍事的な緊張をともなうなかで維持・増進された。

中国では唐代の8、9世紀以来、南部地域で運河・耕地の整備にともなう開発がすすみ、大規模な人口移動がおこり、東南沿海部に経済の重心が移動していった。
元朝治下では華北と江南をつなぐ陸上・水上の交通が整備され、穀倉地帯である江南で徴収された税穀が国都の大都(現在の北京)まで海上輸送される。

日本では10世紀ころから大規模な農地開発がすすみ、12世紀には貴族や大寺社の荘園が発達。
そして二毛作・畑作の普及による集約化と生産性の向上がすすみ、工芸作物の栽培が発達してくる。
こうしてうまれた余剰農産物や手工業品は商品経済の発達をうながし、京都・鎌倉の2大都市を核とした都市間交通と地方をつなぐ交通も発達し、港町を廻船が往来した。
物流の拠点には運送・委託販売業者の問(問丸)が登場する。
そして公家政権(朝廷)・武家政権(鎌倉・室町幕府)・壮園領主・大寺社などが設置した関所で関銭(通行料)が徴収された。
鎌倉幕府の実権をにぎった北条氏は、こうした交通・物流の拠点を所領にしていき、京都の朝廷も津料(港湾通行料)の徴収権を積極的に大寺社に寄進するようになる。
仏教教団も活動の場として注目し、13世紀半ば、叡尊にはじまる西大寺流律宗は、北条氏ともむすびつきながら全国の宿・港町に進出した。

この時代、東アジア海域における交流の中軸を担ったのは、遠隔地をむすぶ貿易と、そのための航海に従事する人々で、東シナ海・南シナ海、および黄海にわたって活動したのが華人海商である。
南シナ海でも、9世紀末の黄巣の乱の影響でムスリム勢力が一時的に東南アジアまで後退し、10世紀以降、華人海商が南海貿易に進出していった。
いっぼう、南シナ海からインド洋にかけてはアラブ・ベルシア系のムスリム海商が活躍していた。
これに対し、日本や朝鮮、東南アジアの現地商人も華人海商やムスリム海商などの組下にまじって貿易に参加して航海や商取引のノウハウを蓄積していった。
こうした商船の活動と海商のネットワークを利用して宗教関係者が海上を往来した。
黄海・東シナ海では仏僧、なかでも禅僧が代表的であり、その活動範囲は江南・華北・日本・朝鮮にまたがる。
南シナ海でも仏教の僧侶や巡礼者のほか、イスラーム教のウラマー(イスラーム学者)やスープィー(神秘主義修行者)をはじめ、さまざまな宗教関係者が往来した。

8、9世紀までは、遣唐使といった国家的な使節団が中心となって華北の大都市を中心に展開した「文明」を日本に輸入する時代であった。
しかしこれにつづく時代では、日本・中国ともに民間貿易を主流とする往来が活発になる。
その結果、中国江南沿海部の港市とその周辺地域に展開していたすそ野の広い中国の「文化」が輸入され、それが日本に「文化」として定着する時代が到来したのである。
茶・水墨画・能・狂言などの中核には、この時期の中国との海域交流を通じて伝来したさまざまな要素がある。
そしてそれは、貿易船が行き来する江南、とりわけ沿海部の漸江地方を中心に展開していた「文化」であった。
このように東アジア海域においては、海を通じた文物交涜の重心が、中国華北の「文明」から江南の「文化」へと移行していったのである。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/30(金) 07:00:00|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

海から見た日本人


海から見た日本人-海人で読む日本の歴史 (講談社選書メチエ)海から見た日本人-海人で読む日本の歴史 (講談社選書メチエ)
(2010/04/09)
後藤 明

Amazonを見る

礼文島の船泊湾に総延長1kmにもおよぶ船泊遺跡がある。
放射性炭素の年代は今から約3500~3800年前で、出土した土器などから縄文後期中ごろに相当することがわかっている。
遺跡からは、メノウ製のドリルで穴を開けたピノスガイ製のディスク状平玉が墓から多数出土し発掘者を驚かせた。
さらに少数ながら南方のイモガイ、マクラガイ、タカラガイを利用した遣物も出ている。
また、埋葬址で見つかった風葬された人骨の手元に直径7.3cmもあるヒスイ製の大珠が置かれて、このヒスイは新潟県の糸魚川産と推測されている。

薩摩半島の黒川洞穴からはイモガイを縦割りにして、その頭頂部の両端に孔を2つ穿った垂飾品が出土している。
類似の資料は種子島の広田遺跡の下層人骨にもともない、さらに奄美大島奄美市長浜金久第3遺跡、沖縄県伊江島のナガラ原西貝塚、沖縄本島の読谷村大久保原遺跡、宜野湾市安座間原第1遺跡などでも発見され、縄文晩期の特徴と考えられている。
一般に奄美・沖縄の縄文晩期土器は本土の影響が強く、このころ琉球列島と九州方面で交易活動が行われていたことが推測される。

高橋貝塚からは南海産の貝類を素材とした貝輪が大量に出土しており、貝輪の第1次加工場であったことが推測される。
ここで作られた未成品は北部九州、瀬戸内沿岸、さらにそこから東方に運ばれてそれぞれの地で好みの形態の貝輪に加工された。

同じ縄文晩期から弥生時代初期、五島列島から玄界灘、響灘沿岸部に至る地域に住む人々は南九州とは別系統の集団で、朝鮮半島の支石墓をもつという共通点がある。
彼らもゴホウラ、イモガイ、オオツタノハなどの円形の腕輪を製作していた。
考古学者の木下尚子は、この地域の貝輪の特徴は朝鮮半島の人々の持つ青銅製あるいはガラス玉の腕輪の模倣ではないかと推測する。

北部九州人たちはゴホウラのみを使用して貝輪を作り、西北九州人たちはこれにイモガイとオオツタノハを加えて貝輪を作った。
前者は平面的で円環状の貝輪を好み、後者は立体的で非円環状の貝輪を作った。
さらに弥生時代相当の沖縄の遺跡では、本土に移出するために集積したと思われる貝集積遺構が発見されている。

イモガイやタカラガイは南太平洋メラネシア付近で貨幣や貴重な財として扱われる。
貝輪や貝貨に使うような貝は海岸にごろごろしているような貝ではなく、海底に棲むものを潜って採りに行くような種類であることが多い。
日本列島では旧石器時代にすでに海を越えた神津島の黒曜石資源の利用が確実となっている。
精巧な加工のできる石材は限られているから、旧石器時代の人類が良好な石材を探査するのはもっとも基本的な性に従っていたのであろう。
また執拗に貝輪用のイモガイをいろいろな形で方々から求める人々がいる。
良質の石材を取りに遠征するのも、特殊な貝を採るために舟で漁場に行って潜るのも、しばしば儀礼をともなう行為であった。
交易活動とは人類が本来的にもっていたハビトゥス(habitus)、ホモ・サピエンス共通の性向のように思われる。
それ以上に移動あるいは探査、「旅」をする行為そのものが、アフリカから遠路移動してきたホモ・サピエンスの行動様式にビルトインされているハビトゥスなのではないだろうか?

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/29(木) 07:00:32|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

遙かなる海上の道


遙かなる海上の道―日本人の源流を探る黒潮文化の考古学 (プレイブックス・インテリジェンス)遙かなる海上の道―日本人の源流を探る黒潮文化の考古学 (プレイブックス・インテリジェンス)
(2002/03)
小田 静夫

Amazonを見る

今から7000~6500年前頃、九州最南端の佐多岬沖合約50kmの海底にある「鬼界カルデラ」から起こった巨大噴火は、完新世最大の火山災害事件であった。
ポンペイを滅亡させた数百倍の規模の火砕流が、海中から噴出し南九州地域の100km範囲を襲ったのである。
更に空中高く舞い上がった火山灰は、日本列島全域と、朝鮮半島にも降下し厚く堆積した。
恐らく火砕流分布地域は瞬時にして廃墟となり、生活していた縄文人は死滅したことは言うまでもない。
この列島最南端の一地方で起こった巨大噴火は、日本列島の縄文社会を根底から変革し、新しい日本列島人の歴史を決定づけた大きな出来事だったのである。
火山灰は周辺地域に暴風雨のように降り注いだのである。
また風に飛ばされた細粒の灰が大量に空中高く舞い上がり、広く日本列島各地に降り積もった。
これが「鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)」と呼ばれる堆積物である。
各地の厚さは南九州で70~60cm、東九州で50cm、近畿地方で20cm、東北地方南部で10cm、東北地方北部で5cmの層厚が観察された。
この火山灰層中には、縄文時代早期終末の東海系の天神山式土器が発見され、年代測定では6330(±85)年前とでたことから、鬼界アカホヤ火山灰は、考古学編年で縄文早期終末~前期初頭頃の噴出物であることが判明した。

鬼界カルデラの巨大噴火によって、南九州地方の縄文社会は壊滅状態に陥ったが、わずかに残った縄文人は、住居も埋まり動植物も死滅したムラを捨ててこの地を離れて行く。
ある集団は歩いて中部・北部九州へ、また海に熟達していた海人集団は、丸木舟や筏舟に乗り込んで対馬海流を利用して西部九州から、対馬海峡を越えて日本海側に北上して行き、また黒潮本流に出た集団は、四国、紀伊半島の太平洋沿岸から伊豆諸島の島々に7ノットにも達する激流を乗り越えて見知らぬ土地に移住して行った。
南九州縄文人の移住によって、列島内の縄文社会には大きな変革があった。
つまり先進的な新石器社会を営んでいた集団の技術や精神の伝達によって、新しい縄文文化が各地で誕生したのである。
海人集団の移住は各地の縄文社会の流通機構にも変化をもたらした。
新潟県糸魚川に産出する緑色貴石のヒスイ(翡翠)製品が、北は北海道、青森県から南は鹿児島県や遠く沖縄本島にまで出土している。
この数千kmにも及ぶヒスイの広がりは、南九州縄文集団、つまり海人技術が関与しなければなしえない遠大な海洋航行の産物であった。

アメリカのスミソニアン博物館の考古学者エバンズ夫妻が1965年に発表した仮説がある。
5000年前頃の九州有明海地方の縄文前期人が、漁に出て大風で丸木舟が流され太平洋を1万km以上も航行して、南米エクアドルに到達したというものである。
1999年にはハワイ・ビショップ博物館篠遠喜彦によって、赤道を越えたバヌアツ共和国のエファテ島で、縄文土器が発見されたという詰もある。
この土器は胎士分析によって、東北地方の縄文前期・5000年前の円筒下層式土器であることが判明している。
この2つの縄文人の壮大な渡航の話は、今日の日本の縄文文化の考古学的成果に照らせば、決して不可能なことではない。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/28(水) 07:00:37|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

ハワイ・南太平洋の神話


ハワイ・南太平洋の神話―海と太陽、そして虹のメッセージ (中公新書)ハワイ・南太平洋の神話―海と太陽、そして虹のメッセージ (中公新書)
(1997/09)
後藤 明

Amazonを見る

ハワイの創世神話『クムリポ』は、ハワイ王国の第7代目の王となったカラーカウア王の系統に秘密裏に伝承されてきた創世神話である。
『クムリポ』は2102行にもおよぶ膨大な叙事詩である。
宇宙の起源から始まり、延々と生物進化を語り、その次には気の遠くなる数の王の名前を語り継ぐ。
この神話はハワイ王国の礎を築いたカメハメハ大王の祖父の代にあたる王子の誕生のときに、おそらく18世紀初頭ごろに編まれて詠唱された。
その後、同じ系譜をひくカラーカウア王が1881年に公表した。
そして彼の後を継いで王位についた妹のリリウオカラ二女王が英語に翻訳したため、いまわれわれはハワイ王族の聖なる歌に接することができる。
リリウオカラニはハワイ王国最後の王で、『アロハ・オエ』の作詞者である。
19世紀末、彼女の治世のとき、アメリカの陰謀で王国が倒されたため、彼女は悲劇の女王となった。
『グムリボ』はハワイ王国の末期まで秘密にされてきた。
その語るところは生物学で教える進化論にも匹敵するほど科学的な部分がある。

クリムポ

『クムリポ』では最初の生物として珊瑚とポリプが現れ、さらに環形動物ないし線虫動物、棘皮動物、そして二枚貝、巻き貝といった軟体動物と一部節足動物というように、海に住む種類を中心として無脊椎動物が次々に出現する。
それに続いてリフレインの形で植物の発生が海藻、そしてコケやシダ類と、海生と陸生の種類がペアにされて延々と語られて第1歌が終わる。
第2歌では魚類を中心とする海生動物が現れる。
イルカ、タコなど泳ぐ動物である。
そして第2歌のリフレインには、魚類と陸生の植物がペアをなして語られ、「魚が生まれ、それはその植物に守られて」といった表現がとられる。
第3歌では若干の植物が生まれた後、昆虫や鳥などの飛ぶ動物が続く。
第4歌で這う動物が登場する。
これにはヤモリのほか、亀、エビなど海生動物も入っている。
第5歌では作物と家畜が一緒に語られる。
第6歌では鼠と王族の起源になる動物が現れる。
第1歌から第4歌までのモチーフは自然の動植物であり、第5歌になって、人間に近い、人間の手が加わった動植物へと移行する。
自然から文化への移行を表すといえよう。
面白いのは第6歌で鼠が登場することだ。
王の系譜が起こり、食物のタブーが定められ、陸と海の食物が満ちると鼠が登場するというわけだ。
人間の登場はまだだが、ハワイの王族の多くは動植物に系譜を辿るので、その礎がここで築かれたと言えるであろう。
第7歌までは夜であった。
不思議な第7歌は新たな展開を予感させる。
第8歌になると、いよいよ神々が登場する。
ライライという女神と、キイ、カーネ、カナロアという男神である。
第8歌の最後でついに昼が始まる。

クリムポ

神話に登場する神々、そして王族の系譜につながり第16歌で終わる。

『クムリポ』はハワイ人特有の生命観を無造作に披露したものではない。
何より『クムリポ』は聖なる子どもの誕生を祝う歌である。
そこには単に王権の系譜を神々につなげるためだけでなく、生物の発生と子どもの誕生のプロセスを重ね合わせる、という深淵な思考が見られる。
このように『クムリボ』には、その意味・内容だけでなく、民俗生物学、生物と神々の対応関係、生物のシンボリズム、さらに色彩や音声のシンボリズム、というように幾重にもマルチメディア的仕掛けが施されているのだ。
そしてわれわれはその全容をまだ解明し終えていない。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/27(火) 07:00:29|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

イチガンワーク ショップ

林巧イチガンワークショップ JAPAN PREMIER

林 巧(日本写真家協会会員)

8月25日(日) 11:00~12:00

ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター

ビデオのピントが合わせやすくなりました。
とにかくAFが早く、19ポイントのセンサーでピントを合わせる。
スマートフォンでリモート撮影もできます。
秒7コマの連写を楽しんで下さい。

EOS 70D

EOS 70D

EOS 70D

相変わらず、豪華なパンフと写真雑誌もおまけで頂きました。
さすがに役員が億単位の報酬を取る企業だけあって、大盤振舞いですね。

テーマ:大阪 - ジャンル:地域情報

  1. 2013/08/26(月) 07:05:50|
  2. GOODS
  3. | コメント:0

チキンラーメン バースデーフェスタ

 大阪駅

大阪駅は凄い雨です。
大雨の影響で、神戸線は一時運休となりました。

ナレッジキャピタル

ナレッジキャピタル前広場では催事があるようですが・・・。

チキンラーメン

「今日8月25日はチキンラーメンバースデー ありがとう55周年」
午後から雨も止み、テレビの取材班も来ていました。

チキンラーメン

チキンラーメンのマスコット・ひよこちゃんと一緒に「ハイ、チーズ!」

チキンラーメン

チキンラーメンの試食会です。
インスタントラーメンの原風景
戦後間もない頃、このあたりは一面の焼け野原で、闇市が立っていました。
寒い冬の夜、偶然近くを通りかかった安藤百福は、一軒のラーメン屋台に20~30mもの長い行列ができているのを目にします。
これがラーメンという食べ物を心に刻んだ原風景となり、後のインスタントラーメンの開発えと繋がっていきます。
今や、世界中で1年間に1,000億食以上も食べられているインスタントラーメンですが、その発想の原点が、ここ梅田にあったのです。

チキンラーメン

ひよこちゃんバス

チキンラーメン
 
ひよこちゃんふわふわバルーン。

テーマ:大阪 - ジャンル:地域情報

  1. 2013/08/26(月) 07:00:36|
  2. NEWS
  3. | コメント:0

木皿食堂


木皿食堂木皿食堂
(2013/05/21)
木皿 泉

Amazonを見る
 
私は、努力というものを、ほとんどしたことがない。
でも一度だけ、努力というものをしたことがある。
それは相方が、2004年に脳内出血で半身マヒになり、食べ物が飲み込めなくなったときだ。
手術後、ようやく食べる練習を始めたときに、肺炎を起こしてしまったので、食べる許可を与えてくれない。
先生は、私の顔を見ると、胃に穴を開ける手術を勧めてくる。
退院して自宅介護になったときの負担を軽くするために言ってくれているのだが、私は、その度に「イヤです」と強固に言いつづけた。
相方は、すでに何カ月も鼻からのチューブで栄養を摂るのに慣らされて、食欲というものは、すっかり失せていた。

強い味方があらわれた。
リハビリをしてくれる言語聴覚士のM先生である。
自分がすべて責任を持つと言い切り、昼休みを削って、相方の喉の奥に太いチューブを何度も押し込み、反応が起こるのを何日も辛抱強く待った。
M先生の情熱に引っ張られるように私たちもまた、辛抱強く、できることはすべてやった。
何とか飲み込みができるようになるまで、3カ月かかった。
が、まだ栄養を入れるチューブは取ってくれない。
病院の食事を完食して、水が1リットル飲める、という実績を1ヵ月ほど積み上げないと、許可は出ないのだ。
鰯と芋と大根の煮物をミキサーにかけた、ドロドロの食べ物を、相方は顔をしかめつつ、すべて食べきった。
私は祈るように見ていた。

同じ頃、学園小説『野ブタ。をプロデュース』をドラマ化しないかという話をいただいて、私は正直、迷っていた。
自宅介護で時間的に大変というのもあったが、それより、バブル以降、私は若い人が何を考えているのか、わからなかった。
が、得体の知れないようなものを懸命に食べている相方を見ていて、それは違うなと思った。
食べるというのは、自分に必要なものを補うということだけではないのだ。
外の世界のものを噛み砕いて自分の体の中に取り入れてゆく。
自分のロからものを食べるというのは、力強く、外の世界を生きてゆくということだ。
私は、わからなくても書こうと思った。
自分で噛み砕く努力を、してみようと決めた。

今、相方は何でも食べられるようになって、「うまいなあ」と1日に1回は感嘆している。
そして、グルメ番組を見ては、「こんなもんあるんかぁ」と感心している。
そうだ、この世は、まだ食べたことのないものが山のようにある。
そして、まだ書いていないものも、山のようにあるのである。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/25(日) 07:00:42|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

榎並悦子のマルテク式 極上フォトレッスン


榎並悦子のマルテク式 極上フォトレッスン榎並悦子のマルテク式 極上フォトレッスン
(2013/07/19)
榎並悦子

Amazonを見る

自分が思い描くような、魅力あふれる写真を撮るために、一眼レフの世界をのぞいてみてください。
一眼レフカメラの最大の特色は、レンズ交換が可能で、超広角から望遠まで、さまざまな画角のレンズがそろっています。
撮りたいものや表現意図に応じてレンズを交換することで、オリジナリティーあふれる写真を撮ることができます。

現在、カメラにはピントを自動で合わせるAF=オートフォーカス機能が搭載されています。
この機能は基本的にピントが合っていないとシャッターが切れないので、ピンボケ写真とは無縁です。
フラットでメリハリのないものや、極端な逆光で明暗差が高すぎる場合、オリの中にいる動物など、AFで合わせづらい被写体にはMF=マニュアルフォ-カスが便利です。
三脚使用時や、マクロレンズのように被写界深度の浅いレンズを使うときもMFでのピント合わせが便利です。

沢山の機能の中でもマスターしておきたいのが、「撮影モード」の使い分けです。
「AもしくはAv(絞り優先)モード」は、絞り値を自分が決めると、適切な露出になるよう、シャッター速度をカメラ側が設定してくれる便利な機能です。

ピントを合わせた所の前後も、シャープに見える範囲を被写界深度と呼び、絞りを開けるほど被写界深度は浅くなり、絞るほど深くなります。

画像の記録形式にRAW(ロク)とJPEG(ジエイペグ)があります。
RAWはその名の通り生の状態で、未現像のままデータを保存します。
撮影後でも、ソフトを使ってホワイトバランスなどの設定を変えることができます。
また将来的にも新しい現像ソフトの対応が期待できるというメリットがあります。
撮影後、パソコンでじっくり画像調整をするならRAWがオススメですが、撮った画像はいじらないという人やカメラダイレクト、店頭プリントなどを利用する人には一般的な形式のJPEGがオススメ。

ISOとは国際標準化機構で定められたフィルム感度のことで、感度を上げるほど、暗い場所でもシャッタースピードを速くして撮影することができます。
低照度下や三脚、ストロボの使用が禁止されている場所での撮影が飛躍的に有利になりました。
手持ちのときは積極的にISOをあげて手プレを防ぐというのもひとつの方法です。

一般的には広い風景のような場合は横位置で、ポートレートや単独の樹木などは縦位置のほうが収まりはいいようです。
その際、主題となる被写体を画面の中央に配することを日の丸構図といい、よくないとされますが、バランスによっては最も主題が生きる構図ともいえます。
一般的にいい構図といわれるのが「黄金分割」を生かしたもので、通常は3分割法が広く使われています。
画面の短辺、長辺をそれぞれ3分割する線を引き、その交わるところに主要被写体やポイントとなるものを配置する方法です。
水平線や地平線なども画面中央に入れるより、この法則を活用すればバランスよく取り入れることができます。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/23(金) 07:00:47|
  2. BOOK
  3. | コメント:0

お望みなのは、コーヒーですか?


お望みなのは、コーヒーですか?――スターバックスからアメリカを知るお望みなのは、コーヒーですか?――スターバックスからアメリカを知る
(2013/04/10)
ブライアン・サイモン

Amazonを見る

毎日、実に600万人以上がスターバックスへ行く。
なぜスターバックスなのか? 
僕は現場に直接出向き、社会観察をした。
スターバックスに長居し、まわりを眺めながら、耳をすました。
例えば店に出入りする人の数を算え(74%がテイクアウト)、何人が店内でコーヒーを飲み、どれくらい店内にとどまったのか調べた。
最終的に僕は9ヵ国、425のスターバックスの店舗を訪れていた。
スターバックスの顧客や従業員など計272人と話し、7冊の大学ノートは真っ黒だった。

消費者はコーヒーを買うことによって、癒され、くつろぎ、ひとときの活力を得るばかりではなく、自分はどういう人間で、どのような考えをしているのかを表明する。
スターバックスのようにラテ1杯に4ドルを求める個人経営のコーヒーショップや地元のコーヒー店は、2008年の市場崩壊の打撃をさほど受けてはいない。
2007年や2008年にコケたのはスターバックスであって、コーヒービジネスや、自己表現の術としてドリンクを売るビジネスは健在なのである。
スターバックスはリーマンショックが起きた時点ですでに商品をディスカウントし、「コーヒーをこよなく愛するお客様」に「会員専用特典」を与えていた。
その頃すでにスターバックスは凡庸になり、特別な存在であるという文化的かつ象徴的な価値を失っていた。
消費者は、スターバックスでコーヒーを買っても、なりたい自分づくりのために必要な文化やステイタス、イメージなどの価値が手に入るわけじゃないと思うようになった。
それよりも他のブランドがもつと安くて十分においしいコーヒーやドリンクを売っている。
しかも、このコーヒーやドリンクを買えばあなたは素敵に見えるという物語を売るのもローカルな店の方が得意なのだ。
買うことがすべてに先んじるポストGM的思考が浸透し定着しているからこそ、スターバックスは困難に直面しているのである。

スターバックスの顧客はとても多くを欲している。
ステイタスを得るために比較的安価に入手できるショット、罪悪感からのお手軽な解放、予期可能性を保証してくれるドリンク、自分を癒すために服用するちょっとしたお薬。
こうした意味を持つがゆえに、僕らはスターバックスのコーヒーを購入するのだ。
さらに僕らはコミュニティーへの帰属感、社会的正義、環境保護、そしてフェアトレード(実際には総購入費のたっ5~6%だが)や世界平和のために、スターバックスで金を使うのである。
問題は僕たちが必要とし、欲しがっているモノが手軽に購入できるということだ。
スターバックスは他の大企業による宣伝と同じように、より良い今日や明日を創造するための最善の方法は、スーパーマーケットやエキゾチックなレストラン、自然志向なコーヒーショップで入手可能だと教え込むのである。

テーマ:読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/08/22(木) 07:00:35|
  2. BOOK
  3. | コメント:0
次のページ

プロフィール

bittercup

Author:bittercup
近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

Translate

検索フォーム

Loading

月別アーカイブ

カテゴリ

Table of Contents (46)
BOOK (1275)
Shrines (1717)
Historic sites (738)
Retro (114)
SIGHT (382)
NEWS (185)
GOODS (86)
PC (39)
Lecture (18)
Greeting (14)
Blog (4)
TRAIL (8)

FC2カウンター

リンク