続・竹林の愚人 2014年02月

東園田遺跡のすべて

尼崎市教育委員会主催 尼崎市立田能資料館 後期企画展
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東園田遺跡(尼崎市東園田2丁目)は、尼崎市の北東、猪名川下流域の標高約3mの沖積地(河川によって運ばれた土砂が堆積してできた土地)に立地しています。
遺跡からは、弥生時代(約2000年前)から鎌倉時代(約800年前)ごろまでのムラの跡が見っかっています。
特に、弥生時代おわりごろから古墳時代初めごろの土器が大量に見っかっており、多くの人々がくらしていたものど考えられます。
 なお、東園田遺跡の北西約1.4kmには、国指定史跡の田能遺跡(尼崎市田能6丁目)が所在しています。
田能遺跡は同じ猪名川下流域に立地している弥生時代前期から後期のムラの跡です。
東園田遺跡とは、ムラのあった時期が重なる期間があります。
また、東園田遺跡や田能遺跡は、現在は海から離れていますが、弥生時代には海に近く、タコ壺や土鍾なとも見っかっています。

東園田遺跡

第41次発掘調査(平成24年9月13日~平成25年3月8日)では、西側と東側の南半部にかけてL字形に第1調査区、東側北半部を第2調査区と設定し、調査を実施しました。その結果、第1面では古墳時代前期、第2面では弥生時代後期後半、古墳時代前期、第3面では弥生時代後期後半(一部、弥生時代中期後半)の遺構が見つかりました。
掘立柱建物や竪穴住居が複数見つかり、古墳時代前期において、ムラの居住域であったことがわかりました。
また、北側には、自然流路がいくえにも重なっており、中からは、砂利などとともに大量の土器や木製品などが見つかりました。
南側の遺構面を削り取っていることからも、洪水のおきたことがわかりました。
第2面北側は、第1面で見つかっている自然流路によって遺構面が削られていたため、第2面の遺構はほとんど見つかりませんでした。

東園田遺跡

第3面の落ち込み状遺構からは、弥生土器のほか大型石庖丁や石庖丁が見つかりました。
時期的には弥生時代中期終わり頃のものと考えられますが、人為的に振り込んだものではないようです。

東園田遺跡

尼崎市内で、大型石庖丁がほぼ完全な姿で見つかったのは、はじめてのことになります。

第41次調査の調査地は弥生時代後期から古墳時代前期ごろの東園田のムラの居住域であったと考えられます。
弥生時代中期の遺構もはじめて確認され、ムラの成立が中期に遡ることが明らかになりました。
たたし、上層の堆積状況から見ると、弥生時代中期はまだ海に近い不安定な地盤てあったと考えられ、居住にはほ適していなかったようです。

東園田遺跡

第29次調査では、大量のイイダコ登が2か所にまとまって発見されました(イイダコ壷群1:492個、イイダコ壷群2:26個)。
発見当初、イイダコ壷は水場のくぼみの中に保管されていたものと考えられましたが、その後の整理で1点、シカを描いたイイタコ壺が見っかり、特別な遺構の可能性がでてきました。

東園田遺跡
シカの絵は、弥生時代に多く描かれる図柄で、銅鐸にも描かれることがあります。
単なるイラストではなく、弥生人からの何らかメッセージが込められているようです。
タコ壺のほか、漁網に取りつけて使用する土鍾も見っかっています。
ムラ人は洪水に悩まされる一方、海に近いこの地で、海の恵みを受けて生活していたことがわかります。

東園田遺跡

東園田遺跡
儀杖形木製品(ぎじょうがたもくせいひん)
東園田遺跡では木製品が大量に出土しています。
実用的な竪杵・砧・縦斧柄・鋤状木製品のほか、祭祀用の儀杖形木製品や鳥形木製品なとも見っかっています。

東園田遺跡
安田靫彦「大和のヒミコ女王」(1972)
儀杖形木製品は手に持って使ったと考えられますが、東園田遺跡のものは「ひれ」があって何かに差し込んで使ったようです。

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  1. 2014/02/26(水) 05:17:17|
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北今市1号墳

北今市1号墳

北今市1号墳(きたいまいち)

北今市1号墳

北今市1号墳

北今市1号墳は、香芝市北今市3丁目にあった古墳時代後期の円墳です。
墳丘の規模は直径25m・高さ5.6mで、埋葬施設は長さ5.5m・幅1.7m・高さ2.6mの横穴式石室でした。
石室には、二上山でとれる凝灰岩で作られた家形石棺が2つ納められていました。
2つとも、蓋石3枚・側石6枚・底石4枚からなっており、内側の大きさは、奥の棺が長さ185cm・幅64cm・高さ55cm、前の棺が長さ180cm・幅76cm・高さ60cmです。
石室内は盗掘であらされていましたが、石棺の中から琥珀・銀・ガラス製の玉や銀製の耳飾りが、石棺の周囲から金銅製の刀の柄頭、鉄製の刀・矛・鏃・轡・鞍・鐙などの馬具、高坏・壺・甕などの土器が残っていました。
これらの遺物から、埋葬の時期は6世紀の後半頃と考えられます。

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  1. 2014/02/20(木) 21:57:39|
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乙女山古墳

乙女山古墳

乙女山古墳(おとめやまこふん) 奈良県北葛城郡河合町佐味田字乙女山・広陵町大字寺戸字乙女

乙女山古墳

乙女山古墳/>乙女山古墳は、全長130m、後円部直径104mの前方後円墳で、前方部が極端に小さい典型的な帆立貝形古墳です。
そして、帆立貝形古墳としては日本最大のこふんです。
また、後円部南西側には長さ11m、幅23mの造り出しがあります。
墳丘の周囲には周濠が水田・溜池として遺存しており、さらに外堤が巡っています。
遺物は戦前の開墾に伴い、多くの滑石製模造品などが採集されています。
埋葬施設については、石室材が露出していないことから粘土槨と思われます。
昭和61年度に発掘調査が行われ、造り出しや外堤の存在が確認されました。
造り出し部では、葺石と円筒埴輪列が検出されています。
此の埴輪列中の1本には、その内側には時期小型丸底壺を納めているものがありました。
さらに、造り出し上面では家形埴輪と楕円筒形埴輪が検出されています。
出土した埴輪から5世紀前半に造られたと考えられます。
大和における帆立貝形古墳は20基程度を数えますが、そのうち6基が馬見古墳群内に芯材しています。
馬見古墳群には乙女山古墳の他、池上古墳・三吉2号墳・石塚古墳があります。

乙女山古墳

墳頂

乙女山古墳

周濠

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  1. 2014/02/20(木) 21:37:07|
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ナガレ山古墳

ナガレ山古墳

ナガレ山古墳(ながれやまこふん)  奈良県北葛城郡河合町大字佐味田

ナガレ山古墳

前方部

ナガレ山古墳

後円部


ナガレ山古墳史蹟ナガレ山古墳は、昭和50年(1975)から昭和51年(1976)にかけて土取りにより一部が破壊されたため、国の史跡に指定され、保存されてきました。
昭和63年(1988)から発掘調査を行い、整備工事を進めてきました。
ー整備の概要ー
整備は、破壊された部分の墳丘を造り、東側には埴輪を並べ、葺石を葺いて築造当時の姿に復元しました。
西側は芝生を張って整備し、1600年前と後の姿を同時に見ることができるようにしました。
ー発掘調査の成果=
発掘調査では、2段分の円筒埴輪列と葺石を確認しています。
また、東側くびれ部の前方部寄りで、円筒埴輪を2列に並んだ通路を確認しました。
後円部墳頂の埋葬施設は明らかではありませんが、盗掘の際に捨てられた土から勾玉など多くの遺物が出土しました。
墳丘に並べられた埴輪には、円筒埴輪の他に朝顔形・蓋形・盾形・家形埴輪などがあります。
土師器や土製品も多く出土しており、これらの遺物から5世紀初めに築造されたと考えられます。

ナガレ山古墳

前方部墳頂
ナガレ山古墳前方部墳頂にも埋葬施設があり、箱形木棺を粘土で覆った粘土槨です。
木棺を覆った粘土の中に多数の鉄製品が埋納されていました。

ナガレ山古墳

後円部 円筒埴輪列

ナガレ山古墳 
ナガレ山古墳発掘調査により、墳丘裾の埴輪列に直交する2列の埴輪列を確認しました。
この2列の埴輪列部分は周囲より少し高くなっています。
また、2段目埴輪列もこの以降の延長線上で途切れており、墳頂部でも埴輪列は確認されませんでした。
このことから、この2列の埴輪列で区画された遺構は、葬列の時に墳丘を登る通路であったと考えられます。
北側の埴輪列では1本分間隔が広くなっている部分があり、くびれ部への出入口として意識されていたようです。
区ブレ部では滑石製模造品(鉄製の斧やナイフを模造した滑石の製品)が故意に割られ多様な状態で出土しており、滑石製模造品を用いた祭が行われたようです。

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

  1. 2014/02/20(木) 21:32:32|
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馬見丘陵広域公園

馬見丘陵広域公園

馬見丘陵広域公園(うまみきゅうりょうこうえん) 奈良県北葛城郡河合町佐味田
広陵町・河合町にまたがる馬見丘陵の歴史的遺産(馬見丘陵古墳群4~5世紀築造)と豊かな自然環境を 保全・活用するために、奈良公園に次いで県下2番目の広域公園として昭和59年(1984)に開園。

馬見丘陵広域公園


馬見丘陵広域公園

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  1. 2014/02/20(木) 20:00:52|
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巣山古墳

巣山古墳

巣山古墳(すやまこふん  奈良県北葛城郡広陵町三吉元斉音寺

巣山古墳

巣山古墳
前方部西側の島状遺構
出島状遺構 鳥形埴輪
巣山古墳は馬見古墳群中央群の盟主となる巨大古墳である。
2000年度から継続して保存整備にともなう発掘調査が行われており、墳丘規模が確定され、前方部北西隅では墳丘完成時の祭祀に関わる木製鋤、周濠北西隅では結界として外堤に立てられた可能性のある靫(ゆぎ)形木製品が出土している。
また、前方部西側には葺石が内に張り出す島状遺構が検出され注目された。
島状遺構は、各辺斜面には葺石が設けられ、頂上には白礫が敷きつめられ、形象埴輪の蓋形7点、家形7点、盾形3点、囲形4点、柵形10点以上が配置されていた。
更に2方向の隅角に半島状の突出部、その間に州浜状の石敷き、そして墳丘側には通路が設けられている。
半島状の突出部には水鳥形埴輪が3点まとまって設置されていた。
州浜状石敷きの西側には瓢箪形の小型島状遺構も検出されている。
水鳥形埴輪を据えた島状遺構は、古市古墳群最初の巨大古墳である津堂城山古墳でも検出されており、この段階の最上位の古墳において新たに開始された埴輪祭祀と見られる。

巣山古墳
前方部

巣山古墳
の古墳状高まり
円筒埴輪
巣山古墳外堤の北側には、南北約20m・東西約40mの古墳状高まりがあります。
発掘調査をおこなったところ、この高まりの上には円筒埴輪列と円筒棺が設置されていました。
また、舟形埴輪の破片が出土し、外面には直弧文と呼ばれる文様が施された非常に珍しいものであることがわかりました。
埴輪は、古墳時代中期初め(4世紀末)につくられたもので、巣山古墳の築造とほぼ同時期と考えられます。

円筒棺と呼ばれる土製の棺のつくり方は埴輪と共通しています。
土管のような筒状の棺身の両端には、笠状の蓋が付けられていました。
柩身には12本、蓋には数本の帯状の突帯と呼ばれる粘土紐が貼りつけられています。
棺身は長さ1.5m、最大径55cmをはかります。
円筒棺の内部には、鉄剣、鉄鏃、鉄鎌、鉄斧が副葬品として治められていました。
円筒棺に副葬品をともなう事例は少なく、埋葬された人物が有力者であったことをうかがわせます。

この高まりは、奈良時代(8世紀)以降に大きく形が変えられ、つくられた当初の形状は不明です。
しかし、円筒棺があることから古墳時代には埋葬場所として認識されていたとみられます。

巣山古墳

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  1. 2014/02/19(水) 22:24:21|
  2. Historic sites
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かぐや姫のまち

竹

奈良県北葛城郡広陵町大字三吉斉音寺

かぐや姫
広陵町のマンホールキャップには「かぐや姫のまち」とあります。

『竹取物語』に登場する竹取翁の出身部族である讃岐氏は、持統―文武朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国(香川県)の氏族斎部(いんべ)氏が大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷に移り住んだものとしている。
翁の讃岐姓は、「和名抄」の大和国広瀬郡に散吉郷があり「大和志」では、「散吉郷廃存済恩寺(はいそんさいおんじ)村」として、現在の北葛城郡広陵町大字三吉の斉音寺集落付近に比定している。
又この付近に「藪ノ下」、「藪口」、「竹ケ原」という地名があり、真竹孟宗竹等の竹林が多数残っている。
三吉の北部には讃岐神社が鎮座し「延喜式」神名帳、広瀬郡の讃岐神社がこれに当るとされる。
『竹取物語』の舞台が大和国であったことはかぐや姫の求婚者であった5人の貴公子の名が、持統朝末期から文武朝初期にかけて朝廷の中心にいた5人の実在の人物に比定されることも符合する。
(資料)奈良県史(風土と文学)読売新聞(昭和61年3月15日付夕刊)

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  1. 2014/02/19(水) 20:29:28|
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諏訪神社

諏訪神社

諏訪神社(すわじんじゃ)  奈良県北葛城郡広陵町三吉328
当社の祭神は「三代実録」元慶7年の条に正六位上散吉大建命神、散吉伊能城神と見えるが、当社伝では大国魂神、倉稲魂神、大物主神を奉祀するという。
別に広瀬大明神と称するのは大物忌神と同神の広瀬坐和加宇加之売神社の分霊を勧請して祀ったことに因る。
慶長19年(1614)正月火災後の現本殿は檜皮葺(現在鉄板葺)三間社で、その前方の切妻造本瓦葺の拝殿には掲額が多く、なかでも三十六歌仙扇額6面(別保管)は、元禄16年9月(1703)海北友賢筆の貼絵を付した貴重な歌仙絵である。

諏訪神社

拝殿

諏訪神社

本殿  祭神:和宇迦売命・讃岐伊能城命・若蔵稲之命

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  1. 2014/02/19(水) 20:26:33|
  2. Shrines
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新木山古墳

新木山古墳

新木山古墳(にきやまこふん) 奈良県北葛城郡広陵町赤部
全長200m、後円部径117m、高さ19m、前方部幅118m

新木山古墳

三吉陵墓参考地 宮内庁

新木山古墳

前方部

新木山古墳

新木山古墳

後円部

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  1. 2014/02/18(火) 22:28:38|
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三吉石塚古墳

三吉石塚古墳

三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)  奈良県北葛城郡広陵町大字三吉字石塚

三吉石塚古墳

前方部南東隅の張出部

三吉石塚古墳

三吉石塚古墳  三吉石塚古墳
三吉石塚古墳は、新木山古墳(全長200m)の外堤西側に接する場所に造られた東向きの帆立貝式古墳です。
古墳は、後円部に短い前方部の付く形で、周囲に馬蹄形の濠がめぐっています。
墳丘は、後円部が2段に作られ、第一段目には、円筒埴輪列に朝顔形埴輪を置いた埴輪列がめぐり、後円部の頂上には、蓋・短甲・家などの形象埴輪を置いていました。
墳丘と周濠部分の内側には、10~30cmの葺石を施しています。
特に、後円部の葺石が縦に一列並ぶところがあり、この葺石の列石間がひとつの作業単位であり、作業方法を示す基準であったと考えられます。
葺石の材料は、前方部に使用されている黒雲母花崗岩が葛麻町西方から、後円部の輝石安山岩が香芝市の二上山麓から運ばれてきたものです。
また、前方部の南東隅には、他に例のない張出部が設けられています。
外堤部にも埴輪列がめぐり、周濠の幅が極端に狭いことから、墓道として造られたと思われます。
埋葬施設は未調査で、築造時期は5世紀後半と考えられます。
整備は、後円部の古墳の遺構を盛土で保存した上に、かさあげ方式で築造当初の姿を復元する工法を採用し、円筒・朝顔形埴輪は、出土遺物に基づき制作した複製品を設置しました。
葺石材についても遺構の葺石の産地に近い場所の石材を運び、築造当時の積み方を模しています。
  平成7年10月  広陵町教育委員会

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  1. 2014/02/18(火) 22:23:50|
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