続・竹林の愚人 2016年04月

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神社の起源と古代朝鮮

神社の起源と古代朝鮮 岡谷 公二『神社の起源と古代朝鮮』 (平凡社新書) (2013/11/19)


白鬚神社は、全国に広く分布している同名の社の本社である。
社伝によると、垂仁天皇25年の創祀と伝え、琵琶湖周辺最古の神社という。しかも式内社ではない。
この事実は、いくつかの興味深い問題を提起する。
一つは、渡来人の祀る神社が、他の神社と同じくらい、或いはそれ以上に古い歴史を持っているのではないか、ということであり、また、たとえ古社であろうが、渡来人の祀る神社は、或る時期、或いは或る時期まで、官社とは認められなかったのではないか、ということである。
白鬚神社が新羅系渡来人の奉祀した神社だとは、ほぼ定説になっている。
その名の初見は応永2年(1395)だという(『日本の神々』)。
それ以前は比良神、比良明神と言われた由で、『三代実録』の貞観7年(865)に「近江国の無位の比良神に従四位下を授く」とあるのは白鬚神社のこととされている。なおこの記録は、この神社の国史における初見である。
ヒラはシラ、シラは新羅の最初の国号である斯盧であり、新羅であり、白である。
比良明神が白鬚の老人の姿をして化現したという伝承がいくつかあり、その辺から白鬚神社という名かついたのかもしれない。
このあたりは、古代の豪族三尾氏の地盤であり、三尾氏は白鬚神社の奉祀者であった。
そして渡来系、とりわけ新羅系の氏族ではないかと考えられている。
近くにある水尾神社の祭神は、現在、白鬚神社と同様、猿田彦命である。

明神山と呼ばれる裏山に途中まで上ってみた。
古墳は複数あるらしく、白鬚神社古墳群と呼ばれているが、詳細はよく分からない。

『日本書紀』によると、継体天皇の父彦主人王は「近江国の高島郡の三尾の別業」にいた時、「顔容妹妙(きらぎら)しくて、甚だ媺(うるはしき)色有りといふ」噂を聞き、越前三国の高向から振媛という女性を迎え、妃とし、天皇をもうけたのだという。
彦主人王が「三尾の別業」にいたのは、三尾氏とのかかわりからであると考えられる。
三尾氏が新羅系渡来人の氏族ではないかと推測させる手がかりの一つに、水尾神社の近くにある鴨稲荷山古墳がある。
6世紀前半の築造で、周濠を有する前方後円墳であり、全長60m以上という規模の大きさといい、副葬品の豊富さと豪奪さといい、近江を代表する古墳の一つだ。
金銅製冠、金銅製環頭太刀、金製耳飾り、金銅製馬具類など、副葬品の多くは朝鮮半島系、とくに新羅系で、金銅製冠は 「かの慶尚南道慶州金冠塚の華麗なものと系統を同じくするもの」(『滋賀県史』)である。
被葬者は彦主人王と考えられたが、現在では三尾氏の首長であろう、というのが大方の意見である。
弥生時代、朝鮮半島から多くの人々が日本列島に渡ってきたわけだが、その多くは地理上最も近い半島南東部彼らがもともと鉄とかかわる人たちだったとするなら、「国、鉄を出す。韓、濊、倭皆従ってこれを取る、諸市に買うに皆鉄を用う。中国の銭を用うるが如し。又もって二郡(=楽浪・帯方)に供給す」と『魏志』の東夷伝弁辰の条に記された地域、のちに新羅に併合される金官伽郡に属する洛東江流域一帯を出自とする人たちだったかもしれない。
このように三尾氏が渡来系氏族だったとすれば、同じ三国の出身で、三尾氏と深いかかわりを持っていた継体天皇も、もしかすると渡来人だったのではあるまいか?
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テーマ:滋賀県 - ジャンル:地域情報

  1. 2016/04/28(木) 05:26:03|
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ホノルルの街かどから

ホノルルの街かどから   加藤 秀俊   『ホノルルの街かどから』 (中公文庫 ) (1979/01)

初版が出たのが1974年ですから、今から40年程前のハワイ本です。
著者の加藤秀俊氏は70年代の大学紛争で京大を去り、ハワイ大学東西文化センターの研究員となり、一家そろって1年間ホノルルで暮らしました。
その時の出来事を綴った本書にはハワイの良さに溢れています。
その中から少しばかり紹介します。

ハワイは「常夏の国」だから、いつでも花が咲き乱れている1というイメージは、けっしてまちがいではない。
一年じゅう、花は咲いている。
しかし、じつさいに生活をしてみると、やっぱりこんな熱帯にも季節があり、そして植物たちもそれぞれのサイクルをきっちりとつくっているのだ、ということがよくわかる。
なるほど、花は絶えることがないのだけれど、11月から4月ごろまでは、どちらかといえば、淋しいのである。プルメリアの、特定の品種は細々と咲きつづけているし、ブーゲンビリアやジャスミンの小さな花も色どりをそえるが、花は、冬のあいだ品不足になる。
そんなわけで、冬のあいだは、ときどき、うちにもフラダンスの踊り子たちが花をとりにきた。

ところが、5月になると、とたんに、島ぜんたいが、文字どおりぐんと花やいでくる。
「ライオンのツメ」という朱色の花がさき、モンキー・ポッドもあざやかな色の花をつける。
ハイビスカスも咲く。プルメリアにいたっては、もう、うんざりするほど咲く。
咲くそばから、ぽろぽろと散り落ち、あとからあとから咲きつづける。
ちょっと風でも吹こうものなら、木の下は花びらでいっぱいになる。
プルメリア
マンゴ 花だけではない。五月のなかはすぎからマンゴの実が熱して、食べごろになる。
このマソゴという果物、正しくはマンゴというよりは、メンゴという発音にちかいのだが、これが、まさしく鈴なりなのである。
実が青いうちは、葉の色とおなじだから、べつに目立たないのだけれども、だんだんとオレンジ色になり、さいごにはリンゴとおなじような赤い色になる。そうなると、壮観である。
なにしろ、住宅の庭にいっぱいこの木が植えられているのであるから、ホノルルの荷じゅうがマンゴの大洪水になってしまうのだ。
5月のハワイは花でいっぱい。こう改めて指摘されると、なるほどなと思います。 
図らずも、5月のゴールデンウィーク後に訪れることを常としています。 
理由は簡単、旅費が比較的安価で済むからですが、最高のシーズンでもあったのですね。
ホノルルの食べもの屋のなかでおもしろいのは「おかず屋」である。
日系の人の多い地区に目立つが、よくさがしてみると、ハワイじゅう、いたるところにこれがある。
看板はOKAZUYAとローマ字で書かれており、ハワイにながくいる人のあいだではすでに、オカズヤ、ということほぼ市民権を得ている。 おかず屋  「おかず屋」とはなにか。
ひとことでいえば、日本の大衆食堂をキャフヱテリア方式にした和洋折ちゅうの食堂である。
規模はそれほど大きなものでなく、しばしば、20人ほどで満員、といった小食堂だ。 P1090507.jpg  なかにはいると、ガラスのケースがならぴ、大きなステソレスの器のなかに、数種類の「おかず」がほいっている。
それは、たとえば、鶏と野菜の煮つけであったり、煮魚であったり、あるいは豆腐であったり、じつにさまざまだが、要するに、日本の標準的な家庭料理のメーニーである。
お客は、それらのメニューのなかで、好みのものを指さし、一枚のお皿に盛りつけてもらう。
店にもよるけれど、一般的な方法としては、好きなもの二品にご飯がついて1ドル35セント、といった均一料金。
味噌汁(ミソ・スープ、とローマ字で書いてある)などは別料金だが、なにをとってみても、きわめて大衆的な値段だ。
価格こそ時代を感じさせますが、今も変わりませんね。

テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報

  1. 2016/04/26(火) 22:02:00|
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近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

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