続・竹林の愚人 方廣寺

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方廣寺


方廣寺(ほうこうじ) 京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
天台宗山門派 豊臣秀吉の建立。 本尊:盧舎那仏坐像
天正14年(1586)、秀吉により奈良・東大寺に倣った大仏殿の造営が開始され、文禄4年(1595)に完成。慶長元年(1596)に地震により倒壊し、その後豊臣秀頼が再建するも、寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失。


大黒天  桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺を建立するため比叡登山中のお告げにより彫刻された。

 国家安康の鐘


梵鐘に今も残る「国家安康」「君臣豊楽」の銘文


石塁


大仏殿所用鉄輪(京都国立博物館)


『都名所図会』 
大仏殿方広寺 は後陽成院御字、天正六年、豊臣秀吉公の御建立なり。
本尊は廬舎那仏の坐像、御丈六丈三尺。仏殿は西向にして、東西二十七間南北は四十五間なり。楼門には金剛力士の大像を置き、長は一丈四尺なり。門の内には高麗犬あり。金色にして長七尺。(これは豊国のやしろにありしといふ)廻廊は南北百二十間、東西百聞なり。堂前に建つる石灯龍には列国諸侯の名を刻む。仏殿の敷石また正面石垣の大石には、国々出所の名あるいは諸侯の紋所等あり。廻廊の外には桜・紅葉を交へて植ゑたり。
慶長七年十二月四日には仏殿回禄す。同十五年右大臣秀頼公ことごとく再営ある。寛文二年、本尊銅像を改めて木像とし給ふ。太閤秀吉公の石塔婆は仏殿の南にあり。豊国崩れて後これを営みしといふ。塔前の石灯籠には慶長十年九月とあり。
撞鐘堂は南廻廊の外にあり。四間四方にして柱の数は十二本なり。鏡の高さ一丈四尺、指わたしは九尺二寸、厚さ一尺。
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  1. 2009/10/26(月) 08:00:49|
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