続・竹林の愚人 川崎正蔵之墓
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川崎正蔵之墓


徳光院山門の右手(東側)にギリシア神殿のファサードだけを表現した不思議な建造物が残っています。

 
その正体は銅像の台座跡で、銅像は徳光院に移されているようですが、その銅像の主こそ川崎正蔵です。

川崎正蔵(かわさきしょうぞう・1836~1912) 川崎重工の創業者で、そのサイトによると、
川崎正蔵は天保8年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。  
その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。  
この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。  
1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。



徳光院墓所 一段高くその墓があります。


戒名:徳光院殿豁堂恵然大居士



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  1. 2010/03/16(火) 08:10:52|
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