続・竹林の愚人 神道
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図説 神々との心の交流をたどる! 神道 (青春新書)図説 神々との心の交流をたどる! 神道 (青春新書)
(2009/12/22)
武光 誠

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日本の歴史は神道によってつくられたといってよい。
縄文人は、考古学者が「円の発想」と名づけた、すべての事物をかけがえのない霊魂をもつ平等のものとみる発想をもっていた。これが、八百万の神を祭る神道の核となる日本流の精霊崇拝である。
縄文人が朝鮮半島からの新たな移住者とともに弥生人になり、農耕生活が広まると貧富の差が生じ、祭司として集団の首長が力をもつようになった。
そして、祖霊信仰をもとにして大国主命の信仰の原形がつくられていった。
3世紀はじめには、大和や河内の首長をまとめた大和朝廷が有力になり、王家は三輪山にいる神を祭っていた。
土地の守り神であった三輪山の神は、大和朝廷の成立時に国を守る「大和の国魂」とよばれるようになったらしい。
まもなく、「大国主命」の前身にあたる神も出雲地方を守る「出雲の国魂」と呼ばれるようになった。
5世紀末までは、あちこちの有力な首長によって、いくつもの「国魂」が祭られていた。
朝廷で日本神話の体系を整えるときに、国魂の神をすべて大国主命と同一の神としたので、多くの別名をもつようになった。
王家は三輪山の神を祭り、祖先の霊魂が三輪山の神と同一の神であると主張した。
古墳を大和朝廷の勢力圏の拡大と結びつけてみると、5世紀はじめに関東地方から北九州にいたる大部分を支配下におさめたと思われる。
かれらは、大和朝廷に従ったことをきっかけに、支配下の民衆に自家の先祖を神としてあがめさせるとともに、自家の先祖の神を王家の先祖の神の下位においた。
そして、大和朝廷の勢力が大きく拡大した6世紀はじめに、王家の祖先神天照大神の祭りがはじめられた。王家の神が地方豪族と同じ国魂ではつごうが悪いからである。
天皇家による全国支配がほぼ完成した7世紀末には壮大な伊勢神宮が建てられた。
6世紀なかばに仏教が日本につたえられ、平安時代には各地の有力な神社は僧侶をやとい、かれらの陰陽五行説などの知識を用いて民衆を指導するようになり、以来、長期にわたって「神仏習合」の共存関係がつづけられる。
17世紀末になると、国学の大成者、本居宣長は『古事記』を読むことによって「本来の神道の心」を身につけることを提唱し、弟子の平田篤胤はさらにすすめて、反幕府、反仏教の立場をとる復古神道を起こした。
神社では僧侶が神職とならんで神事にあたっていたから、「神仏判然の令」が明治改元以前に発せられ、「廃仏毀釈」とよばれる運動が起こって、いくつもの寺院が破壊された。
明治政府は民衆に国家主義、天皇中心主義を押しっけるために神道を利用し、明治3年(1870)正月に「神祇鎮祭の詔」と「大教宣布の詔」で神道を国教とし、翌年正月に社家制度を廃し、多くの尊王撰夷運動の功労者を神職に任命。
これによって神職の独自の布教活動は禁じられ、神社は国家のための祭りを行なうものとされた。




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