続・竹林の愚人 西福寺

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西福寺


西福寺(さいふくじ) 京都市左京区南禅寺草川町82-1
浄土宗西山禅林寺派 源智山
鎌倉時代前期に法然上人の弟子・源智上人が開基。


本堂 本尊:阿弥陀如来


逗子

 
上田秋成坐像  初代高橋道八作
坐像を収める三方の側面には幕末の国学者、大国隆正によって、三方を新調した経緯が墨書される。もとは文化元年(1804)の大晦日に天皇の夕御前に用いられた三方を、逆さにして逗子としたと伝えるが、その後壊れたために吉田神社の古材で新調された。


上田秋成墓(うえだあきなりはか)
上田秋成(1734~1809)は江戸時代後期の読本系の作家として、また、歌人。俳人、国学者としても世に知られている。無腸、和訳太郎などとも号した。
尾坂の曽根崎に生まれ、実の両親とは縁薄く、堂島の髪油聖人、上田家の養子となった、幼い頃に疱瘡を患い、手の指が不自由となったが、養父母が熱心に秋成を連れて、神社にお参りをした。家業を継ぎ、医術も学びつつ、古典の研究や本の出版を重ねた。
国学を賀茂真淵門下の加藤宇万伎について学び、多くの著書を世に出したが、中でも「雨月物語」や「春雨物語」は古典と近世的偽作とを統一して独自の文学的境地をひらいたものとして有名である。また音韻学にも通じ、本居信長との論争も名高く、一方で公家や小沢蘆庵、伴蒿蹊、与謝蕪村らとも交友をもった。

秋成は永観堂の悲田梅がいたく気に入ったようで、寄宿した西福寺に自ら紅梅を植えて、享保2年には来年古希を迎えるのでと、墓を紅梅樹下に選定して、棺まで作って玄門和尚に託しています。
いつしかその紅梅も涸れてしまい、先代住職が墓の整備をした折に、北野神社の禰宜さんがそのことを惜しみ、新たに植えた紅梅が大きく育っています。


蟹の形をした礎石
秋成の「春雨梅花歌文巻」に「けふは香花院の未開紅をとて来たれは、たゝ一日ふられて、色はさめにたりける。
  春雨のふりてし色にゝほふ梅うつろひやすき花にさりける
此木のもとにいかめしけにうすゝまりをるは、我なき跡のしるしの石なり。蟹のかたちしたる、是は昔の若仲と云し、法のみちに志ふかゝりし人の、深草山の石峰寺にすみて、阿羅漢五百躯、涅はんの御かたちや何や、石にて作りおかれし、其残りのいはほめきたるにてつくりおかれしを、翁か無腸と云号なれはとて、人の運はせてたまひし也。」とあるように石峰寺で若冲が五百羅漢などを彫っていた残りの石であることが記されています。
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  1. 2010/11/04(木) 07:05:40|
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