続・竹林の愚人 光雲寺

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光雲寺


光雲寺(こううんじ) 京都市左京区南禅寺北ノ坊町59
南禅寺の境外塔頭で、南禅寺北ノ坊と呼ばれている。南禅寺開山の大明国師の草庵地だったところ。


霊芝山と号し、臨済宗南禅寺派に属する。南禅寺北ホ坊とも呼ばれる。もと摂津(大阪府)にあったが、寛文年間(1661年頃)後水尾天皇及び中宮東福門院(徳川家康の孫娘和子)が南禅寺の英中禅師に深く帰依され、当寺をこの地に移して再興された。
本尊には、東福門院の釈迦如来と観音菩薩を賜って安置した。歴代皇室の尊崇あつく、元久邇宮家の菩提所となっている。もと境内は広大であったが、火災に遭い、また明治の変革により縮小された。
本堂には、本尊のほか左右に阿難、迦葉の二尊者、東福門院の坐像を安置する。書院南の庭園は、昭和の初め造園家小川治兵衛が作庭した。疎水の水を引き、背景の山を借景として池泉廻遊式の名園となった。挑戦伝来の瑪瑙の手洗鉢が庭の東北隅にあって有名である。寺の背後には後水尾天皇皇女顕子内親王の墓、門前北には久邇宮家の墓がある。   京都市


本堂
『都名所図会』
霊芝山光雲寺(れいしさんこううんじ) は若王子の北に隣る。禅宗にして、南禅寺天授菴英仲和尚の再興なり。仏殿の本尊は釈迦仏を安置す。この地にあるとき、霊芝生ひ茂りて光雲空に映じけるを、北闕より叡覧ありて霊場なることを感じたまひ、東福門院より当寺を御建営ありしとなり。瑪瑙石の手洗鉢は仏殿の後ろにあり、当寺の奇観なり。


後水尾天皇の皇女顕子内親王(あきこないしんのう・1629~75)の墓  宮内庁
後水尾天皇の第4皇女。母は東福門院。女三宮とよばれた。


久邇宮家(くにのみや)の墓    宮内庁
明治時代前期に伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王が創立した宮家。

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  1. 2010/11/05(金) 07:10:12|
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