続・竹林の愚人 霊鑑寺

霊鑑寺


霊鑑寺(れいかんじ) 京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町12
臨済宗南禅寺派の禅尼寺で、はじめ、南の鹿ケ谷の渓流沿いに位置したため、谷御所又は鹿ケ谷比丘尼御所とも呼ばれている。
承応3年(1654)に後水尾上皇が皇女・淨法身院宮宗澄(しゅうちょう)を開基として創建し、荒廃していた如意寺の如意輪観音像と霊鏡を併せて祀ったことから霊鑑寺と名付けられた。
貞享4年(1687)に、後西天皇の旧殿(今の書院・居間)を賜って現在地に移建された。
その後、代々皇女、皇孫女が住職となり、明治23年(1890)までは伏見宮の尼僧が門跡として在院した。
現在の本堂は、徳川幕府11代将軍・徳川家斉の寄進で、本尊の如意輪観音像の傍らの不動明王像は伝教大師の高弟・智証大師(円珍)の作といわれる。後奈良・正親町・後水尾・後西天皇の宸翰をはじめ、200点に及ぶ御所人形、東福門院の十二単、歴代門跡の遺品など、皇室ゆかりの寺宝が多い。
境内には、後水尾上皇遺愛の散椿のほか、多数の名椿が植えられている。    京都市


妙見堂  洛陽十二支妙見の一つで、不動明王と共に祀られ鹿ヶ谷の妙見宮として尊信される。


『都名所図会』
鹿ケ谷(ししがたに)は霊鑑寺御殿の前を東に登る。談合谷はその東二町ばかりにあり。むかし俊寛僧都の山荘あり(新大納言成親・平判官康頼等このところに会合し平家を滅ぼす陰謀を企てしといふ)。如意岳は東の峰にして、楼門の滝は大木の古松四、五木の下にあり(鹿ヶ谷より八町ばかり東なり)。滝の太さ一丈余にして長さ五丈ばかりなり。雨の後には水増して近づきがたし。そもそもこの嶺は叡岳の南に隣りて、白雲嶺を埋み、谷深うして、万仞の青巌路を遮れり。華洛にほど近しといへども、衆山嶮難にしてつねに人跡稀なり。

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  1. 2010/11/07(日) 07:00:18|
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