続・竹林の愚人 妙蓮寺

妙蓮寺


妙蓮寺(みょうれんじ) 京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
法華)日蓮)宗京都21カ寺の本山で、日蓮上人の孫弟子・日像上人を開基とする。
永仁2年(1294)に、造酒屋の柳屋仲興(やなぎやなかおき)が日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのが当寺の起こりで、応永年間(1420年頃)に、日存、日道、日隆、日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し、妙蓮寺と改めた。
その後、度々移転し、天正15年(1587)、豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、現在地に移された。現在の建物は、天明の大火(1788)後に再建されたものである。
玄関、奥書院の襖絵は、長谷川等伯一派の筆といわれる濃彩の金碧画で、庭内の奇石とともに秀吉が寄進したものと伝えられる。なお、寺宝には、本阿弥光悦の写筆による立正安国論(重要文化財)などがある。また、妙蓮寺椿や芙蓉、10月頃から咲き始める御会式桜でも有名で、墓地には画家の幸野楳嶺の墓がある。  京都市


本堂


鐘楼


日蓮像
昭和6年、宗祖日蓮大菩薩第650遠忌に建立するも第一次世界大戦で供出。第700遠忌の昭和46年3月に再建。


御会式桜(おえしきざくら)一般に「十月桜」と呼ばれ、宗祖・日蓮の亡くなった10月13日に咲いたことから、その名がある。


赤穂浪士遺髪墓
当山東北の境内墓地に平成14年2月に再建された赤穂義士46名の遺髪墓が存在す。
元禄14年(1701)勅使下向の接待役であった赤穂藩主 浅野長矩が、城中典礼の儀にて恥をかかせた吉良上野介を刀で斬りつける事件を発生させた。江戸城中では許されぬこの事件の罪で浅野は切腹となった。
主君の仇を討たんと決起した赤穂藩の家臣 大石内蔵助(良雄)ら47名が吉良邸に討入り上野介を打ち取ったが、罪により切腹となった。その46名の遺髪を同士であった寺坂吉右衛門が赤穂城下への帰路道中、京伏見に住む片岡源五右衛門の邸宅に立ち寄り、当時の事情により遺髪を託した。
赤穂浪士の遺髪は、主君の三回忌にあたる元禄17年2月、この姉が施主となり菩提寺である当山に墓を建立し納められた。以降300年の風雪により損傷甚だしいため、当山により再建された。


西陣校罹災児童慰霊塔
昭和9年9月21日の室戸台風で、改築中の旧校舎が倒壊し、下敷きとなった児童41名が死亡しました。


『都名所図会』
卯木山妙蓮寺(はうもくさんめうれんじ) は寺内通小川の西にあり。右同宗にして、開基は日像上人なり。古は西洞院五条にあり。柳屋仲興といふもの、日像を帰依して宅地を寄附し、柳寺と称す。その後、大宮通四条の南にうつし、また元誓顧寺通大宮に遷り、天正二十四年にこの地に移す。当寺の什宝に、祈雨の本尊とて日蓮上人の自筆法華の曼荼羅あり。後光厳院の御字に天下大いに旱りす。この本尊を以って桂川のほとりに至り、請雨の法を修せしむ。忽ち霊応ありて大雨数日に及ぶ。故に日蓮上人に大菩薩の号を賜はる。


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