続・竹林の愚人 両国橋
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両国橋


両国橋(りょうごくばし) 橋長:164.5m 幅員:24.0m
両国橋の名は、武蔵と下総との二国を結ぶ橋であるところからこう呼ばれたが、正式の名はただ”大橋”であった。しかし、新大橋なども造られたため、両国橋が正式の名となった。江戸一の大火である明暦の振袖火事(1657)では、橋がなくて逃げられずに、多数の死者が出た。そのため、大火のあとこの橋が架けられた。回向院は、その人々を弔うために建てられた。のちに勧進相撲がもよおされることとなったのである。
この橋が架かったため、本所・深川が江戸の新市街として発展することとなった。橋詰の両側は、賑やかな遊び場所としても開けた。幕末からは、川開きの花火もあって、江戸の市民には喜ばれた。現在の橋は、昭和7年(1932)に完成した。
     昭和59年3月    東京都





表忠碑  元帥侯爵大山巌書  明治三十七八年没戦病死者  明治40年1月1日建之


『江戸名所図会』 両国橋(りようごくばし)
浅草川の末、吉川町と本所本町の間に架す。長さ九十六間。橋の前後ならびに橋上に番屋をすゑて、これを守らしむ。万治二年己亥官府より始めて、これを造りたまふ。『三橋記』あるいはいふ、「寛文元年辛丑新たに両国橋を架けしめらる。御普請奉行、芝山・坪内両氏に命ぜられし」と云々。旧名を大橋と号す。『事跡合考』に、「万治二年、東の大川筋に、はじめて大橋一ヶ所をかけらるる」とあるも、この橋のことなり。また、『むさしあぶみ』といへる草紙にも、この橋を大橋としるしてあり。『事跡合考』にいふ、「この橋の形は、扇を開きたるにかたどる」と云々。その昔、この川を国界とせしにより、両国橋の号ありといへども、いまのごとく利根川をもって界と定めたまふより後は、本所の地も、同じく武蔵国に属すといへども、橋の号は唱へ来るに任せて、そのまま改められずとなり。ある人云く、貞享三年丙寅春三月、利根川の西を割りて、武蔵国に属せしめらるると云々。
この地の納涼は、五月二十八日に始まり、八月二十八日に終はる。つねに脹はしといへども、なかんづく夏月の間は、もっとも盛んなり。陸には観場所せきばかりにして、その招牌の幟は、風に飄りて扁翻たり。両岸の飛楼高閣は大江に臨み、茶亭の床几は水辺に立て連ね、灯の光は玲瓏として流れに映ず。楼船扁舟、所せくもやひつれ、一時に水面を覆ひかくして、あたかも陸地に異ならず。絃歌鼓吹は耳に満ちて囂しく、実に大江戸の盛事なり。
        この人数船なればこそすずみかな    其 角
        千人が手を欄檻やはしすずみ        同
        このあたり目にみゆるものみなすずし  芭 蕉

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