続・竹林の愚人 霊明神社

霊明神社



坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道
この道は、当地の東突当りにある霊鷲山正法寺の参道です。「霊山正法寺道」などといいます。
その境内に、文化6年(1809)、地下の村上都が霊明社を創建しました。
幕末期、3代目神主村上丹波都平のとき、神葬祭を進める長州毛利家などと縁ができ、在京志士の葬送・祭祀の地とされてゆきました。(中略)
慶応3年11月17日夜、2日前に河原町蛸薬師の近江屋新助方で、京都見廻組の襲撃を受けた坂本龍馬・中岡慎太郎・龍馬の家来藤吉も霊明社に葬られました。彼らの遺体はこの道を通ったに相違ありません。
維新後は、明治新政府の方針で、霊明社・村上氏の所有地の大半が没収され、創建まもない東山招魂社に譲られてしまいました。現在、龍馬らの墳墓がその後身である霊山護国神社の所有・管理とされているのは、以上の理由によります。
東側の小高い部分には、大和国で挙兵・戦死した、吉村虎太郎ら天誅組志士の墓がありました。現在は霊山護国神社内に移されています。                    2010年10月 歴史地理学者 中村武生


霊明神社(れいめいじんじゃ) 京都市東山区清閑寺霊山町25
文化6年【1809】8月3日主殿寮の史生従六位向目村上都(くにやす)大人が門人および神道有志のため、徳川幕府の政策下にありながら神道葬祭を断行し、神道信仰素志貫徹を図るため、正法寺の塔頭清林庵所有山林の1000坪を買い受けて霊山神葬地を創設し、同11月霊明神社を創建して神道葬祭を始める。
3代の神主村上都平(くにひら)大人の時、文久2年(1862)11月18日竹御所に仕える勤王家吉田玄蕃の志により、長州清末藩国学者船越清蔵守愚の墓を建立し、長州藩主の使者と長州藩士の参列のもとに神道葬を営んだ。
これが機縁になって長州藩をはじめ殉難志士を当霊山に埋葬祭祀することになった。文久2年(1862)12月14日神祇伯白川家の古川躬行や津和野藩の福羽美静らの発起により、安政の大獄以降の殉難志士の「報国忠死の霊魂際」が営まれ、招魂社また靖国神社創建の起源をなすものとなった。


猿田彦明神神石
源融大臣の河原院造営時の神石「土祖神 猿田彦命」
祭神:天之御仲主命・熊野三柱大神(菊理媛命・速玉男命・事解男命)
相殿:天照皇大神・猿田彦大神・天鈿女命・武甕槌命・経津主命
 
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