続・竹林の愚人 本興寺
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本興寺


本興寺(ほんこうじ) 尼崎市開明町3-13
法華宗本門流 大本山
法華宗四大本山の一つで、応永27年(1420)日隆上人の開基した寺院。
日隆上人は尼崎巽浜の米屋二郎五郎宅を拠点として布教したのち、室町幕府の管領で摂津守護であった細川満元の帰依をうけ、若宮八幡宮の社地に本興寺を建立したと伝えられています。寺地は尼崎城築城の用地となり元和3年(1617)現在地に移転しました。
開山堂は室町時代の唐様建築物として、三光天子(日月星の神)・鬼子母神・三十番神等の法華経守護の諸神を祀る三光堂は桃山時代の建造物として国の重要文化財に指定されています。開山堂の日隆上人坐像は、生存中に堺の仏工浄伝に命じて作らせたと伝えられ、上人のおもかげをしのばせる写実的なものです。天文17年(1548)銘の棟札がある方丈(国指定重要文化財)は、客殿あるいは書院の形式に近く、麩は曽我紹興の山水図や、高平(大岡)春卜の群仙図・鳳凰図などによって飾られています。
寺宝として備中国青江の刀匠「相次」の銘の太刀(国指定重要文化財)があります。日蓮上人の守刀として所持されていたもので、常にこの太刀に数珠をかけていたことから「数珠丸」の号がつけられています。その他流水紋銅鐸・三光堂向唐門・鐘楼・古文書・海北友松筆押絵貼屏風・笠塔婆等が市指定文化財に指定されています。
                                      尼崎市教育委員会


本堂 本尊:宗祖真筆三幅対本尊


祖師堂
愁訴日蓮大聖人の御尊増を奉安、脇座に両玉歴代日登(3世)日与(6世)日諦(11世)日承(12世)日尭(13世)日逕(15世)日庸(18世)の各上人の木像が祀られている。
文政5年(1822)に焼失したが嘉永6年(1852)83世に日量上人によって再建された。


三光堂 拝殿
三光堂向唐門(市指定文化財)三光堂 本殿(重要文化財) 三間社流造銅板葺
もと大物にあったものを元和6年(1620)現地に移したもので、拝殿は慶長2年(1597)豊臣秀吉、加藤清正再建である。
三光堂というのは、三光天子、鬼子母神、日本大小の神祗等の、法華経信徒守護の善神を祈る故名づけられた。細部の商法甚だ巧みで、ことに草花彫刻をはめた蟇股や木鼻の絵様彫刻、欄間の透刻などは桃山時代の面目が躍動している。


鐘楼(県指定文化財)


御霊水井戸
御開山日隆聖人、応永27年(1420)当山開建の砌り、聖人が境内の乾の方角に井戸を掘られたところ清水がこんこんとして溢れ出て、水の乏しい尼崎住民の渇きをうるおすこと数世紀、市政上水道完備の大正5年まで、市民の飲料に供された。
如何なる炎天にも不増不減の霊水として、今なお世人の崇敬するところである。


開山堂 (重要文化財) 
この開山堂は、彫像として重要文化財である御開山日隆聖人の尊像を奉安し、文明元年(1469)の創建である。
構造は撞木造で、正面を入母屋造とし、前方に軒唐破風、後方に切妻屋根を突出し、二重扇垂木の変化に富んだ形態である。
天井の龍画、桁梁の鳳凰の彫刻は精巧を極め、その装飾の華麗なることは、当寺の仏寺建築に於ける室内装飾の粋である。
建物の中央部は室町時代の光彩を遺し、その前後は桃山時代及び徳川時代初期の特徴を発揮している。
日隆聖人を崇敬し智慧を磨き、眼病を癒するため祈る人今もって旺んである。
昭和38年文化庁によって解体修理せられた。


日隆聖人荼毘所塚                             
日隆聖人は寛正5年(1464)2月25日御歳80にしてご入滅、同29日荼毘に付された。
この塚は宮町(梅樹)の妙光寺境内に祀られていたが、昭和38年同寺が難波に移転の折当山が譲り受けたもので、古来より荼毘所塚と伝えられている。


御真骨堂


大方丈 (重要文化財)
大方丈は、はじめ大物浦にあったが、元和3年(1617)尼崎城築城のため、他の諸堂と共に現在地に、移築されたものと伝えられていたが、昭和54、55年の両年にわたる、解体修理の際の調査により、一部の古材の使用は認められるが、現在地で建立されたことが確認され慶安元年(1647)、元禄年間、文政8年の修理の記録も発見された。
第二次世界大戦末期の空襲や、戦後の高潮による被害、更に年代を経て腐朽箇所多きため、文化財建造物保存協会の手により、解体修理が行われ、創建当時の原形に復した。
内部各室の間仕切りに、おさ欄間を設け、各部屋共竿緒天井の形式をとり、広椽の天井も、この種の架構として珍しい形式をそなえている。
床、違い棚にも見るべきものがある。
又、襖絵は初期狩野派による障壁画の豪華華麗さをあらわし。大床の壁画は殊に秀逸と賞され、小堀遠州作と伝う。勝れた石組の庭園と共に、室町・桃山期の特質を遺憾なく伝えている。
北条建築の一例として貴重な資料である。


三重宝塔


『摂津名所図会』
本興寺(ほんこうじ) 尼崎寺町にあり。日蓮宗勝劣派。塔頭八院。本山とす。京師本能寺に相同じ。
開基日隆上人 姓は源氏、父は桃井の苗裔、清和帝の後胤なり。十八歳にして山家し、初めは慶林坊日立と号し、後に、自ら改めて、日隆と書す。本門八品の奥旨を興して、両本山を創し、末流の琉倍繁茂して、尽未来際に至るなり。
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  1. 2011/05/18(水) 07:05:20|
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