続・竹林の愚人 古墳とはなにか
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古墳とはなにか


古墳とはなにか  認知考古学からみる古代 (角川選書)古墳とはなにか 認知考古学からみる古代 (角川選書)
(2011/07/25)
松木 武彦

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畿内の墓は、九州・山陰・北近畿・吉備などとは異なって、弥生時代の古い段階から、一つずつの埋葬を墳丘や溝で区画することが多い。
ただし、この親族集団の墓がそのまま大きくなって古墳につながった形跡はたどれない。
古墳は上位の一部の墓が特定個人のために大規模化したのではなく、社会全体にわたって造墓原理が変化し、それが、日本列島周辺の広い範囲で短期間に起こっていることが、弥生墳墓から古墳への転換の歴史的本質だった。
初期の前方後円墳の分布をみると、奈良盆地を中心とする畿内と瀬戸内海沿いに大形のものがあって、九州北部や山陰には少ない。
つまり、鉄器が足りなかったところに、大きな前方後円墳がつくられているのだ。
そして、大形の前方後円墳には多量の鉄器が集められ、長の遺骸とともに埋められている。
箸墓は後円部を三段とし、前方部に独特のスロープの機能を加え、高くさし上げた主の遺骸のありかと、それを背にして周囲を睥睨する前方部端とを往来するスロープ通路とをショーアップする意図が設計思想の根本だったと考えられる。
巨大な墳丘によって天空高くまつりあげられたスロープ通路も、その格づけや偉大さを演出するたくさんの奉献品を並べる竪穴式石室も、その主人公を非現実の世界にすむ超自然的存在-「神」ないしはそれとの媒介者に仕立て上げる装置だったと考えていいだろう。
3世紀後半に入るころの箸墓から5世紀後半の土師ニサンザイまで一貫して長さ200mを超える畿内の大形の前方後円墳の形の本質は、箸墓で考え出されたスロープ通路を天空高く浮上させていくことだった。
まず畿内では、長さ200mを超える大形の前方後円墳が奈良盆地に築かれ、京都盆地、大阪湾岸などの要地にも50~60mから、ときに100mを超える前方後円墳があらわれる。
京都府木津川市椿井大塚山(180)、大阪府高槻市弁天山A1号(岡本山、120)、同交野市森1号(120)などが、奈良盆地の箸墓、西殿塚、桜井茶臼山などと同じ世代の例である。
大型古墳のオオヤマトへの異常な集中ぶりと周辺での空洞化ぶりは、畿内および近国の有力な長たちが列島政治のサミットメンバーとして奈良盆地東南部に集まってリーダーシップをふるい、死後もそこにまつられたようすを推定させる。
だが、つぎの4世紀後葉になると、オオヤマトに一極集中していた、後円部径100m超の巨大前方後円墳が多極に分散していく。
各地に新しくあらわれた大型前方後円墳は様式が統一されており、情報や技術、およびそれらをになった多数の人びとの相互交流があったようだ。
4世紀後葉から5世紀中ごろにかけて、顕著な分権化が進んだことは明らかだ。
6世紀に入るころからは、畿内を発信源とした別のスタイルの横穴式石室が、列島の広い範囲にひろがりはじめる。
朝鮮半島の百済に原型があるとされ、「畿内型」とよばれるこの石室は、最初から墳丘のペースと同じレベルで築かれ、後門部の横合いに出入り口をもつ。
「天空のスロープ」を高くさし上げていく墳丘そのものの巨大化の意図もうすれてしまい、これが西日本の多くの地域で大きな古墳が減っていったことの要因と考えられる。
横穴式石室の埋葬のしくみは、出入り口を使って何人もの遺骸をつぎつぎと埋葬できるという、それまでの竪穴式石室や棺の直葬にはなかった特性だ。
5世紀前半までは、墳丘をめぐる数百~数万本の円筒埴輪のほか、主の遺骸を埋めた後円部上に埴輪を置く人の視線を意識しない配置から、横穴式石室が各地に導入される6世紀になると、石室の出入り口の前や、外から見えやすいテラスに埴輪群は集められる。
「黄泉国」の概念が生まれ、横穴式石室の副葬品でも食器の副葬が一般化する。
死者と生者の空間的な関係も、5世紀までの巨大古墳と、6世紀以後の横穴式石室項とでは異なり、遺骸の空間は人が何度もそこにアクセスできる、古墳と人びととのあいだの空間的・心理的なインティマシー(親密性)が強まった、と分析できる。
個人の記念碑から一族の奥津城へと墳墓を変質させ、まもなく消滅へと追いやったのは、横穴式石室化の波だった。
大きく入念な墳墓は、長を神々の座にまつり上げる宗教的施設だったが、つぎの時代にはそのままの形で生き残らなかった。
だとすれば、宗教上の大きな変革が想定できるが、横穴式石室と仏教とのあいだに、何らかの深い関係があったとみるのは困難だ。
それならば、もはや王侯貴族や有力者を独自の伝統宗教のなかで神格化することがなくなっていた中国の先進的な葬法が、仏教とともに伝わってきたと考えればどうだろうか。
伝わってきた仏教が在地の伝統宗教を後退させることにより、竪穴式石室と前方後円墳などの固有の墳墓をおとろえさせ、横穴式石室に土饅頭という中国起源の普遍的なスタイルに各地の墓制を塗りかえたということである。
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