続・竹林の愚人 飛鳥寺
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飛鳥寺

飛鳥寺飛鳥寺 (美術文化シリーズ (48))

(1964/02)

坪井 清足

昭和32年の第1次調査で、飛鳥寺の金堂と塔とが簡単にみつかったので、つきは当然回廊と考えていた。
塔の後ろに金堂がならぶ一塔一金堂の四天王寺式伽藍が最も古いと考えていたので、『日本書紀』敏達天皇13年(584)に、鹿深臣(こうがのおみ)が百済からもたらした弥勒の石仏を飛鳥寺の東金堂に安置されたという記事の意味がわかっていなかった。
第2次調査で一塔三金堂の伽藍であることが確認された。
記録にみえるこの寺の建造について、百済工人が指導したというその実際が発掘によって具体的にわかったわけである。
飛鳥寺の発掘は前後3回、約200日をついやしたが、発掘面積は飛鳥寺全域4万m2の2割にもみたず、その中心部をきわめたにすぎない。
飛鳥寺の東南に禅院のあったこと、食堂や、『霊異記』その他にみえる道場和尚のつかまえた鬼の伝説のからんでいる鐘楼など、記録にみえる堂宇さえもまだ不明のままである。

飛鳥寺の発掘をやりながら強く感じたことの第1は、第1次、第2次の発掘で、伽藍配置や特殊な基壇を発見して、百済の工人の技術指導で、全くそれまでになかった新しい寺を建てたという、当時の技術導入の姿であった。
第2は、これとまったく反対に、第3次の発掘で塔心礎を掘って、古墳を掘っているのではないかと錯覚したほど、在来文化のにおいの強かったこと。                        
飛鳥寺の建てられた6世紀末は、考古学上で古墳時代とよばれる時期であり、仏教が伝えられ、ひろめられていった時代に飛鳥時代がはじまる。
飛鳥寺の塔跡の出土品はまさに古墳時代そのものであり、飛鳥大仏をはじめ堂塔の遺構は、新しく入ってきた外来技術の種種相をしめしている。

わが国に仏教が伝えられた6世紀中頃、帰化系の人々を中心に信仰がひろまり、一部に尼寺がつくられはじめた。
古来の神道をとるべきとする物部氏の敗戦によって仏教派の勝利に帰した翌年、崇峻天皇元年(588)に、本格的な僧寺の建立が計画され、これに必要な指導をあおぐために、はじめて百済国に僧侶や技術者の派遣が要請された。
こうして百済から派遣された6名の僧侶、大工、塔の屋上にとりつける露盤つくり、瓦師などの指導によって本格的な工事がはじめられた。
法興寺(飛鳥寺)の建立である。
この造営は蘇我馬子によって命ぜられ、帰化系の山東漢直麻高垢鬼(やまとあやのあたいまこくき)や意等加斯(おとかし)らが多数の部民を使役しておこなわれたことが、『日本書紀』と『元興寺縁起』にみえる。
また、崇峻天皇3年(590)には、山に入って寺の材をとり、5年(592)に仏堂、歩廊(回廊)などを建てはじめ、翌推古天皇元年正月十五日に、塔の心礎に舎利をおさめ、翌日心柱をその上に建てた。
推古天皇4年(596)に塔が完成し、寺僧が住みはじめたと記されている。
推古天皇13年(605)に、天皇は聖徳太子はじめ馬子大臣以下に、銅製と刺繍製の丈六仏をつくるようにとの詔勅をだされ、鞍作鳥を造仏工に任せられた。
この道仏のためには、銅二万三千斤と金七百五十両をついやした。
また、このことをつたえ聞いた高勾麗王が、黄金三百廿両を寄進したとも記されている。
翌14年、銅と刺繍の2躯の仏像および脇侍が完成し、大きい銅仏を扉をこわさず鞍作鳥が上手に仏堂におさめたという有名な話も残っている。
当時、天皇家をもしのぐ勢をえた蘇我氏の象徴としての飛鳥寺は、やがて大化改新にも大きな役割をもつにいたる。
飛鳥寺西門前の広場に生えていた大きな槻ノ木の下で、中大兄皇子と中臣鎌子達が打毬にことよせて出会い、飛鳥寺の南にあった板蓋宮で蘇我入鹿を殺し、大化改新の実践にふみきった改新の軍勢は、飛鳥寺をとりでとして蘇我氏と戦っている。
11世紀後半には大官大寺、本薬師寺、川原寺とならんで、四大寺といわれ、官寺として崇敬があつた。
8世紀に都が平城京に移るとともに諸大寺は移ったが、飛鳥寺はひとり故京にとどまり、やがて養老2年(718)に平城京の外京五条七坊の地に移っている。
塔、三金堂はじめ講堂などは飛鳥の地にのこされて本元興寺とよぶことになった。
平安時代後半期には、中門、南門、回廊などもつぎつきと崩壊し、最後にのこった塔と中金堂も建久7年の火災によって焼滅した。
室町時代には中金堂の本尊も雨ざらしになり、元禄の頃に再興する人があり、これを安居院と名づけて今日にいたったものである。
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  1. 2012/12/23(日) 07:00:59|
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