続・竹林の愚人 大阪の神さん仏さん
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大阪の神さん仏さん


大阪の神さん仏さん大阪の神さん仏さん
(2012/08/10)
釈徹宗、高島幸次 他

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大阪の神社の特徴は社格の高い古い神社が多いことです。
全国に65社ある官幣大社のうち、大阪府下には住吉大社・生国魂神社・枚岡神社・大鳥大社・水無瀬神宮の5社ありました。
大阪は格の高い神社が集中した場所なのです。
社格以外の特徴としては、大阪の神社は夏祭がとても多く、昔は旧暦の6月は毎日どこかで夏祭が行われていました。

平安中期までは藤原氏の政権の下で全国の主な神社は国家に統制されていました。
ところが天変地異が繰り返され、疫病が流行する中で、今までの既成の神道だけでは満足できず、もっと違った新しい信仰を求める風潮が高まっていきます。
それを受けて成立したのが天神信仰です。
神道の照葉樹の榊に対して、天神信仰では針葉樹の松がシンボルになります。
ある日突然に7本の松が生え、夜な夜な光り輝いたという大阪天満宮の創祀伝承があります。
また、天神さんと言えば「梅」のイメージが強く、これは室町時代に天神信仰の人気にあやかろうとした禅僧が「渡唐天神」の伝説を作ったことの結果で、「飛梅伝承」とも重なり合って、天神と言えば梅が定番になります。

日本の祭りは大きく「ムラの祭り」と「マチの祭り」に分けられます。
ムラの最大の関心は作物の豊凶ですから、それを無事に収穫できたことを神様に感謝する祭りが行われます。
収穫後の秋に行われるので秋祭と呼ばれますが、本質は収穫感謝の祭りです。
しかし、古代に中国をまねたマチが営まれるようになると、住民の最大の関心が「収穫」から「疫病」に移ります。
6月は梅雨もあって疫病が発生しやすい時期ですから、マチでは疫病を追い祓う祭りが不可欠となります。
天神祭も朝廷が行っていた夏越の祓の精神を受け継ぎ、祭りの中心は神職が本殿で行う「神事」です。
その後、神様は民地を巡幸され、このとき、氏子や崇敬者たちが神様の先導に立ったり、随行したりして渡御列を整える「神賑行事」があります。

「神事」の部分が伝統を守る一方、「神賑行事」は時代のニーズに応えています。  
天神祭の陸渡御・船渡御で、御鳳輦を中心に渡御列が組まれますが、この御鳳輦が登場するのは明治9年(1876)になってから。
それまでは鳳神輿・玉神輿が渡御列の中心でした。
鳳神輿に乗る菅原道真が外へ出た時に荒ぶる神として祟られたら困るので、法力を持っ法性房尊意が玉神輿に乗って必ずそばにくっつけていました。
ところが、明治維新の神仏分離によって、僧侶である法性坊尊意には退場してもらい、新しく御鳳輦を登場させて道真が乗り、鳳神輿と玉神輿には、それぞれ野見宿禰と手力雄命が乗るように変更されます。

天神信仰自体が、恵みや慈しみと、祟りや脅威が共存して、両義性が拮抗する構図になっています。
天神祭は、天神さんにも喜んでいただく、氏子たちも楽しむ、見物客も楽しむ、そういうバランス感覚がある。
船渡御の際に船と船が行き交うときに「大阪締め」を交わして、神様のお出ましを奉祝します。
以前、橋の上の一般の見物客が船に向かって大阪締めを求めていましたが、祇園祭でこれをやったらつまみ出されるかもしれません。
大阪の祭りにはコミュニケーションを交わす風土が根付いているということです。
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  1. 2012/12/28(金) 07:00:22|
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