続・竹林の愚人 大谷本廟

大谷本廟

大谷本廟
大谷本廟(おおたにほんびょう) 京都市東山区五条橋東6-514
浄土真宗を開かれた宗祖親鸞聖人(1173~1263)は、御年90歳でご往生され、鳥辺山の南辺(現在の「御茶毘所」)で火葬に付されたのち、ご遺骨は鳥辺野北辺の「大谷」に納められました。
その後10年を経て、聖人の末娘の覚信尼さまが、諸国の門弟の協力を得て、ご遺骨を吉水の北辺(「現在の知恩院三門北側の「崇泰院」付近)にご改葬、お堂を建ててご影像を安置されました。ここを「大谷影堂」また「大谷廟堂」と呼び、本願寺の始まりの地となりました。
1603年、第12代准如宗主の時代に、徳川幕府の命により、廟堂は五条坂の現在地に移転しました。
依頼、大谷本廟は、宗祖親鸞聖人はじめ、本願寺の歴代宗主のご廟所として、宗祖親鸞聖人のみ教えを仰ぎ、お念仏のよろこびに生かされる門信徒の方がたの尊いご懇念によって永く護持されています。

大谷本廟
円通橋 通称「めがね橋」長さ40m・幅6mの花崗岩製石橋。

大谷本廟
皓月池(こうげついけ)

大谷本廟
総門 宝永7年(1710)3月建立、寛政8年(1796)改築。

大谷本廟
仏殿(本堂)

大谷本廟
鐘楼

大谷本廟
二天門

大谷本廟 
大谷本廟内石窟(おおたにほんびょうないせっくつ)
この石窟は、江戸時代に京都名所記として書かれた『京童跡追』(1667年/寛文7年)などに紹介され、親鸞聖人が学問をされた所として伝記されています。
その中には、老女が扉の前で合掌している様子が描かれています。
さらに、この描写を裏付けるかのように、現在石窟入口付近には、漆喰の痕跡や踏石があり、扉があったことがわかります。
そして、『大谷本願寺通記』(1785年/天明5年)には、この石窟が親鸞聖人の初期の廟堂(大谷廟堂)があったと伝えら
れる場所(現在の崇泰院付近)から移されたと記されています。
石窟に利用された石材の多くは、江戸時代の石造品(石仏・五輪塔・小杉板碑など)が利用されています。
なお、この石窟は、平成16年に実施された京都市の調査により、数少ない貴重な石窟であることが確認されています。  平成18年3月

大谷本廟
明著堂(めいちょどう)
宝永6年(1709)建立。柱のない東西5間、南北10間建物。

大谷本廟
祖壇(そだん)
万治3年(1660)建立。


『都名所図会』
大谷 は本願寺の廟所なり。当山初めは知恩院の境地にして、寺中崇泰院にその遺跡あり。
慶長年中にこのところに移し、則ち旧号を取つて大谷と称す。
当寺開山親鸞聖人の伝記に日く、東山西麓、鳥部野辺、延仁寺に奉葬。
この由縁をもつてこゝに遷すと見えたり。
阿弥陀堂西面にして、堂内に竜谷山といふ額あり。寂如上人の筆なり。
廟所はその東にあり。明著堂の額あり。同上人の肇なり。
対面所の庭上、南のかたに石蔵あり。当寺の什宝を蔵むる所となり、俗にこれを窟といふ。
大谷より清水へいたる細道を延仁寺辻子といふ。
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  1. 2013/01/25(金) 07:00:11|
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