続・竹林の愚人 石塔寺
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石塔寺

石塔寺
石塔寺(せきとうじ) 向日市鶏冠井町山畑44
本化日蓮宗本山  法性山
当寺は、明治10年(1877)代にまとめられた『乙訓郡寺院明細帳』によると、鎌倉時代の末の延慶3年(1310)3月8日に、開山日像上人が現在の場所に題目石塔を建立し、文明年中(1468~87)にこの石塔の傍らに本堂を建立して寺院としたのが始まりと伝えられています。
元和年中(1615~24)に不受不施派の寺院として幕府に願いを出しましたが、寛文6年(1666)に不受不施禁制後は、妙顕寺派に属しました。
その後、同寛文年間には、独立本山に成長し、その末寺は近畿一円に総数33ケ寺に達していました。
明治9年(1876)に鶏冠井寺村にあった興隆寺を合併吸収し、翌年に本堂・庫裏・座敷・小座敷・塔堂・七面堂・妙見堂・鐘楼・門などを整備しました。
現在は、本化日蓮宗本山の単立寺院であります。
周辺には、本寺にちなんだ「御塔屋敷」「御塔下」「御塔道」などの地名が残っており、往時の伽藍の壮大さをしのばせてくれます。
また、この地一帯は、長岡京(784~794)の時代には、都の中心部に位置し、造宮長官の藤原種継の暗殺場としてもしられています。
平安時代に、土佐国から帰路についた紀貫之が京に入る前に休息した「島坂」も当寺周辺だと伝えられます。
鎌倉時代以降は、寺の前を通る西国街道を行き交う人々で本寺周辺は賑わいを見せ、豊臣秀吉や明智光秀など歴史上の人物が次々と通ったと言われています。
  石塔寺 向日市 向日市教育委員会  平成2年(1990)1月

石塔寺
本堂  本尊:十界大曼荼羅

石塔寺
塔堂  寺名の起こりとなった題目石塔を安置。

石塔寺石塔寺
日像上人石像題目石塔

石塔寺
七面堂

石塔寺
鐘楼

鶏冠井興隆寺
鶏冠井興隆寺跡(かいでこうりゅうじ)  向日市鶏冠井町大極殿
16世紀末に日尭が開いた日蓮宗の寺院。
豊臣秀吉の庇護を受け、江戸時代には広大な境内に大伽藍を成した。
明治8年(1875)に興隆寺は廃寺となる。
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  1. 2013/02/15(金) 07:10:14|
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