中海道遺跡(なかかいどういせき) 向日市物集女町中条 物集女公民館前
中海道遺跡の豪族居館と祭殿 向日市物集女町ヲサン田 今から約1700年前(古墳時代初頭)、この場所に豪族の居館があった。 その存在は、1995年に行われた発掘調査で居館の中心施設となる祭殿の発見によって明らかにされた。 祭殿は、1辺15m四方の方形区画溝によって防禦された大形の掘立柱建物で、東西8m、南北8.6mの規模を有する。 構造は、平面正方形で、柱のならびは身舎とその周りを二重にめぐらせる。 これまでの弥生時代の社会には全くなかった斬新なスタイルであり、本例を最古として全国には他に7遺跡10例が確認されている。 この種の建物は、共通して祭祀との関わりが強く認められることから、まつりの儀式に使われた祭殿と見ることができる。 この建物で豪族は、司祭者として農耕祭祀を行い、神と通じ合ったのだろう。 周辺には、さらに豪族の住いや倉庫、居館をめぐる濠等の存在が見込まれ、現在その一部が確認されている。 桂川右岸地域の最高実力者としてこの地に自らの拠点を置いた中海道の豪族とは、大和政権の運営にも参画し、向日丘陵上に前方後円(方)墳をも造営したほどの人物であったのだ。 1997年 向日市 向日市教育委員会 |
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テーマ:京都 - ジャンル:地域情報
- 2013/02/16(土) 07:10:27|
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