続・竹林の愚人 雙林寺

雙林寺

雙林寺

雙林寺(そうりんじ) 都市東山区下河原鷲尾町526
金玉山と号する天台宗の寺である。
延暦年間(782~805)に尾張連定鑑が伝教大師(最澄)を開基に招じて創建したのが当寺の起こりと伝えられる。
その後、鳥羽天皇の皇女入寺などもあって栄え、広い境内と多くの塔頭子院を有したが、中世になって衰微するに至った。
応永年間(1394~1427)に国阿上人が再興し、時宗一派の本山となり、東山道場と称したが、応仁の乱後再び衰え、明治維新のとき天台宗に改まった。
更に、明治の中頃、円山公園が設置された際に多くの寺地を失い、現在は本堂の一宇にその名残をとどめるのみである。
本堂に安置する木造薬師如来坐像(重要文化財)は平安時代の翻波式衣文がよく表現されている。  
この地には、かつて、西行、平康頼、頓阿などが庵住したと伝えられ、本堂の南西飛地境内地には今も西行堂が建つ。
また、豊臣秀吉もここで花見の宴を催したといわれる。            京都市

雙林寺

本堂 本尊:薬師如来

大雅堂旧跡

大雅堂旧跡(たいがどうきゅうせき) 円山公園音楽堂南
池大雅の住居跡 30歳頃祇園茶店の娘町(玉瀾)と結婚し、この地に草庵を結んだ。

雙林寺

『都名所図会』 金玉山双林寺(こんぎょくさんそうりんじ) 
高台寺の北にあり。古は天台宗の別院にして、伝教大師の開基なり。至徳年中、国阿上人移住して時宗と改む。
本尊は薬師如来にして、伝教大師の作なり。鎮守は天照大神宮、東の丘にあり。西行の庵・西行の塔あり。この所に幽居し給ひ、建久九年二月十五日に入寂し給ふなり。
当寺の桜は西行法師植ゑ給ひ、つねに愛したまふとぞ。
性照の塔は平判官康頼入道なり。このほとりに山荘ありて、遠流より帰洛の後、やがてこゝに籠居して、うかりし昔を思ひやり、『宝物集』といふ物語を書きけるなり。
康頼浮世に尊む宝をあつめて弁し、真の宝は仏の道より外なしと、諸経を引いて仏教に入らしむるの書なり。三巻あり。
頓阿の塔あり。はじめ四条道場金蓮寺にすんで、後は双林寺に閑居し寂し給ふ。『草庵集』はこの地にて撰し給ひしといふ。
当寺の院々も風景ありて洛陽交游の勝地なり。春秋ともに酣歌の声、間断なし。
近年郡鄙の騒人、文塚となづけ、この地に墳塋をいとなむ事多し。洛東の佳境を費し、墳寺となすこと薄行の至りにして、大いなる不韻なり。
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  1. 2013/04/25(木) 07:10:54|
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