前田 速夫 「白山信仰の謎と古代朝鮮」
白山信仰に限らず、わが国の神社信仰の基層に、朝鮮半島から渡来した神々が深く関わっている。
八幡信仰の本社は宇佐八幡だが、その前身は秦氏系渡来人辛嶋氏が香春岳に祀る。
東大寺の大仏開眼に際して黄金を献上、功績を認められ、境内に八幡社が勧請され、全国に知れわたった。
稲荷信仰の本源は京都伏見で、大和から京都の地に進出した秦氏が氏神として祀り、その後空海が開いた東寺の庇護を受けたことから、急速に発展を遂げた。
秦氏の祀る神社といえば、京都嵐山の松尾大社とその境外摂社である月読神社もそうだ。
平野神社は桓武天皇が平安京に遷都したとき、生母の高野新笠の祖神である今木(今来)の神(百済初代の聖明王)を、奈良の田村から移して祀る。
伝来した仏教と習合した牛頭天王を祀る京都祇園の八坂神社の本家は播磨の広峯神社で、主神はスサノオとその子イタケル。
比叡山延暦寺を守護する赤山明神と新羅明神も渡来系で、道教や仏教と習合している。
大和王権が統一を成し遂げるまでの6~8世紀は、百済・高句麗の滅亡による亡命民の急増に加えて、仏教が伝来したインパクトもあって、在来の宗教は再編成を余儀なくされた。
結果として、記紀神話に登場する神々や、それらを祖神として祀った主要な神社の神々は、古代律令制国家が天皇専制を絶対化するために作為した、きわめて政治色の強いものとなった。
それと対抗し並び立つためにも、在地の宗教は、海のかなたの進んだ宗教的権威を積極的に取り入れて、独自の信仰圏の拡大に努めたのである。
白山信仰の開祖とされる泰澄が活躍したのが7世紀後半から8世紀前半にかけて。
龍形をした白山神は、日本海のかなた、朝鮮半島からやって来た来訪神で、比叡山延暦寺が守護神である七社の一つ白山神社を客人社と呼んだのもこうしたわけだ。
朝鮮半島の白山(ペクサン)信仰と日本の白山信仰とは、多くの点で共通する。
土着の山岳信仰に被さってシラヤマ信仰の基層を形成し、漢字を輸入後、シラに白の字を宛て後者が成立したのだろう。
『続日本紀』延暦10年(791)は、「伊勢・尾張・近江・美濃・若狭・越前・紀伊等の国の百姓、牛を殺して漢(から)神を祭るに用いる事を断つ」という禁令を載せている。
その理由を、浅香年木氏は、律令期の北陸道在地にあって、有力地域神(白山神)に付着しながら展開した「疫神としての韓神」は国家権力の統制外にあり、この年、全国的に早魅・疫病が蔓延するなか、動揺する体制を引き締めるため、在地の信仰を禁止して、国家内部に独占的に吸収する必要が生じたからだと説明した。
最有力地域神でありながら、朝廷から名神の待遇を与えられるのは天慶3年(940)とずっと遅れるのは、韓神の総本山と目されていたからにほかなるまい。
わが国の神社に鳥居や狛犬が備わっているのも、基層に朝鮮渡来の信仰・民俗が濃厚に付着していることの証しである。
朝鮮には鳥杜(チャンスン=天下大将軍・地下女将軍の柱)や鳥竿(ソッテ)があって、村の入り口を護っている。
狛犬は、平安時代末期、それまで天皇の御座の左右に置かれていた獅子・狛犬が神社の境内に進出したもので、狛が貊族に由来する。
神社に社殿や付随する鳥居、狛犬が備わる以前は、対馬の卒土のような、あるいは沖縄の御山獄(うたき)のような、聖なる森だったに違いない。
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- 2013/04/28(日) 07:22:20|
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