続・竹林の愚人 洋菓子はじめて物語

洋菓子はじめて物語


洋菓子はじめて物語 (平凡社新書)洋菓子はじめて物語 (平凡社新書)
(2001/12)
吉田 菊次郎

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スポンジケーキは各地でいろいろな名前で呼ばれています。
スウィート・ブレッド、ジェノワーズ、ビスキュイ、カステラ、etc。

中世ヨ一口ッパの覇権争いは、お菓子の世界をも飛躍的に進展させることになります。
15世紀にスペイン王国は女王イサベルの下、世界に羽ばたいていきます。
この文明の中心地にビスコチョbizcochoと呼ばれる美味なるものが生まれました。
それまでのお菓子は卵、砂糖(はちみつ)、小麦粉、バターなどを混ぜたビスケットの類が主流でしたが、そこに柔らかくてふんわり焼き上がった新しいお菓子の誕生です。
はじめの頃はテンパンの上にスプーンで太めのフィンガー・ビスケットのような形に流していたようですが、そのうちに型に流し入れて、厚く大きく焼く手法に変わっていったとみられます。
ビスコチョと名付けましたが、これは「二度焼いたもの」の意味で、ビスケットから派生したものです。
後にフランス菓子の世界でもスポンジケーキのことをビスキユイと呼ぶようになります。

こうして生まれた新しいお菓子は、お隣りのポルトガルにも伝わり、いまではパン・デ・ローと呼ばれていますが、当時はカスティーリヤ・ポーロ(カスティーリヤのお菓子)と呼ばれていたといいます。
そしてその手をもって、1543年伝来の鉄砲等とともに日本に上陸しました。
わが国の洋菓子の歴史はここより始まり、以後、カステーラとなり親しまれていきます。
ほどなく施行された鎖国政策により、菓子職人たちは独自に、気泡は限りなく細かく均等に、口当たりはあくまでしっとりと、生地の底にはザラメ糖を撒いて、味覚、食感に微妙なアクセントを与えるさまざまなアイデアをめぐらせます。
こうしてでき上がったのが長崎カステーラです。
ただ実際にそのような形にまで仕立て上がったのは明治以降のことともいわれています。

カスティーリヤ・ポーロというひとつ名が、いつしか上と下とが分かれて歩き出しました。
上の方はカステーラとしてなじまれていったのですが、下の方は落とし焼きのように、テンパン等の上で小さな形に焼かれていったのです。
面積・容積が小さければ、乾燥気味に、ひと口サイズのクッキーのように焼き上がります。
いわばカステラのビスケットへの先祖返りで、これが九州から京に上るにつれ、胡麻が入り、花型に象られ、丸くなり、そば粉が加えられたりして、花ぼうろ、丸ぼうろ、そばぼうろ等の名が付されていきました。

発祥の地とされるスペインでは、いまなおビスコチョの名で、当時とさして変わらぬシンプルな表情のスポンジケーキが作られ、売られています。
また日本に伝えてくれたポルトガルでは、今日これをしてパン・デ・ロー(パンのように柔らかいお菓子)と呼び、親しんでいます。
カステラを含めてスポンジ系統のお菓子を表す言葉には、ジェノワーズとかビスキュイなどがあります。
ジェノワーズの語源はラテン語のビスコトゥム・バネム(二度焼きしたパン)で、ジェノワーズはジェノヴァとなりますが、イタリアではバネ・ディスパーニャ(スペインのパン)と呼んでいます。
はじめの頃のスポンジ生地はきめが粗く堅かったようで、バラ花水やバラ油、マラガ産のワインなどを加えて、いろいろと改良がなされました。
そして1700年以降になると、卵白と卵黄を別々に泡立てるなどして、柔らかくて軽いものができるようになりました。
スポンジケイクという名はアメリカ式で、出来上がりがスポンジ状であることからこう呼ばれています。
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  1. 2013/05/18(土) 07:00:56|
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