続・竹林の愚人 集合知とは何か

集合知とは何か

集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)
(2013/02/22)
西垣 通

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3.11束日本大震災と東京電力福島第1原発事故は、21世紀の日本社会の深部に巨大な地殻変動をもたらした。
その変化の実相は、渦中にいる私たちにはまだはっきり見えていない。
だが、最大の変化は、一般の人々のあいだに生まれた「専門知にたいする根深い不信」である。
実際、福島第一原発が完全に安全になったと断言できる「専門家」はどこにもいないだろう。
さらに、長期的に見て今後、放射線による環境汚染が食品や水などを通じて健康にあたえる影響がどの程度のものになるかば、まさに神のみぞ知るのである。
2012年7月にまとめられた国会の事故調査報告書は、原発事故を「あきらかに人災」と決めつけた。
東電も保安院も、全電源喪失や炉心損傷の危険性を知っていたのに、「原発は安全」という大前提がゆらぐのを嫌って、安全対策をとらなかったというのである。
一方、この報告書が出る少し前に、東電は社内の事故調査報告書を発表している。
そこでは「専門家も予測できなかった、想定外の高さの津波」が原因だとし、最新知見をふまえた対策をおこなってきたと、まるきり正反対の主張を展開している。

いわゆる専門家が権威をもってつくりあげる専門知を、一般の人々が有り難がって無批判に信じられた時代は、もはや終わりつつある。
福島第1原発事故がきっかけとなり、関連専門家の事故発生直後の言動が、専門知への不信感を倍増させた罪はたいへん重い。
だがそれ以前に、学問研究への無制限な市場原理の導入と過度の専門分化によって、研究者の視野が恐ろしくせまくなり、短期的成果にとらわれるという傾向が一般的につよまっていた。
これはいわば、伝統的な研究教育の場における制度疲労に他ならない。

その一方で、新たな知のかたちが芽ばえつつある。
高等教育が普及し、ウェブ2.0が導入されて以来、ネットを通じて誰でも自分の主張を公表し、自由に意見を交換できるようになってきた。
今後、縦割りの専門知とはちがったかたちで、非専門家をふくむ一般の人々による、横断的な知の形成の場が徐々にひらけていくことは間違いない。
ネット集合知ほ数年前、検索エンジンを中核としたウェブ2.0の出現とともに注目をあつめた。
たしかにグーグル社の検索エンジンをはじめ、近年の高速検索技術はすばらしいものだし、フェイスブックやツイックーによって人々の意見が交換されることの意義は否定できない。
しかし、そこにコンピュータ処理が介在し、一般ユーザの知らない自動的な選別がおこなわれがちなことも事実である。

とはいえ、ネットを介して事実上の討論が可能な人数は、せいぜい数10名から100名ていどではないか。
こう考えると、近未来の集合知を支援するITの姿は、大量のタイプⅡコンピュータをつないだ巨大なタイプⅠの汎用人工知能マシンではない。
切望されるのは、人間のコミュニケーションにおける身体的・暗黙知的な部分を照射し、人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知としてまとめあげるためのマシンだ。
これを「タイプⅢコンピュータ」と呼んでおこう。
タイプⅠ、タイプⅢともにコンピュータ技術は米国がリードしてきたが、タイプⅢのようなきめ細かい技術は、日本人に向いているような気がしてならない。
集合知とはもともと、共同体的な知なのである。
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