続・竹林の愚人 日本のバラ

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日本のバラ


日本のバラ日本のバラ
(2012/04/18)
松本 路子

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大場秀章 「日本のバラの歴史と文化をたどる」
日本には10数種のバラの仲間の植物が野生する。
またバラには古くから観賞を目的に日本に渡来し栽培されたものもあった。
観賞にも供せられる一方で、棘だらけのバラは嫌われものの植物でもあった。
ところが『古事類苑』(1896~1914)には、バラやバラに関係した名称がまったく採用されていない。
8世紀末に成立したとされる『万葉集』に、「棘原」(巻16、3832番)あるいは「字万良」(巻20、4352番)という植物が登場する。
明治時代の白井光太郎をはじめとする植物学者はこれらをノイバラだと解した。
『本草和名』(918)には「営実 一名薔薇。和名字波良乃美」の記述があり、ウマラは日本に分布し今でも各地に普通にあるノイバラを指しているといってよい。
『常陸国風土記』(721)には「茨をもちて城を造りき。この所以に、地の名を便ち茨城と謂う」など、茨や茨蕀の表記でバラが登場するが、それらはいずれもノイバラを指したとみてよい。
バラには「茨」、「荊」の字が用いられるが、バラのもつ棘に着目しての文字である。
ちなみに「栄実」とはバラの果実を乾燥した薬物の名である。
丹波泰頼に仮託され、康暦2年(1380)に成立したと推定される『本草類編』には、「営実和宇和良乃美八九月採乾干又薔薇子也」と記されている。
『延喜式』(927)には「典薬寮 如金桜子核 八月採之根采無時」という記述があり、ノイバラの根も薬用に利用されていたと推察される。

コウシンバラは、中国原産で古くから中国で観賞用に栽培されていた。
『枕草子』の「草」の段に「蓄薇は近くて枝のさまなどむつかしけれど、おかし。……黒木のはしなどのつらに乱れ咲きたる夕ばえ」として薔薇が登場する。
中国では「月季」と呼ばれるコウシンバラは、清少納言の時代にはすでに日本に渡来し栽培されていたと推測される。
『源氏物語』の「賢木」に「『階のもとの薔薇』けしきばかり咲きて、春秋の花ざかりよりも‥‥」「少女」に「木高く森の様なる木ども、木深くおもしろく、山里めきて、卯の花咲くべき垣根、ことさらにし渡して、昔思ゆる花たちばな・撫子・薔薇・くたになどやうの花、くさぐさを植えて」とある。
藤原定家は『明月記』に「花籬下長春花猶有紅蘂早晩不似例比」との記述を残す。
「長春」とは春、すなわち開花期が長い、コウシンバラの特色から名付けられた名である。
『春日権現記絵』の巻5に描かれる、寝殿造りの建物の前庭に植えられた深紅の花をもつ植物は、奇数羽状複葉(小葉数は5または9)の葉、放射相称の八重咲き花をもち、コウシンバラ以外には考えられない。

平安時代も後期になると園芸を趣味とする貴人も増え、その傾向は鎌倉・室町と続いた。
だが、中国南部が原産であるモッコウバラやナニワイバラが日本に渡来したのは、記録をみるかぎり、江戸時代になってからだった。
江戸時代初期の園芸書である水野元勝『花壇綱目』に「長春花芽薄色なり‥…」と記され、江戸時代にもコウシンバラの栽培が続いていたことが判る。
コウシンバラを愛でる一方で、江戸時代は、「路たえて香にせまり咲くいばら哉」(蕪村)とか「古里は西も東も茨の花」(一茶)にいう俳句にあるように、野生のバラにも注意の目が注がれている。
イバラは各地で最も普通にあったノイバラであったであろう。
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