続・竹林の愚人 江戸看板図聚

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江戸看板図聚

江戸看板図聚

(2013/2/22)

三谷一馬

商家の屋上、軒下に掲げる看板は源をたどると、中国から渡来した「扁額」といわれています。
安土桃山末期の「洛中洛外図屏風」(舟木家旧蔵)には群衆の往き来する商店街が描かれ、軒に丈の短い水引暖簾を吊り、出入口には目印の商標を大きく染め出した暖簾を下げた商店が目を引きます。
中に小さな絵馬形の看板を吊した柄巻屋、髪結屋や薬袋をぶら下げた薬種屋が描かれています。
寛永頃といわれる川越・喜多院の「職人尽絵」には水引暖簾や商標を染めた大暖簾が描かれ、何軒かの軒先には小さな看板も見えます。

看板の重要性が増すのは江戸開府以後のようです。
商業が発展し、京坂の商人は江戸に商品と共に看板を送り「下り看板」と称し商品別に権威付けをするようになりました。
商家が繁盛すると看板の権威は一層まし、大金をかけて大看板を作ったり、漆や金銀を使い豪華な看板が目につくようになりました
天和2年(1682)には次のようなお触れが出されています。
「七月十六日辛酉、商工業者ノ天下一ナル看板其他同文字ヲ用フル事ヲ禁ジ、従来使用シ来リタル者モ是ヲ削除セシム」
「七月廿八日突酉、諸商人諸職人ノ看板ニ金銀箔、蒔絵、梨子他、鍍金使用ヲ禁ジ、店輔二金銀ノ張付、金銀ノ唐紙、金銀屏風ノ使用ヲ停止ス。」  

当時、木彫の看板は額彫師が彫ったと思われます。
文政7年(1824)の『江戸買物独案内』には「額看板」の欄があり、3軒の店が載っています。
その中の1軒は中央に大きく「御額師」、左右に神社仏閣、彫物看板と小さく記しています。
もう1軒は「御額看板師」と大きく記し、両脇に小さく神社仏閣、欄間彫物とあります。
同年の『商人買物教案内』(大坂之部)には「額看板欄間彫師」が10軒載っています。
天保4年(1833)版の『商人買物独案内』(京都之部)に「御額印判板木師」が10数軒あり、この中の3軒に「看板」が明され、内1軒は「額懸看版板木彫刻所」また1軒は小さく「御額板俳譜摺物」云々とあります。

江戸時代の看板には看板屋の外、武士、僧侶、学者、書家、作家、画家等、様々な人の手がけたものが残っています。
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