続・竹林の愚人 杜を訪ねて

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杜を訪ねて


杜を訪ねて杜を訪ねて―ひょうごの神社とお寺〈上〉 (のじぎく文庫)
(1989/09)
神戸新聞文化部

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川西市の北部を走る能勢電鉄の沿線には広大な住宅地が開けている。
昭和40年代に始まった付近の宅地造成は、多田地域では〝第2の開発″だという。
第1の開発は10世紀のこと。
源氏の祖、源満仲が多田盆地の地利に着目、現在の川西市北部、猪名川町、宝塚市北部、三田市などにわたる広大な荘園を開いた。
満仲はここを武士団の本拠としたことから、多田は源氏発祥の地とされている。
この源満仲を祭神とするのが多田神社で、天禄元年(970)の創設である。

駅から猪名川の清流沿いに、この界隈では比較的古い家並みの続く道を歩くと、豊かな社叢が目に入る。



正面の石段の上に南大門が構えていた。
ここはかつて1対の仁王像が据えられていたが、明治維新の廃仏毀釈で満願寺に移された。
多田神社の名称はこの時に改称されたもので、以前は多田院。
しかし「多田院」との銘のあったものはことごとく廃棄されるか、流出してしまった。
本殿、拝殿は、徳川家綱が寛文3年(1663)に〝天下普譜″として再建したものである。
ともに入り母屋造り桧皮ぶきで、素木の建物は簡素な美しさを感じさせる。
300年以上を経ているにもかかわらず、内部の保存状態は良好という。



この本殿の奥に廟所がある。
源満仲らをまつり、足利歴代将軍の分骨も納められているというが、現在では禁足地帯としてだれも足を踏み入れることができない〝神秘の場″だ。
室町時代、この廟所はしばしば〝鳴動″し、天下の異変を予告したと伝わる。
〝鳴動″は他のところでも例があるが、多田院の場合は、良い出来事の前兆だったという。
このことが、多田院と足利家との関係を強めることにもつながった。
室町時代の繁栄が一転、信長によって焼き打ちにあい、江戸時代に入って再興する。

源満仲という〝戦の神″をまつるため「勝運」を祈る人も数多く訪れる。
多田は銀や鋼の鉱山があることでも知られた地域。
周囲の山には鋼の鉱石などがゴロゴロしているという。
さらに、豊臣家の財宝が埋蔵されているとの伝説もあり、今でも神社近くで埋蔵金探しを続けている人がいるとか。
急速な住宅開発の波が押し寄せているとはいえ、源氏発祥の地は今も神秘に包まれている。
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  1. 2013/07/03(水) 21:45:57|
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