続・竹林の愚人 くすりの道修町博物館

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くすりの道修町博物館

くすりの道修町博物館

くすりの道修町博物館(くすりのどしょうまちはくぶつかん) 大阪市中央区道修町2-1-8  少彦名神社

くすりの道修町博物館


くすりの道修町博物館

薬種御改指上申一札控帳 写 明暦四年(1658)
くすりの町・道修町には、江戸時代の中期から昭和の終戦時まで、薬業仲間の寄会所で保存されてきた文書類、約33,000点以上が保存されています。
江戸時代には、さまざまな業種ごとに仲間(同業組合)が結成され、自主的に共同利益を守るとともに、幕府の経済政策の受け皿ともなっていました。
明治5年(1872)の株仲間解散とともにすべて崩壊し、それら関係資料の多くはその後、散逸してしまいました。
ところが、道修町薬種中買仲間は例外的に、近代的な同業組合にうまく移行し、江戸時代以来の薬業仲間文書を一括して保存し続けました。これが「道修町文書」です。
薬種中買仲間の成立から解散までの近世文書と、明治初期から昭和20年までの道修町薬種商組合関係の近代文書からなる膨大な文書群です。
この文書群は、天保年間の大塩平八郎の乱や第二次世界大戦の空襲などの災禍からも免れ、気液的に現在まで伝えられてきた全国的にも貴重な文化財です。

くすりの道修町博物館

道修町筋薬種中買仲間人数帳
道修町は、豊臣秀吉が大阪城の城下町を作った頃、船場の一郭に形成され始めたものと考えられます。
天正16年(1588)に町家20軒を焼いたという火事の記録の中に、「道修町」の名が記録されています。
道修町に残る一番古い、明暦4年(1658)の似せ薬取り締まりについての文書には、道修町家持人11軒、借家人22軒、合計33軒の薬種屋の署名捺印があります。
8年後の寛文6年(1666)の文書には、108軒の薬種屋が2丁目を中心に1丁目、3丁目に存在していた記録もあります。
享保年間(1716~1736)、幕府に公認された薬種中買仲間124軒(本店)以外にも、脇店やセリ売商人(大阪市中や近郊の医家・薬店に売る)など数多くの薬種屋が道修町や裏店で商売をしていました。
江戸時代の大坂は、長崎と直結した国際性をもつ巨大な国際交易都市。その大坂の中で道修町は、薬種について海外との交流を持っていました。
昭和61年(1986)から始まった道修町周辺の発掘調査では、江戸初期の薬種商の性活をうかがわせる海亀の甲羅や、輸入薬種の容器と思われる中国、ベトナム、タイの壺などが出土しています。

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配置薬

くすりの道修町博物館

配置薬販売人用の台帳入れと算盤・竹編み梱

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  1. 2013/07/15(月) 19:18:35|
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