続・竹林の愚人 モダン・ライフと戦争

モダン・ライフと戦争


モダン・ライフと戦争: スクリーンのなかの女性たち (歴史文化ライブラリー)モダン・ライフと戦争: スクリーンのなかの女性たち (歴史文化ライブラリー)
(2013/02/20)
宜野座 菜央見

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日本映画が発声映画化を通して技術的・産業的・芸術的に著しく成長した30年代は、植民地帝国日本が総力戦の体制を準備し中国大陸に戦争の災禍をもたらした時代、いわゆるファシズム化の時期に合致する。
そして、日本における最初の本格的発声映画『マダムと女房』の登場と満洲事変の勃発が同じ31年であることを考える時、「声」をもった日本映画が戦争に向かう国家に従い、戦争プロパガンダを作って奉仕するようになるという流れを思い描く。
映画産業は統制を推進した国家官僚に取り込まれ、日本映画は戦時国家のプロパガンダ装置になったことは間違いない。
しかし、それほど素直に同調したわけではなかく、むしろ社会が平和にしか見えない映画ばかりが製作されていた。

23年にデビューした田中絹代は1920年代末からの人気と実力が認められ、33年、松竹「大幹部待遇」に昇格した。同じ33年に昇進を遂げたのが現職の陸軍大臣荒木貞夫である。
陸軍の派閥・皇道派を代表して新聞・雑誌・ラジオなどメディアに頻繁に登場して「非常時男」の異名をはせ、日本精神主義を唱えて日本軍を「皇軍」と呼び変えさせた人物である。
満洲事変の勃発は人々にそれまでの長期不況による閉塞感を忘れさせ、「皇軍」が体現する日本の国威に一体化し、軍部の予想を上回る支持を日本軍に寄せた。
さらに32年、戦火が飛び移った上海事変でヒーロー(「肉弾三勇士」の決死行や「空閑少佐」の自決)が生まれると国民は熱狂した。
2つの事変は全国の世相を戦争一辺倒にしたわけではなかった。
自粛どころか大阪道頓堀のカフェーは大繁盛を続け、大衆娯楽のメッカ浅草は昭和7年(1932)の正月を迎えて前年を上回る活況を呈した。
享楽と性的関心に耽溺する風潮としてのエロ・グロ・ナンセンスはすこぶる健在だった。

事変の後、経済は軍需関連産業から持ち直し、産業の活性化が景気回復に繋がった。
本家ケインズを先取りしたと評される高橋是清蔵相の財政政策の下で需要は拡大し、生産が刺激されて遊休施設がフル稼働すると「求人」が増大した。
満洲国への投資は日本へ還流してきた。
結果的に1934年から36年、日本経済は戦前で最高の繁栄期を迎えた。
こうして人々は平和と繁栄を享受した。
庶民でも謳歌できる消費の文化モダン・ライフ時代の到来である。
賃貸アパートへの入居、コーヒーとホットケーキを出す喫茶店の盛況やアジフライやカレーを提供する食堂の人気、女性が自家縫製する洋服、ハイキングや映画といった余暇活動も含まれる。
日本の現代劇映画はモダンエフイフのカタログとなり、観客はスクリーンで展開されるモダンエフイフを見守ることとなった。

1933年帝国議会において議員岩瀬亮が提出した「映画国策樹立ニ関スル建議案」が可決され、これにより映画の社会的影響力を国家の対内外宣伝・国民への教化に利用する方針が打ち出された。
この国家から映画界が圧迫されるのは、全面的トーキー化を経て後の日中戦争下のことである。
日本映画はまずはモダン・ライフを謳歌することに専念した。
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  1. 2013/07/25(木) 22:09:10|
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