続・竹林の愚人 元稲荷古墳

元稲荷古墳

元稲荷古墳平成25年度調査研究成果展『王墓発掘』

元稲荷古墳 -最古の大型前方後方墳-

7月6日~8月11日

向日市文化資料館 向日市寺戸町南垣内40-1

元稲荷古墳

最古の大型前方後方墳のひとつ。 墳丘長94m・後方部50m角・前端幅47m。

元稲荷古墳

元稲荷古墳

竪穴式石槨  石槨の内法:長さ5.6m・幅1.0~1.3m・高さ1.9m。
長側壁の石積は合掌形の天井に仕上がるように内湾している。

元稲荷古墳

特殊器台形埴輪
前方部・後方部の墳頂に立てられ、大小のつくり分けがある。
小型品に壺をのせた高さと大型品の器高(103cm)がほぼ一致する。

元稲荷古墳

桂川西岸地域を治めた有力者は、向日丘陵の頂に3世紀中葉から大型の前方後円(方)墳をつくりはじめます。
五塚原古墳元稲荷古墳は3世紀末までに相前後して築造されました。
その平面形態や外部構造は、桜井市箸墓古墳や天理市西殿塚古墳と共通性が認められ、二代にわたり「倭国王」墓の築造企画や施工技術をもとにつくられた可能性が考えられます。
また、元稲荷古墳については神戸市西求女塚古墳と墳丘裾の外郭線がほとんど一致する状況を確認でき、両者は同一のモデルプランからつくられたとみられます。
このような特徴をもつ古墳が出現する背景としては、その造営者勢力が「倭国王」を擁立する政治権力、すなわち、「倭王権」の一翼を担っていたことが想定されます。
一方で、元稲荷古墳の被葬者は、畿内から各地へつながる交通の要衝をおさえた「オトクニ」の盟主として、「倭王権」に参画しながらも政治経済的に自立した有力者であったと想定できます。
それがために、王権から牽制される政治関係を生みだすこともあったと考えられ、前方後方墳の採択にいたったと推測されるのです。
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テーマ:京都 - ジャンル:地域情報

  1. 2013/07/28(日) 22:17:09|
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