御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれたゆかり深いところである。 公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「わが魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立である。 爾来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって「八条が池」が築造された。 中堤両側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わう。 現在の本殿は昭和16年に京都の平安神宮の本殿を移築したものである。 長岡京市観光協会・(社)京都府観光連盟 |
地元開田村の氏神である長岡天満宮の境内は、江戸時代に八条宮(のちの桂宮)家のまつる神社として社観の整備が重ねられてきました。 近代になると、明治35年(1902)の菅原道真公千年忌を契機に組織された長岡保勝会によって、活発な社殿の建築が進められます。 さらに昭和16年(1941)には、平安神宮から本殿・祝詞舎・透塀が移築されました。 江戸時代に形づくられた境内のなかに、近代の優れた建造物が立ち並ぶ特徴的な社観は、歴史的な価値や造形上の質において高く評価されています。 平成24年11月 長岡京市教育委員会 |
天満宮の東側に南北に細長くのびるこの池は、八条宮智仁親王にちなんだものです。 神社の由来書によると、江戸時代に当地一帯を領した親王が、寛永15年堀を掘ったものといわれています。 以来今日まで、農業用の溜め池として利水されてきました。 池のほぼ中央にのびる中堤には、きりしまつつじが参道の両側に植わっています。 このきりしまつつじを守るために、平成3年より中堤の整備工事が行われました。 平成5年3月 長岡京市・長岡京市教育委員会 |
Author:bittercup
近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。