続・竹林の愚人 日本地名の語源

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日本地名の語源


日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家
(1999/12)
石渡 信一郎

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ヤマトという地名は、最初奈良盆地東南部の狭い地域を指していたが、次第にその地域が広がり、今の奈良県全体を指す倭(やまと)という地名となり、ついで国家としての倭国・日本の国号となったといわれている。
三輪山の西麓の箸墓古墳を中心とする纏向遺跡は、その規模と位置からみて、崇神の王都の跡とみていい。
マキムク(纏向)のマキは、「カラ(加羅)・キ(城・城邑)」が、カラキ→カキ→マキとなったものと思われる。

纏向遺跡のすぐ北に天理市槍垣町があるが、ヒガキ(槍垣)は、「キカラ(大加羅)・キ(城)」がキカラキ→ヒカラキ→ヒカキ→ヒガキと変わった地名と考えられるので、纏向とその周辺は、大加羅(加羅系倭国)の王都であり、「大加羅の王城」の意味で、ヒガキとも呼ばれていたとみられる。
そして、三輪山のミワも、キカラ(大加羅)がキカラ→ミカラ→ミカ→ミワと変わったものと思われる。
ちなみに、箸墓のハシは、「カラ(加羅)・キ(城)」がカラキ→カキ→ハシと変わったものであろう。

『日本書紀』は、崇神の本名を「御間城入彦(みまきいりひこ)」と書いているが、ミマキは、キカラ(大加羅)がキカラ→ミカラ→ミカ→ミマと変わったミマに、「城」を意味するキがついたものと考えられる。
ミマキのキは纏向のマキと同一のキ(城・城邑)を指しており、ミマキイリヒコという、崇神の名前は「纏向にある大加羅(加羅系倭国)の城に入った王」を意味するとみられる。

「垂仁紀」2年条には、御間城(みまき)天皇(崇神)の名をとって、弥摩那国(みまなのくに。任那国)と名付けたという説話がみえるが、国名ミマナはキカラ(大加羅)の転訛と考えられる。
『日本書紀』は「任那」をミマナと読むが、任那という呼称は、古代朝鮮語でのニムナの表記で、ニムは「主」、ナは「地・国」の意で、ニムナ=「主の地。本国」と解される。
朝鮮南部の加羅諸国が日本列島にあった加羅系倭国の本国であったことから、ニムナと呼ばれていたのであろう。

崇神は、任那(加羅諸国)を「大加羅連合王国」=加羅系倭国の一部とみて、ミマナ(大加羅)という呼称で呼ぶことにしたと考えられる。
任那という呼称は、広義では朝鮮南部の加羅諸国の総称であるとともに、狭義では加羅諸国の1つ金官加羅を指した。
高句麗の好太王碑(414年に建立)に「任那加羅」、『三国史記』列伝に「任那加良」とあるが、「任那加羅」「任那加良」は金官加羅を指す狭義の任那である。
『南斉書』加羅国伝によると、479年に中国南朝の斉に朝貢した加羅国王荷知(かち)は、「輔国将軍・本国王」に任じられているが、「本国王」の「本国」は任那の漢訳で、荷知は金官加羅の国王であったとみられる。

前述の「垂仁紀」の説話は、崇神が朝鮮半島南部の金官加羅から渡来し、纏向に王都を置いたことと、崇神が「大加羅連合王国」の初代王であったことを反映している。
  広義の任那(ニムナ。「本国」)=加羅=朝鮮半島南部の加羅諸国の総称
  狭義の任那(ニムナ。「本国」)=任那加羅=金官加羅(加罪・大伽耶・南加羅)
以上のように、纏向には加羅系倭国の初代王崇神の王都があったとみられ、纏向とその周辺がヤマトと呼ばれていたと推定される。
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