続・竹林の愚人 金魚のはなし

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金魚のはなし


江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし
(2013/07)
吉田 智子

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西暦3~4世紀頃、長江のほとりで1尾の赤いフナが見つかりました。
最近のDNA分析でこの赤いフナのジイが金魚の先祖であることがわかりました。
その後、中国の北宋時代(900年頃)に、宮廷や寺院などで赤いフナが飼育され、代々宮廷に受け継がれて、さらなる進化を遂げます。
熱心に飼育をする皇帝も現れ、南宋時代には飼育や販売を生業とする者もいたようです。
人々はこれを金運をもたらす魚〝チンユイ″と名付けました。
金魚の誕生です。
明代(16世紀中頃)になると、金魚の飼育は盛んになり、多くの新品種が出現します。

日本には、寛延元年(1748)に刊行された日本初の金魚の飼育手引書『金魚養玩草』(安達喜之著)によれば、1502年に現在の堺市に入って来たとされています。
当時の日本は室町時代末期で中国との交通が盛んだった時代ですが、戦乱の世でもあり、一般庶民の手の届くようなものではなかったようです。
室町時代末期、文禄4年(1595)に発行された『天草版羅葡日対訳辞書』では〝こがねうお″とあり、その8年後に出版された『長崎版羅葡日対訳辞書』では〝きんぎょ〟と〝こがねうお″とあり、すでに〝きんぎょ″と呼んでいたことがわかります。
江戸の初期には、お屋敷で金魚は観賞用はもちろんのこと、当時のお殿様の毒見用に納めていたそうです。
江戸中期以降になると、藩士の副業として金魚養殖を藩を挙げて進めるところも出てきて、金魚養殖はどんどん盛んになっていきました。
寛延元年(1748)に金魚の飼育の手引書『金魚養玩草』が発行され、この時代に金魚売りや金魚すくいという仕事や遊びが成立したそうです。
そして、19世紀初期の化政文化の時代に一番の盛り上がりを見せます。
この時代は徳川文化の爛熟時代で、花木の栽培や小鳥などの小動物を飼うことが盛んでした。
幕末の頃になると、金魚の養殖は藩士の副業として、明治維新後は、職禄を失った藩士や農家の副業として盛んに行われるようになりました。

中国から渡ってきた金魚は日本だけでなく、欧米にも渡りました。
アメリカへは幕末の頃日本から持ち込まれました。
アメリカでもはっきりとした色の赤や、赤と白のコントラストが珍しく、投資の対象ともなったようです。
また日本から入った琉金の先祖返りを固定して「コメット」という品種をつくり、日本に逆輸出した品種もあります。
一方ヨーロッパには18世紀頃に中国から渡り、ペットとして飼育されました。
とくにイギリスは日本と同様に庭園文化があり、金魚の注目度が高かったようです。
そこで生まれたのが「ブリストル朱文金」で、横から見ると尾びれがハート型になっています。
イギリスは水槽の横見で観賞魚を楽しむ文化なので、上からではなく、横から見て美しいつくりをしていることです。

日本と中国、そして欧米では金魚の捉え方が違うように思います。
犬や猫と同じようにべットとしてかわいがる欧米、次々に新品種や珍しい品種をつくり出そうとする中国。
しかし日本では人間がつくり得る唯一の生きた芸術なのではないか。
鱗の色、柄、バランス、尾びれの形などひとつひとつに日本人の調和のとれた美しさを追求する美意識が宿っているのが金魚だと私は思います。
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  1. 2013/10/03(木) 07:00:48|
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