続・竹林の愚人 大岩山古墳群

大岩山古墳群

大岩山古墳群

大岩山古墳群(おおいわやまこふんぐん)
辻町と小篠原・桜生きの間にある大岩山丘陵から冨波の平野部にかけては、弥生時代に24個の銅鐸が埋めおかれ、古墳時代には野洲川流域を支配下に置いた権力者の墓(古墳)が代々築かれています。
当時この一帯が権力の中心地で、神聖な場所とみられていたためでしょう。
丘陵部にはすでに消滅した大岩山古墳や大岩山第2番山林古墳もありましたが、平野部には三角縁神獣鏡が出土した冨波の古冨波山古墳(円墳)や前方後方形をした冨波古墳といった前期古墳(4世紀)、帆立貝形をした辻町の大塚山古墳や冨波の亀塚古墳といった中期古墳(9世紀)があります。
そして丘陵部の先端の桜生史跡公園には天王山古墳(前方後円墳)、円山古墳(円墳)、甲山古墳(円墳)、銅鐸博物館敷地内には宮山二号墳(円墳)といった後期古墳(9世紀)があり、あわせて国の史跡に指定されています。

大塚山古墳

大塚山古墳(おおつかやまこふん) 野洲町大字辻町六ノ坪604番外
大塚山古墳大塚山古墳は、標高100mの扇状地に築造されています。
南側の大岩山丘陵には円山古墳、甲山古墳などの後期古墳があります。
保存整備事業に入るまでの当古墳は、墳丘の一段目が水田、二段目が畑に、三段目は樹木が繁り、周囲の水田は馬蹄形に広がり西方に次第に低くなっていました。
発掘調査によって古墳は、円丘部が径57m、高さ8m、造出は長さ8.5mで、周囲には幅13~20mの濠が巡り、5~10mの外堤をはさんだ外側にも幅3m以上の溝が確認できました。
また、葺石、段築、埴輪をもつ5世紀前半の帆立貝形古墳であることがわかりました。
天王山古墳北西に張出した造出は、西側が幅22m、東側が幅11mで2つが東西に横並びとなり、東側の小さな造出周辺から円筒埴輪のほか、鶏、船、家、蓋、水鳥などの形象埴輪などがまとまって出土しました。
墳丘は盛土によって築かれ、墳頂部からは発掘調査と地中探索により埋葬施設の輪郭を確認しました。
墳朝の調査区からは、ガラスの小玉やとんぼ玉、勾玉や刀子形の滑石製造品、短甲、鉄鏃、須恵器などが出土しています。
保存整備事業では、検出した地下遺構を盛土して、造出や葺石を復元しています。
   2004年(平成16)3月  野洲町教育委員会

大塚山古墳

天王山古墳天王山古墳
造出の埴輪群鶏埴輪

亀塚古墳

亀塚古墳(かめつかこふん) 野洲市冨波字亀塚甲1437番地1他

亀塚古墳

亀塚古墳亀塚古墳は、大岩山丘陵の北西に広がる自然堤防上に築造されており、周辺には古冨波山古墳や冨波古墳が所在しています。
江戸時代には、後円部の墳丘が亀に似た形から、字名に亀塚の名前が生まれました。
古くから土取り場となっていたため、後円部の墳丘はあまり残存していませんでした。
周濠部分は水田となっていますが、幅9mを近く想定でき、北部については農道がかなりせまっています。
遺物は、墳丘下段と東側の畑地に多くの土器片の散布が認められました。
2007(平成19)年の試掘調査により周濠が発見されました。
後円部の墳丘は径33m前後で、西へ伸びる前方部があり、全長45m以上の帆立貝形または前方子円墳と推定されます。
後円部は、後世の削平で段築の状況や埋葬施設は不明ですが、墳頂部で高さ96.3m、周濠底で高さ91.6mを測ります。
出土した埴輪は、円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪などが認められます。
円筒埴輪は、口径25~30cm、底径20cm前後を測り、形態は基底部を含め4段前後のものに復元できます。
埴輪の外面に叩き技法を持つものが認められます。
試掘調査の結果、古墳の形状・埴輪の時期・須恵器から、古墳時代後期初頭の5世紀後葉~末頃に造られたと考えられます。
2009(平成21)年1月  野洲市教育委員会

冨波古墳

冨波古墳(とばこふん) 野洲市冨波字亀塚甲1448番地1他

冨波古墳

冨波古墳冨波古墳は、大岩山古墳の北西に広がる扇状地(標高約93m)に築造されており、周辺には大岩山古墳群8基のうち古冨波山古墳や亀塚古墳が所在しています。
墳丘はすでに削平され、一帯は水田となっていたため、1982(昭和57)年の発掘調査で初めて発見されました。
前方後方形の墳丘部は全長約42m、周濠を含めると約52mほどの規模になりますが、墳丘の高さや埋葬施設については明らかではありません。
附ny空は前方部の長さ約20m、後方部の長さ約22mで長軸線を基準とする左右対称形であるのに対して、4.5m~7mの幅で巡る周濠は長軸線の左右でその形状が異なっています。
周濠内では近江地域の特色をもつ古墳時代初頭頃の甕や、東海地域に特徴的な丹塗り壺の破片が見つかっています。
また、南東側の隅では古墳との関連性が想定される円形周濠墓が確認されています。
冨波古墳は、大岩山古墳群の中で最古に位置づけられる一方、出現期の古墳であるため、弥生時代の周濠墓から古墳への移り変わりを考えるうえでたいへん重要な古墳といえるでしょう。
2006(平成18)年11月   野洲市教育委員会

古冨波山古墳

古冨波山古墳(ことばやまこふん) 野洲市冨波字古トバ720番地31

古冨波山古墳

古冨波山古墳当古墳は古墳時代前期(4世紀初頭頃)に築造されたもので、大岩山古墳群のうち冨波古墳に次ぐ築造と考えられる。
墳丘は直径約30mの円墳とみられ、現在、盛土が約1.5m残っている。
明治年間に、「陳氏作四神二獣鏡」、「吾作三神五獣鏡」、「王氏作四神四獣鏡」の銅鏡3面が出土している。
昭和49年には主体部の確認調査が行われ、木棺直葬と推定される堀形に一部が検出された。
当古墳群は野洲川流域に居住した古氏豪族である「安氏」の首長墓と考えられ、さらに、三角縁神獣鏡の出土はヤマト王権と野洲川流域の豪族との関連を知るうえで重要である。
平成5年3月 滋賀県教育委員会

古冨波山古墳当古墳は、1974(昭和49)年の宅地造成に伴う発掘調査で、墳形が直径約30mの円墳と推定されるとともに、被葬者の埋葬方法は木棺直葬と推定されています。
明治年間の開墾作業中には、古墳の北寄りで盛土の3尺(約0.9m)下から3面の銅鏡が発見されました。
いずれも大陸から輸入された中国鏡と考えられています。
直径21.8cmの三角縁四神二獣鏡には「陳氏咋」の銘があり、京都府木津川市椿井大塚古墳と同じ型の鋳型で制作されたものです。
直径21.9cmの三角縁四神四獣鏡は、福岡県福岡市老司古墳、奈良県天理市黒塚古墳出土鏡2面、アメリカ合衆国のフリーア美術館蔵品鏡と同じ鋳型のものです。
なお、この鏡は1905(明治38)年にふぉいつ連邦共和国のベルリン博物館に寄贈されています。
直径22.0cmの三角縁三神五獣鏡は、兵庫県洲本市コヤダニ古墳、伝京都府木津川市椿井大塚山古墳、奈良県天理市黒塚古墳、静岡県菊川市上平川大塚古墳から出土した鏡と同じ鋳型です。
古冨波山古墳は、3世紀後半に築造された野洲川流域の首長墓で、最初に三角神獣鏡が副葬された古墳となります。
2009(平成21)年11月   野洲市教育委員会
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  1. 2013/10/09(水) 07:05:58|
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