続・竹林の愚人 生和神社

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生和神社

生和神社

生和神社(いくわじんじゃ) 野洲市冨波乙631
祭神は藤原忠重公、平安時代中期藤原氏の荘園であったこの冨波荘(冨波澤村、新町村、五之里村)の領主であった。
元来冨波荘は沼や池が多く、一の澤に生息していた大蛇を退治、村民の永年の憂苦を払拭されると共に此の沼澤地を開拓村の鎮守神として祀られた。
御神徳著しく室町期の延徳3年、土御門天皇より正一位の神階と勅額を賜った。
本殿、末社とも鎌倉時代の建立。  野洲市観光物産協会/td>

生和神社

拝殿

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生和神社

末社日吉神社本殿

生和神社

本殿(重要文化財)
一間社流造、檜皮葺 南北朝時代
生和神社の草創は平安時代で、その後、鎌倉時代に冨波荘の領主鎌倉左衛門次郎が、祖先を氏神として祀ったとも伝えられる。
本殿は猿股、花肘木及び格狭間などの意匠が、近在の大笹原神社本殿(応永21=1414)よりやや古式なため、南北朝時代の建立と考えられる。
建物は昭和38年、第二室戸台風の災害復旧工事に際し、向拝頭貫、母屋正面の腰長押と鴨居うえ竹の節欄間及び背面の切目縁などが復旧整備された。
この本殿は一間社としては大型で、背面に縁を廻し、中備えに猿股を飾ることなどが特徴である。
  平成6年3月 滋賀県教育委員会

生和神社

末社春日神社本殿(重要文化財)
この建物は、建立に関する記録はないが、その様式から鎌倉時代の建立と考えられる。
建立後の修理の変遷も不明だが、向拝の水引虹梁の絵様と薩摩他の形状は、明らかに江戸時代以後に取り換えられたことを示している。
本殿は規模の小さな一間社流造で、身舎柱を円柱、向拝柱を角柱とし、一連の土台に立てる。
身舎の組物は舟肘木、向拝は連三斗とし、妻飾は豕扠首を組む。
内部は幣軸板扉構えで内外陣に区画し、外陣を内陣より広くする。
外陣は内法長押上に連子の欄間を入れ、格天井を張る。
この建物は、向拝の虹梁と猿股が変えられているのは惜しまれるが、舟肘木や向拝の手狭などに鎌倉時代の様式を見て取れる。
小規模な一間社流造本殿の基本的な姿を示す建物である。
 平成12年3月  滋賀県教育委員会

生和神社

祓戸之神

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  1. 2013/10/10(木) 07:00:34|
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