医王山と号『ぬかた縁起』によると弘仁年中(810~824)に弘法大師の止宿のために額田首高内皆人が建立したと伝えている。 額田の名族額田首の氏寺であろう。 本堂は天正年間(1573~1593)の建築であったが昭和14年に火災に罹って焼失した。 本尊薬師如来は弘法大師の作と伝えられていたが罹災し残片がのこっている。 |
額田村にあり。医王山と号す。真言宗 本尊薬師仏 座像1尺7寸ばかり。日光・月光・12神将を安ず。弘法大師作。 大師、京師より高野山へ下向の時、ここに止宿したまふ所なり。高内皆人、寺となす。 当村の西2町ばかりに京街道といふあり。城州八幡より高野山へ一筋道なり。 ゆゑに高野街道とも、古道とも、または紀路ともいふ。 末は葛井寺の南にして西街道と合し、富田林・三日市を経て、紀伊見峠に至る。 |
Author:bittercup
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