続・竹林の愚人 阿武山古墳の石槨の構造と年代

阿武山古墳の石槨の構造と年代

白石太一郎高槻市制施行70周年記念歴史シンポジウム
「中臣(藤原)鎌足と阿武山古墳」

阿武山古墳の石槨の構造と年代

白石太一郎(京都橘大学名誉教授)

12月22日(日) 午前11時~11時30分
高槻現代劇場中ホール

阿武山古墳は、墳丘を持たないきわめて特異な古墳である。
尾根上の地山を南北に長い楕円形に掘り込んだ大きな墓境内に南に開口部をもつ横口式の石槨を営み、これに夾紵棺を納めている。
石槨の上部には少量の盛土を施し、その上に塼を葺いて保護し、その上で墓壙を埋めている。
墳丘の盛土はいっさい認められないが、この石槨を中心に東西径約84m、南北径約80mの周溝をめぐらして墓域を画している。
石槨は、比較的小型の石材(花崗岩)を積み上げて構成しているが、壁面には漆喰が塗られ、白壁に仕上げられていた。
側壁上には4枚の天井石が置かれている。
床の中央部には塼を積み上げ、長さ2.3m、幅0.8m、高さ25cmの棺台が設けられていた。
石槨の南側には側壁の南端部から1mほど内側に大きな板石を立て、その上部に石や塼を詰めて閉塞していた。
この板石の外側は、漆喰や石材が厚く充填され、厳重に封鎖されていたようである。
石槨部の内法は長さ2.58m、幅1.16m、高さ1.16mである。
畿内の石棺系横口式石槨との関連で阿武山古墳の年代を考えると、7世紀後半でも新しい時期を想定せざるをえない。
ただ、阿武山の埋葬施設はきわめて特異なもので、小型化した横穴式石室の範疇で捉えることも可能である。

阿武山古墳の周溝内から検出されている土器の年代について検討してみよう。
この土器は、古墳の南側の周溝の埋土中層から出土したもので、須恵器の杯Hの杯蓋3点と杯身1点である。
奈良文化財研究所の飛鳥編年では坂田寺池SGlOO出土の資料に近いもので、660年代でも後半の年代を想定している。

最近、高橋照彦氏は、阿武山古墳の周溝の土器を650年代の坂田寺出土品より少し古く位置づけ、7世紀中頃、おそらく大化2年(646)の直後に築かれた可能性が高いとし、その石槨を「大化薄葬令」の大仁・小仁、大礼以下小智以上の「内長九尺、高濶各四尺」に合致するものとし、墳丘を営まない点も「不封使平」という規定に合致しているとしておられる。
さらに高橋氏は、その被葬者として『日本書紀』大化元年九月条にみえる「阿倍渠曾倍臣(欠名)」をあげている。
この高橋説は、大化薄葬令の評価とも関わる重要な問題提起だが、阿武山古墳の周溝の土器はそこまでは遡らないと考えている。
 
中臣鎌足説については、阿武山の石槨を石棺系横口式石槨の範疇で捉えると、7世紀後半でも新しい時期のものとなり年代が合致しない。
ただこれを横穴式石室の流れを汲むものと捉えると、鎌足の没年(669)もその幅の中に入ると考えることができる。
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