阿倍野区松崎町一帯には「阿倍寺」「東阿倍寺」などの字名が残っており、このあたりを本拠にしていたという阿倍氏の氏寺である阿倍寺跡に推定されている。 阿倍寺は「阿倍寺千軒」と呼ばれ広大な伽藍を有していたと伝えられる。 第2次世界大戦直後には、建物の基壇跡ではないかといわれる小丘が残っていたが、現在ではそれも失われ、寺院の伽藍配置など詳しいことは不明である。 昭和10年(1935)には、松長大明神の付近から塔心礎と考えられる礎石と布目瓦が出土しているほか、道路工事等に伴い、若干の瓦が採集されている。 その中には、複弁八葉蓮華文丸瓦や重弧文軒平瓦など、白鳳時代にさかのぼるものもある。 礎石は、大阪府有形文化財に指定され、現在西成区の天下茶屋公園内に施設されている。 大阪市教育委員会 |
Author:bittercup
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