続・竹林の愚人 土塔

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

土塔

土塔

史跡土塔(どとう)  堺市堺市中区土塔町
国指定史跡 昭和28年3月31日指定
土塔は、堺出身の奈良時代の僧・行基が建立したとされる四十九院のひとつ、大野寺の仏塔です。
平安時代に書かれた「行基年譜」には神亀4年(727)の起工とあり、鎌倉時代の「行基菩薩行状絵伝」(重要文化財)にも、本堂・門とともに「十三重土塔」と記された塔が描かれています。
発掘調査によって土を盛り上げた一辺53.1m、高さ8.6m以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたことがわかりました。
また、「行基年譜」の記述と同じ「神亀四年」と記された軒丸瓦も出土しています。
現在の姿は全体を盛土で保護し、十二層まで復元したものです。
土塔から北西約160mのところには土塔に使われた瓦を焼いた窯跡が2基見つかっています。
また、約460m北方には行基が天平13年(741)以前につくった「薦江池」(こもえいけ)ではないかと考えられる「菰池」というため池もあります。

土塔

土塔は土を盛り上げてつくられています。はじめに地面を水平に整地し、タテ30cm、ヨコ20cm、厚さ10cm程の大きさに揃えた粘土の塊を、各層の輪郭となる位置に並べて正方形の枠をつくります。
この枠の中に土を詰めた後、さらに枠を積み上げて上層をつくるという作業を繰りかえしています。

築かれた当初の瓦葺は残っていませんが、基壇・初層・二層・三層の南東角や層の境が茶色や灰色の粘土の並びで確認できます。
初層の奥の瓦は築かれた当初のものではなく奈良時代後半に補修されたものです。
外周には丸瓦や平瓦を積み上げた基壇の外面の化粧が残っていました。
本来は12mの高さがあったと考えられますが、手前には崩れ落ちた大量の瓦が散乱していました。

土塔

土塔には、前面に瓦が葺かれていました。その数は約60,000枚にもなります。
また各層の垂直面にも瓦を立てて風による盛土の崩壊を防いだようですが、葺かれていた瓦の制作年代から、室町時代までは瓦葺の補修が行われていたことがわかかります。
土塔からは、文字を記した瓦が約1,300点出土しています。大半は人名で、行基と共に土塔を建立した「知識」と呼ばれる人々の名を記したと考えられ、男女を問わずに尼僧や氏族の名前も見られます。

土塔


map_20141224202443eee.jpg
関連記事

テーマ:大阪 - ジャンル:地域情報

  1. 2014/12/24(水) 20:56:31|
  2. Historic sites
  3. | コメント:0
<<大野寺 | ホーム | 中臣氏>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

bittercup

Author:bittercup
近畿の社寺仏閣と旧跡を巡っています。

Translate

検索フォーム

Loading

月別アーカイブ

カテゴリ

Table of Contents (46)
BOOK (1275)
Shrines (1717)
Historic sites (739)
Retro (114)
SIGHT (382)
NEWS (185)
GOODS (86)
PC (40)
Lecture (18)
Greeting (14)
Blog (7)
TRAIL (9)

FC2カウンター

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。