続・竹林の愚人 六條判官源為義公塚

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六條判官源為義公塚


六條判官源為義公塚(ろくじょうはんがんみなもとのためよしこうつか)
源為義(1095~1156)は平安末期の武将である。
父義親は西国で乱行を起こしたため、1108年に平正盛により誅される。
祖父義家が1106年に死去し、家督を継いだ叔父義忠が1109年に暗殺された後、為義は河内源氏の棟梁と称する。
通称は六条判官、陸奥四郎。
当初は白河法皇・鳥羽上皇に伺候するが度重なる不祥事で信任を失い、検非違使を辞任する。
その後、摂関家の藤原忠実・頼長父子に接近することで勢力の回復を図り、従五位下左衛門大尉となって検非違使への復帰を果たすが、八男の為朝の乱行により開官となる。
保元の乱において崇徳上皇方の主力として戦うが敗北し、後白河天皇方についた長男の義明の手で処刑された。
保元物語では、義朝の部下である鎌田正清と波多野義通によって七条朱雀で切られ、圓覚寺に埋葬されたとある。

顕彰碑 供養塔
この供養塔は、寺伝によれば、『当山(祇陀林寺)中興(1596)のはるか昔より、丹波街道(七条通)を挟んだ北側には、源為義公の墓があった。
現在の五輪塔は、貞享3年(1686)の為義の年忌法要に際し、再整備したものである。』とのことである。
また、明治45年(1912)京都操作場の拡張工事に伴って、現在の中央卸売市場(京都市下京区朱雀堂ノ口町)から現在地へ移設した。
その際に、五輪塔の下から水輪などの石塔の一部が見つかり、水輪を積み重ねると現在のような姿にしたとのことである。

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  1. 2015/03/08(日) 10:11:32|
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